校長室

 校長室へと向かう途中、宿梨すくなしと鉢合わせた。


「おう、巧厳こうげん


「や、やぁ……」


 一瞬、宿梨も前の世界のことを覚えていないのではないかと身構える。


 宿梨が大きく溜め息をついた。


「参ったわ。女の子に声かけても『優等生の宿梨くんが、そんなことするはずない』ってキラキラした目で言われるしよ。三年生に喧嘩吹っかけてみても、むしろ、ありがたがられちまうぐらいで、オレがオレぢゃねぇみたいだわ」


 辟易したような口調に、巧厳は少し安堵する。


「"やどなし"、キミは前の世界のこと、覚えてるのか?」


「当然。――多分、将成とか言ったガキが過去を変えたせいなんだろうが」


「クラスのみんなが、全員ミライトになったみたいなんだけど」


「らしいな。うちの高校、どうやらミライトの養成校みたいになってるっぽいわ」


 そうこう話しているうちに、二人は校長室のドアの前に辿り着いた。


「失礼します」


 巧厳がドアをノックする。


 すると中から、「入れ」と、どこかで聞いたことがあるような声がした。


 恐る恐るドアを開ける。


 中にいたのは――、


万骨ばんこつさん?」


枯恋かれんちゃんぢゃねぇか」


 だが、中にいた枯恋は不思議そうな顔で二人を見返した。


「あれぇ~? なんであたしの名前知ってるの? 確か、二人とも初めましてだったはずだよね?」


 どうやら、枯恋は前の世界の記憶がないらしい。


 それから、巧厳は校長席に座る人影に目を向けた。


 逆光になっていて顔がよく見えなかったが、そこに座っていたのは紛れもなく――、


「い、石動いするぎさん?」


めいさん?!」


 座っていたのは紛れもなく、始まりのミライト・石動鳴その人である。


 巧厳も宿梨も、驚いて後ずさった。


 鳴が嬉しそうに声を上げる。それから、ゆっくりと立ち上がった。


「よく来た、そのほうら。久しぶり――と、言いたいところだが、そのほうらにとっては一日しか経っておらぬのかの?」


 巧厳は急なこと続きで思考が停止している。


「久しぶりって、どういうこっちゃ?」


 宿梨が聞いた。


「久しぶりと言ったのは、前の世界のことを覚えているそのほうらに会ったのが、久しぶりという意味よ。入学したときにも顔を合わせたが、そのほうらは前の世界のことを忘れておったからの」


 自分の記憶にない自分の話をされて、巧厳は落ち着かない気持ちになる。


 今の世界でも自分は十五年間生きてきて、そこへサッと前の世界の自分が入れ替わったということなのだろうか。それでは、今の世界の自分は消えてしまったのだろうか。


 そんな巧厳の心中を察したのか、鳴が笑った。


「心配することはあるまい。急に前の世界の記憶が流れ込んだせいで、今は混乱しておるだろうが、じきに記憶が馴染めば今の世界のことも思い出すであろう」


「っつうかよ、鳴さん。この学校は一体どうなっちまったんだ? それから、オレたちを呼び出したのって、やっぱアレか?」


 宿梨がいてもたってもいられないというふうに尋ねる。


「ふむ。まぁ、焦るな。そのほうらもすでに気づいておるやも知れぬが、この祭文さいもん高校はミライトを養成する特殊任務を負った高校として四年前に再スタートを切っての」


「四年前? っつか、どうして鳴さんは今の世界の記憶を持ってるんだ?」


「おや。まだ気づかぬか。余も大したものよの」


 鳴はひとしきり嬉しそうに笑うと、校長の事務机から前に出て三人の前に立った。


「余は将成に十五年前に飛ばされたのだ。それからというもの、余は一人で人類の進化のために尽力しておったのよ」


「え? え、ええぇぇっっ!?」


「ハイィィ?!」


 巧厳と宿梨が驚きの声を上げる。


「ちょ、ちょっと、じゃあ、石動さんは今一体いくつなんですか?!」


 躊躇なく女性に年を尋ねる巧厳を、鳴はやれやれといった様子で軽くにらんだ。


「以前は枯恋より一つ年上であった。あとは計算せよ」


「ちょっと~! 鳴先生も、お二人も、わたしを忘れて何を話してるんですかぁ?」


 名前を出された枯恋が声を張り上げる。


 だが、巧厳は枯恋には見向きもせず、鳴のほうを見つめていた。


 以前の鳴が自分より年下であったことにも驚きだが……。


 確かに、天上の美とも言える完璧な美しさはそのままだったが、ふっくらしていた頬は痩せて、少し大人びたように見える。それは容色に衰えをもたらすどころか、より凄絶で円熟した美しさをもたらしているようだ。


「どうやら、人口に比して数万分の一ほどのミライトが確保できれておれば、能力の共鳴によって、余の力なしでも新たなミライトが生まれることが分かっての。ミライトに目覚めるのが脳の発達しきった十歳頃から思春期にかけてがもっとも多いため、専門的な教育が必要であると考え、この高校をミライトの養成機関にしたのだが」


 鳴の説明も、巧厳と宿梨の耳には入ってなかった。


「ぢゃ、ぢゃあ、鳴さん、三十路……」


 宿梨が恐る恐ると言った様子で鳴を指差す。


「よかろう。二人とも、淑女に対して礼を失した罪で、罰を申しつける。追って沙汰するよって、覚悟しておくがよい」


 鳴が冷たく言い放った。


「あ! すっ、すんません、鳴さん!」


 宿梨はすぐさま頭を下げる。巧厳はまだ呆然としていた。


「それで、枯恋が来た理由を二人はもう知っているかと思うがの」


 巧厳がハッと目を見開く。


「な、何度言われても、ボクらはどっちも女になるつもりはないからな!」


 すると、枯恋は不思議そうに首をかしげた。


「そうだよ。だから、あたしが来たんだから」


「え? どういうこと?」


 思わず声を上げた巧厳に、鳴が告げる。


「巧厳、そのほうもミライトなのだ――!」

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