三つ編みは遭遇する

 それは不意に現れた。

 いつのまにかそこにいた。

 初めからそこにいたかもしれないし、はなからそこにいなかったのかもしれない。

 空気のような存在感で、狼はロッヅと狛谷の間にちょこんと座っていた。

「え?」

「……送り犬?」

 ぽつりと狛谷が呟いた。

 狼は狛谷を一瞥してからロッヅの方を向き直してじろり、と睨んだ。

 お前には用はないと言っているような。

 襲う気はないが、来るなら別の手段をとると言っているような。

 ロッヅは鼻をひくひくと動かす。

 ざあっと吹き抜けた夜風に狼の匂いが乗っている。

 いや、これはどっちだろう。

 周りにいるのであろう狼の匂いなのだろうか。

 それとも、自分の匂いなのだろうか。

 ロッヅは視線を下に落とす。月の光でできた薄い影はざわざわと蠢いている。

 自分の手のひらをみる。

 人の手と狼の手をかいまぜにしたような手。

 これはまあ、どちらかといえば――悪役か正義の味方かといえば、悪役の見た目だろうな。と判断する。

 さすれば、この狼は自分から狛谷を助けるために出現したのだろうか。

 ――そういえば。

 ――この街には守り神がいるとか、ルーミアが言ってたな。

 送り犬と迎え犬。

 送り犬が守り神で、迎え犬が祟り神。

 だったっけか。

 覚えていない。

 名前が似すぎだと思う。もっとはっきりと分けてほしいものだ。

 送り犬は一度ノドをならすと、狛谷に鼻先をおしつけて押しはじめた。歩けと言わんばかりである。

「え、あ、えっと。帰れってこと?」

 狛谷は困ったようにそう言った送り犬は返答はしないものの、ぐいぐいと押すことはやめなかった。

「ちょ、ちょっと待ってよ。まだ話が終わってないし、わ、私、色々整理がついていないというか。どうしたらいいのかさっぱり分からないというか!」

 送り犬のちからは意外と強いようで狛谷の姿はぐいぐいとロッヅのいる場所から離れていく。

 ロッヅは思わず彼女のあとを追おうとした。しかし、その伸ばした手はもう一匹の犬によって遮られた。

 迎え犬だ。

 後ろから追いかけてきて、転んだら襲い掛かってくる怪異。

 よっこらしょ。と座ったように装えば襲いかかってこないらしい滑稽な化物。

 それがどう転じてか、街の外敵に襲いかかる祟り神として祀られるようになっている。

 そういうものに、この街ではなっている。

 そしてその祟り神に自分は拒絶されている。

 街に仇なす、敵対の存在だと認知されたということ。

「あ、えっと。ごめん。ロッヅくん!」

 送り犬に背中をおされながら、狛谷は頭だけを動かしてロッヅのほうを向く。

「私、いまなんだか混乱しちゃって。うまく返せない。だから、また会ったとき。そのときに答えるから! 絶対!」

 狛谷はそんな声とともに闇の中に消えていった。

 ロッヅは狛谷の背を追うのをやめて、視線を下に落とした。

 そこにいたはずの迎え犬はいつの間にやら消えていた。

 はなからそこにいなかったかのように。

 ロッヅは月を視界から外して、人の姿になった。

 戻った。ではないことは確かだ。


***


「なんていうか、なんというか。今日ほど私が『物語の住人』なのではないか。と考えた日はないと思うよ」

 点々と電灯が規則的に並ぶ夜道を歩く三つ編みの少女はそんな風に独りごちりながら、隣を歩く犬の方に視線を向けた。

 それは彼女からしてみれば犬に話しかけている。ということになるのだけれども、もちろん犬が返事をできるはずがないし、犬に話しかける人も犬に言葉が通じていて会話をしているのだと根っから考えている人はいないだろう。もしいたとしたらそれは勘違いだ。

 三つ編みの少女――狛谷柴ももちろん、犬と会話ができるとは考えていなかった。

 その犬が仮に――怪異妖怪魑魅魍魎化物、はては神とすらされてる存在だったから、もしかしたら。ということは考えたが、やはり犬は返事もすることなく、ただてちてちと歩いている。アスファルトの地面を爪で音をたてながら歩く姿はどことなく愛らしい。

 犬はどちらかといえば、狼のような出で立ちをしている。

 犬と狼は実際のところそこまで変わらない動物なのだけど、丸いのが犬で、シュッとしているのが狼だと狛谷は考えている。

 シベリアンハスキーとかはどっちなのだろう。

 さて。

 どうやらこの動物は話すことができないらしい。当然か。

 だから狛谷はそのまま独り言を続けた。

 口にだしながら整理しないと、整理できないような気がした。

「どうやら妖怪は本当にいたらしい」

「でも、あの団長は奇っ怪なるものと言っていた気がする。違うのかな。同じなのかな。分からない」

「空想のものだと思っていたそれは、本当にいた」

「もしかしたら、隣町で起きた事件も嘘ではないのかもしれない」

「そして」

「ロッヅくんは狼男だった」

 …………。

 口にしても理解は追いつかなかった。

 いや、分かった。理解はできた。

 でも、それにどう反応したらいいのかは、全然分からない。

 自分の前で困っていたり、恥ずかしがっていたり、カッコつけたり、泣いていたり、笑っていたりしていたロッヅが、人ではないのだということを突きつけられて、どう反応したらいいのか、狛谷はさっぱり分かっていなかった。

「ロッヅくんに、好きだと言われてしまった」

 そして、それもそれで困っていた。

 二つの告白に、困っていた。

 ひとつでも困ってしまうだろうに、二つも重なってしまったからもうどうしたらいいのかさっぱり分からなかった。

「うーん。えっと、だから、えっと、うむぅ……どうしたらいいと思う?」

 頭を抱えて右へ左へ体を動かして、狛谷は体をくの字に曲げて両足をクロスした変な体勢で送り犬に話しかけた。返事はなかった。こっちを見る素振りすらみせず、ただ前へ前へと歩いている。

 時折、周りを気にするように首を動かしているけれど、それぐらいだ。

 やりづらい。

 絡みのない近所の犬でももうちょっと愛想がいい。

 いやまあ、動物なんだから、そういうものなんだろうけれど。

 それにしても愛想がない。愛想というものがこの犬の中には初めから存在していなかったのではないかというぐらい愛想ない。

 こんな人を、狛谷はここ最近一人見かけている。

 あの、『ふらく』とかいう名前の死体のような人だ。

 いや、フランケンシュタインの化物でゾンビなのだから、実際死体なのかもしれないけれど。

 あれは愛想がなかった。

 なにも想っていないようだった。

 愛も想えないのだろう。

「しかし、まあ。なんていうか……困ったなあ弱ったなあ」

 明日からどうロッヅを見たらいいのかさっぱり分からなくなってしまった。どう接したらいいのかさっぱり分からなくなってしまった。

 困った。困った。

「でも、ロッヅくんはもうすぐどこかに行ってしまうから、はやく答えを決めないと。彼が一体なんなのかもしっかり理解して。それが私がするべきことだ」

 むん。と両手に力をこめる。

 あ、そういえば。

 横にいる犬も妖怪なのではないだろうか。神様だけど、妖怪だろう。

 団長さんは『奇っ怪なるもの』と言っていたけど、妖怪だろう。

 しかもご丁寧に誂えたように隣にいる犬も狼の妖怪だ。

 同じ狼の妖怪同士。なにか同じな部分があるのかもしれない。

 さっそく狛谷は送り犬を観察すべく、視線を下にうつす。

 送り犬の口は開き、目はどこかを見ている。

 首は体の向きに反していて、ねじれている。体は仰向けなのに、首はうつ伏せになっている。

 仰向けにされて晒されたお腹はまるで魚の日干しのように掻っ捌かれていて、開かれている。妖怪でも肉はあるらしく赤い赤い血が地面に滴り落ちている。

 ぐちゃり、ぐちゃり。と腹の中はかき回されて、ぼとりと赤黒くて半分液体みたいな物が腹の中からこぼれた。

 それはなんだろうか。

 考える暇もなかった。

 食われていた。

 食われていた。

 妖怪も食えるのだろうか。

 多分、種類による。

 唐傘お化けとか提灯のお化けとかそういうのは食べれないだろう。

 蕪のお化けとかは美味しいそうだ。

 ――いやいや。

 ――そういうことじゃなくて。

 食べられているのだから、食べれるのだ。

 そこに結論があるのだから、考察の必要性はない。

 だから、そこではなくて。

 すぐさま逃げるべきだ。ここから離れるべきだ。

「……ぁ」

 しかし、彼女の足はすくんでしまって動くことができない。

 悲鳴をあげようにも、頭が混乱していて声のあげかたを忘れてしまったように、声をあげることができない。

 口をぱくぱくと、酸素を求める魚のように動く。

 声。声をださないと。声、私の声ってなんだっけ。

 足。足を動かさないと。足、足ってどうやって動かすんだっけ。

 明らかに混乱していた。足元でする咀嚼音が毒のように体に染み込んできている。

 犬を食べているモノは、犬と同じように体毛で全身を覆われていた。

 動物だろうか。尻尾も見えるし。

 しかし、犬を食うたびに動く体にあるでっぱりは明らかに肩だ。まるで肩パットを皮膚の下に埋め込んでいるかのようだ。

 そこから下に落ちるようについている腕は細く、しなやかそうに見える。

 指は五本で、爪は三角に尖っていて、テラテラと生々しく月の光を反射している肉を掴んでは口元に運んでいる。

 いや、手で口元に運んでいるというよりは、手で掴んだものに口を運んでいるという方が正しいか。

 がっついている。子供がああやって食べていると親はその手を叩きながら「犬じゃあないんだから」と叱っただろうか。

 犬。

 確かにそれの口は伸びた鼻先を横に切り裂くようにあって、開くたびに覗く牙は鋭く、犬――というよりは狼のようだ。

 ――でも。

 ――犬や狼には腕はない。

 こんな、肩パットを埋め込んでいるみたいな肩もない。

 じゃあこれは、一体。

 つい先刻前の狛谷ならば混乱しただろう。今までの、常識の外にあって、日常の範疇外に存在していた――存在していなかった彼らを認識してしまう前の彼女ならば。

 しかし今は違う。

 フリークショー。クンストカメラ。

 そこで見た、人ならざるモノたち。

 人ではないモノたち。

 彼らの存在を認知している。

 だから、送り犬に対してもそこまで驚かなかったし――驚く気力がなかったとも言える――目の前にいるモノがナニなのかも理解できた。

 口にする。

 さっきまで話していた相手を思いだしながら。

「狼男――」

 血走った理性なき、野性的な眼が狛谷の方を向いた。

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