夜が明けて
翌日。
昼ごろになって、
「それでですね、アルビオンさまが長年蓄積した月の力を開放したじゃないですか。月の力をまとって戦うとか、そーきたかって感じですよ! あの姿がもうカッコ良くて!」
彰子が楽しそうに話すのを、巧厳は機嫌悪そうに聞いている。
「……でも、あいつ負けたじゃん。主人公に」
「そうなんですよ! ズルいと思いませんか? 桃太郎のやつ、ハーフ・ヴァンパイアのくせして、いきなり父である真祖の力を目覚めさせるとか。チートですよ、チート!」
彰子が熱く語っているのは、少年漫画誌で絶賛連載中の"ヴァンピーチ"という漫画に出てくるキャラクターのことだった。
自らもヴァンパイアの血を引いたハーフ・ヴァンパイアの主人公が、月夜に人間を狩るヴァンパイアたちとの死闘に身を投じていく物語である。中でも、彰子は"
「月の力を溜めるのに百年もかかるんですよ。その努力の結晶の姿を一瞬で台無しにしたばかりか、あいつ、アルビオンさまを食いやがって! でも、アルビオンさまはヴァンパイアの特性として超回復能力を持ってますけど、あのときは月の力でそれが倍増してたんですよ。もしかしたら、いつか復活するかもです!」
「ないだろ。もし仮に今、出てきても、桃太郎に瞬殺される」
少年漫画にお約束のパワーインフレに言及しながら、巧厳は浮かない顔だ。
(嬉しそうに、アルビオン、アルビオンって)
自分のことをフった相手が他の男のことについて嬉しそうに話すのは――それが漫画のキャラクターであっても、何とも癪に障るものだと巧厳は学んだ。
(それに、昨日だって……)
さほど広くもないビジネスホテルの一室、クイーンサイズのベッドに二人きり(+一枚)というシチュエーションで、巧厳は焦っていた。
『ど、どうするのさ。ベッド一つに、男女二人って』
『はい、ですから……』
そう言って伸びた彰子の手は巧厳の頬をかすめ、常夜灯のスイッチを消した。
真っ暗になった部屋で、彰子の荒い息遣いだけが聞こえていた。
そして――、
『じゃ、わたしはこっちで寝ますから。逃げようとしないでくださいね!』
と言ってきびすを返すと、自分(と、ドアノブ)を二次元化してドアにはりついたのだった。
(まぎらわしいんだよ、まったく!)
ほんのわずかでもドキドキしてしまった自分が腹立たしく、巧厳は昨夜からずっと機嫌が悪い。だが、そんな巧厳にはお構いなく、彰子は昨日から何やら機嫌良さそうに見える。そのことが巧厳を一層いらだたせていた。
「――やっぱ、桃とアルビオンのホモ漫画とか読むんでしょ?」
不快そうにしていることすら気づかない彰子に、つい意地の悪い質問を投げつける。
「そ、それは誤解です! 女子のオタクがみんな腐女子だと思ったら大間違いですよ!」
彰子が熱く持論を語り始めた。
誰も得しないオタク論が展開する中、車は渋谷駅に近づいていた。青山方面から宮益坂を下り、渋谷駅前へ出る。
「そりゃ、嫌いってわけでもないですけど、メインではないといいますか……って、あれ?」
運転をする彰子の言葉が、不意に途切れた。
一日に二四〇万人もの人が横断するという、世界で一番通行量の多い駅前のスクランブル交差点で、何やら騒ぎが起きているらしい。
「ん? なに?」
後部座席の巧厳が身を乗り出して外を見る。
「何でしょうか、デモか何かですかね……?」
「ってか、あれ、機動隊じゃないか?」
巧厳の言う通り、交差点では盾を持った機動隊が、一般人と揉みあっている様子だ。
「困りましたね、これじゃ通れないじゃないですか」
「あれ? じゃ、何で今まで車は流れてたんだ?」
巧厳がもっともな疑問を口にした途端――、
交差点へと差し掛かっていた前方の車が、竜巻にでも飲みこまれたかのように、上空に跳ね上がった。巧厳は窓から顔を出し、空を見上げる。
「なんだぁ!?」
車ははるか上空へと消えていった。
轟音と共に、前方の車が次々と跳ね上がっていく。
次は巧厳たちの車という番になって、不意に、音が止んだ。
「あれは……」
車の前に、一人の男が立っている。
シェパードのように精悍な顔をした長身の男。巧厳はもちろん見たことがある。
「"やどなし"!!」
「"やどなし"ぢゃねぇ。
宿梨は笑って巧厳の言葉を否定する。
ゆっくりと車に近づいてくる宿梨を、機動隊員たちが一斉に取り囲んだ。
「よう、巧厳。待ってたぞ」
武装した機動隊員たちに取り囲まれた宿梨は、まるで気にしていないような顔で巧厳に話しかける。
「一体、何の用だ? それに、後ろのやつらは」
宿梨の後ろには年齢も服装も様々な男女が百人近くついて来ていた。小学生にも見える少年が手をかざすと、強風が吹いて、機動隊員たちが次々になぎ倒されていく。
「あぁ、こいつらか? こいつらはみんな、
「鳴さん配下、だって?」
「おう。……それでよ、わりぃが、巧厳。てめぇ、女になれ!」
笑顔のまま、宿梨が告げた。――すると、なぜか運転席の彰子が噴き出す。
「い、今、『オレの女になれ』って……!」
「ちょっ! 別に"オレの"とは言ってなかったからね! ってか、
「そっ、率先して探さないだけで、いただけるなら美味しくいただくんです!」
彰子のきりっとした顔を見て、巧厳は「えええ~」と呆れ顔をする。
彰子の顔が途端に赤く染まった。
「いや、その……、ごめんなさい」
そのとき、宿梨が運転席の横に立って、窓をノックする。
パワーウィンドウを開いて、彰子が「何でしょう?」と顔を出した。
「真壁ちゃんって言うんだ、可愛いぢゃん。巧厳なんかと一緒にいて疲れない?」
「え!? いえ、その、大丈夫ですけど……」
「すっげぇ可愛いのに、惜しいな。いつも笑ってたらもっと可愛くなるのに、巧厳に何か言われて、すぐうつむいちゃったからよ。それで、心配んなって」
「えええ!? あ、ありがとうございます……」
さっきよりも真っ赤になって彰子はうつむく。
「ほら、そうやってすぐうつむく。こっち向きな? 大丈夫、自信持っていい。めっちゃ魅力的だからよ」
そう言うなり、宿梨は長い人差し指を彰子のあご下に滑り込ませ、火照った顔を上げさせた――。
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