ヴぁんぷちゃんも、バイトはする。

「あーもう、ムカつくムカつく!」

 月明かりの下、そんな風に怒りを露わにしているルーミアの服装は、いつもの黒色のドレスではなかった。

 無論、ワンピース風のキャミソールでもなく、青色の作業衣で身を包んでいて、頭には『安全第一』と書かれた黄色のヘルメットを被っている。

 彼女の背後からはドドドドと、コンクリートブレーカーがアスファルトを破壊する音が響き、周りには防音シートが張り巡らされている。

 その前で、愚痴をこぼしながら彼女は誘導棒を振って、車に指示を出していた。

 ルーミア・セルヴィアソンは吸血鬼であるが、それ以前に生き物であり、社会で生きていくものであり、そして、一人の女の子である。

 食事は時たま人を襲えば事足りるが、血ばかりだと飽きるし、他の食べ物を食べたい時もある。

 それに住んでいるボロアパートの家賃と水道代もあるし新しい洋服とかを買いたい。

 だからルーミアはこうしてアルバイトをしている。

 別に吸血鬼の能力の一つである魅了チャームを使えば、働かなくとも下僕と化した人間たちが毎日彼女の欲しいものを献上してくれるのだが、なんというか、大きな古城に住んでいた時ならともかく、今の古びたボロアパートで人に養ってもらうと言うのは、威厳とか尊厳とかかなぐり捨てているような気がして、あまり気が進まずに、こうしてルーミアは働いている。

 とはいっても、実際は四世紀生きていても、見た目十歳前後の女の子である彼女がこうして働くために、結局、魅了チャームは利用しているんだけど。

「そういえば知ってるかいルーミアちゃん。最近ここいらで人殺しがあったらしい。おっかねえなあ」

「そうね、おっかないわね」

「どうした? なんだか機嫌が悪そうだな」

「なんでもないわ、あなたも速く持ち場につきなさい」

 相手のほうが立場が上でも、格下だと思っている相手には、ルーミアは傲慢な態度を取り続ける。

 しかし、既に魅了チャームにかかっている現場監督は、年下(に見える)新入りのその態度に目くじらを立てることなく、自分の持ち場に戻った。

 ルーミアの仕事場は、水道管の工事現場だ。

 巨大な穴が空いている場所の前に立ち、やってくる車に対して、ここは通れないから遠回りをしてくれと、手に持っている赤色の誘導棒で知らせる仕事だ。

 これといった責任問題も発生しないし、夜でも出来るアルバイトとしては、中々申し分のない仕事だからか、ルーミアはこの仕事を気に入っているまではいかないにしても、好意的に捉えている。

 それに、日本人は基本的に文句を言ってきたりせずに、素直にそのまま曲がってくれるから、楽な仕事だった。

 しかしどうやら、それでも例外というものはいるもので。

「おう、だからさっさとそこをどけと言ってんだろうが、ああ?」

「……だから、ここは通れないと、何回言ったら理解できるのかしら?」

 あくまでも傲慢な態度を崩さないルーミアの前には、一台の軽自動車が止まっている。

 車の内部は至るところがふかふかのピンクのじゅうたんに埋め尽くされ、その上にはなにやらファンシーなぬいぐるみが置かれている。

 しかし、それを運転しているのはピンクとかそういう色が似合わない、染めあげられた金髪の、少しヤンチャしてそうな出で立ちの男だった。

 隣の助手席には、プリン頭の女が座っている。

 そんな二人をフロントガラス越しに一瞥してから、ルーミアは小さくため息をつく。

「それともなに? こんな事さえ理解できない程度にまで、その小さな頭に入っている脳は萎縮してしまってるの?」

「あ゛ぁ!? だから言ってんだろうが!」

 運転席の横にあるドアに付随している窓から上半身を乗りだして、金髪の男はルーミアが誘導棒で誘導させようとしていた方を指さす。

「あっちに行ったら遠回りになるだろうがよ!」

「……だから、その遠回りをしてくれと、私は頼んでいるのだけど?」

 こんな奴相手でも下手にでなければならないのが、この仕事の唯一にして最悪の欠点ではある。

「そこに道があんだろうが、一台ぐらい通っても別に問題はねえだろ」

 金髪の男はルーミア、ではなく、その背後をあごで挿した。

 確かにルーミアの背後には、車が通るには充分の幅の道がある。

 ただしそこは。

「あそこは工事の重機が通る用よ。あなたのそのちんけな車が通るためにあるわけじゃないの」

「……おーし、分かった」

 乗りだしていた上半身をひっこめて、金髪の男はエンジンをかけた。

 ようやく理解してくれたか、とルーミアは猿を見るような目で運転席にいる男を見た。

 男の目は、ルーミアの背後を見たままだった。

「……?」

 ――曲がるのなら、普通、その方向を見るものよね?

 エンジンがかかり、車のタイヤは右を向いたりせずに――正面、ルーミアの方を向いたまま回転を始めた。

 まさか、とルーミアが思ったその時。

 男はルーミアの存在をまるで気にすることなく、車を直進させた。


 ***


「ほら見ろ。やっぱり通れるじゃねえかよ」

「ねえ、もしかしてさっきの女の子、轢いちゃった?」

 舗装されていないデコボコの道を無理矢理走っている軽自動車の中で、助手席に座っているプリン頭の女は、運転席にいる金髪の男に尋ねた。

「さすがに避けただろ。ぶつかった音もしなかったしよ」

 男は気楽な風に言う。

 轢いた所でだからなんだ。と言いたげな表情だった。

「そう……?」

「どうした、なんかあったのか?」

 なにか腑に落ちない様子の女に、男は尋ねる。

 女は一度「うん」と言ってから。

「なんかさっき、あの女の子にぶつかった時にさ、コウモリが見えたんだよね」

「コウモリぃ、なんだそりゃ?」

「コウモリも知らないの? あなた想像以上の無知なのね。後、もう少し大人しく運転できないの?」

「うるせえな、道がデコボコしすぎなんだよ」

 舗装されていない道を鬱陶しそうにフロントガラス越しに睨みながら男は言う。

 車のタイヤは、地面に転がる石を弾き飛ばしたり、それを乗り越えたりしながら進んでいるからか、揺れがいつも以上に酷いものがあった――後ろ?

 男はそこで気づく。ようやく気づく。

 車の中にいる、自分とプリン頭以外の存在に。

「っ!? 誰だっ!」

「運転中は」

 サクリ、と。

 首だけを動かして背後の確認をしようとした男の首から、長い長い爪が突き出てきた。

 それは男の血で赤く濡れていて、男の口から、一瞬、空気の抜けたような声が漏れる。

「前をちゃんと向きなさい。それか、ブレーキをかけるか、ね」

 さながら刃物のような鋭利な爪は、そのまま水平に、男の首を斬った。

 ピシャリ、と男の右側にある窓が赤く染まり、男の身体は力なく前のめりに倒れ、ブレーキを踏みながら息絶えた。

「きゃっ!?」

 急ブレーキで車は止まり、プリン頭の女はフロントに頭をぶつける。

 痛い。痛い。

 頭が痛いし、混乱している。

 何が起きたのか、さっぱり理解(わか)らない。

 すべてが一瞬のこと過ぎて、なにがどうして、どうなってしまったのか、頭の理解が追いつかない。

 唯一分かっているのは、男が爪で首を掻っ切られた事ぐらいで……。

 ――爪?

 ――そう言えば止まる前に、後ろから声がしたような。

「……不味いし、ドロドロ過ぎ。かなり不健康な生活をしてたのね」

 彼女がなんとか、頭の中の整理をつかせた時、背後から不機嫌そうな、しかしどこか気品のある、鈴を転がしたような声が、確かに聞こえた。

 もちろん、さっきまで後部座席には誰もいなかったはずだ。

 車に乗っていたのは、自分と、隣で既に事切れている彼だけ。

 でも確かに、誰かが乗っている。座っている。

 それが分かっただけでも、彼女の体を強張らせるには充分だった。

 ごくり、と生唾を呑み込む。

 そしてゆっくりと、ぎこちないながらも、首を動かして後部座席を覗き込んだ。

 そこには、一人の女の子が座っていた。

 ありきたりな表現かもしれないが、まるでお人形のような女の子だ。

 まだ十歳にもなってないんじゃないかってぐらい小さく、暗い夜の中で、一際目立つきらびやかな銀髪。長いまつげに、ぱっちりとしたルビーのような赤い瞳は、しっかりと女を捉えている。

 女の子はドレスを着ていた。

 どんな暗闇よりも黒いドレス。

 フリルやレースがふんだんにあしらわれていて、見ようによっては愛らしいというか、可愛らしい女の子だったが、女の目にはそれがとても美しく見えた。

 とても耽美で、ひどく端麗で、つい屈服してしまいそうなぐらいに、それは美しかった。

「まあ」

 健康的な桜色の唇がゆっくりと動く。

 その口から、白い牙のようなものが垣間見えたような気がした。

「そいつの、まるで泥みたいな不健康の代表のような血と比べれば、誰のものでもマシだとは思うけれど――あなたは、大丈夫よね?」

 少し不機嫌そうな声が、耳の中に浸透していく。女は熱い吐息を漏らす。

 顔も段々と熱くなっていく。

 ――大丈夫って、つまり健康かどうかって事?

 ――ああ、なるほど。私は今日この日のために、健康に気を遣ってきたんだ。

 そんな事すら、考えてしまう。

「私の名前は、ルーミア。ルーミア・セルヴィアソン」

「ルー……ミア……」

 胸の辺りに手を添えながら名乗りあげられた名前(それ)を、女は一文字一文字を確認するように、反復する。

 ルーミアと名乗る女の子はそれを聞いて、ニコリと笑った。

 それだけで女の心臓は、破裂してしまいそうなぐらい、早く、強く、鼓動を繰り返す。

 少しでも早く、少しでも多く、新鮮な血液を全身に回そうと、いつも以上に心臓ポンプは動き続ける。

 動機が激しくなって、呼吸も荒くなる。

 胸ぐらを掴みながら、濡れた吐息を漏らす。

「……あは」

 そんな女を見て。

 女の子はむせ返るような血の臭いの向こう側で、凄惨に、悲惨に、残酷に、嗤った。

 なんだかとても嬉しそうに、口元を緩めた。

 その笑みで、女の顔は更に赤くなる。

「ねえ」

 女の子は深く腰をおろしていた席から体を持ち上げて、助手席に座っている女に迫る。

 赤い瞳に自分の顔が映るぐらいにまで、女の子の顔が近づいてくる。

「お願いがあるんだけど」

 息がかかるほど近くに女の子の顔が迫り、女は思わず目を閉じてしまう。

 そのまま女の子は、女の首筋に、さながら、首に流れる血の臭いを嗅ぐように、頭を預ける。銀色の髪が、女の首をくすぐる。

 女の首筋に頭を埋めて、白い牙をちらつかせながら、女の子は、頼み込むように、命令をする。

「あなたの血を、貰ってもいいかしら?」

 返事は、すぐに返ってきた。

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