男女二人、ベッド一つ

 やや薄暗いホテルの一室に、しきのやや興奮した声が響く。


「バッカ、そっちじゃねぇよ。この童貞! もっと上、上! んもう、下手くそ!」


「えっ? わ、悪い。ここか……?」


「ああんっ! もう、バカ! あせんないで、もっとゆっくりぃ」


 巧厳こうげんは色のポスターを胸に貼りつけるようにして、スマホを操作している。色がヒマだというので、色にも見えるようにスマホゲームをやっていたのだ。


 その様子を見て、彰子しょうこが楽しそうに笑う。


「うふふ。巧厳くんの格好を見ていると、なんだか、美少女アイドルを物凄く愛している人のように見えますね」


「うぇっへぁ!」


 変な咳が出た。


「この調子で、モニターに向かって祝うクリスマスイブとかも再現してみましょうか」


「や、やめてくれよっ」


 確かに、ポスターの世話をかいがいしく焼いている今の巧厳は、いわゆるオタク人種と大差ないような行動を取っている。もっとも、巧厳自身も読書オタクであり、アニメ等を見ないだけで、精神性はアニメオタクやアイドルオタクに近いものがある。


「いいね、それ。面白そう。ウチは協力するよ。妹の写っているモニターとクリスマスを祝う兄か……。いい脅しのネタになる」


「色、お前も乗るんじゃない!」


「なによー。じゃ、オメーは可愛い妹がクリスマスを祝えなくてもいいっての? こんな紙の中で、一人淋しく泣いてろって? 智紀とちゅーも出来ないんだからね。きっとすぐフラれちゃう。オメーぐらい一緒に祝ってくれたっていいじゃんね」


「い、いや、まぁ、同情はするけど」


 妹に強く出られると、言い返せないところがある兄である。


「……っていうか、キスなら出来るんじゃないか?」


「バカか。舌入れらんねぇだろ」


「あぁ、うぅ」


 巧厳は言葉を失った。


「お互いに舌を絡めあうちゅーがどれほど気持ちいいのか知んねーの? 智紀はちゅーが大好きなの。出来ないとなったら、きっとすぐ他の女にかっさらわれる」


「わ、分かった。分かったから。ボクが悪かった」


 慌てて色の言葉をさえぎり、話の矛先を彰子へと向ける。


「っていうか、真壁まかべさん。やっぱり、同じ部屋で寝るわけ?」


 彰子は申し訳なさそうな顔をした。


「ええ、はい。一応、逃げないように監視をしていないといけないので……」


 彰子がリザーブしてあったらしいビジネスホテルの一室に、巧厳たちはいる。めいからの追手があると予想されるため、しばらくホテルを転々とする予定らしい。学校には公欠の届けがすでに出されている。――もっとも、校舎が校庭の中央に大移動したのだ。すぐに授業再開とはいかないだろうが。


「そんなことしなくても、逃げたりしないけど」


「うふふ。大丈夫ですよ、巧厳くん。わたし、変なことしたりしませんから」


「げふっ! い、いや、そういうことじゃなくてさ!」


 そのとき、巧厳はあることに気づいて彰子をにらむ。


「そういえば、キミさ、ボクのことを"くん"って呼ぶようになったよね」


「あっ、ごめんなさい! ……その、嫌でした?」


「別に、嫌じゃないけど……」


 何だか納得のいかない巧厳である。


 すると、やや恨みがましい調子で彰子が巧巌をにらみ返した。


「そういう巧厳くんこそ、さっきからわたしを"キミ"って呼んでますけど、巧巌くんは年下ですよね?」


「え、真壁さんっていくつなの? もしかして、先輩なわけ?」


「ハァ……。さっき、わたしが運転する車でここまで来たの、忘れました?」


 普通自動車免許の取得が可能になるのは満十八歳からである。高一の巧厳よりも年上で当然なのだが、『真壁さんはミライトだし、特別なのだろう』などと、あまり深く考えていなかったのだった。


 彰子は大げさにため息をついた。


「この春、高校を卒業しました。今は地方公務員をやってます。鈍臭いながらもお仕事を頑張ってたら、お父さんに呼び戻されて、小間使いみたいにされてますけど」


「そ、卒業? じゃ、社会人じゃん」


 巧厳の目が自然と彰子の体のある一点に向く。


「み、見ないで下さい! 高校でも良く言われてたんです。真壁の胸は壁みたいって」


 彰子が貧乳を隠すようにすると、巧厳は慌てて釈明した。


「い、いや、そういうつもりじゃなくて……」


 では、どういうつもりなのかと聞かれても、答えられないのだが。社会人相手なら、彰子に対する接し方を考え直さねばならないかも知れない。


「そっかぁ、じゃ、敬語で話さないといけないな」


「え? べ、別にいいですよ? 巧厳くんなら、敬語じゃなくても……」


 そう言って、彰子が顔を赤くする。


(あれ? 何だその反応。――でも、さっきフラれたはずなんだけど)


 ほんのついさっきフっておきながら、顔を赤くしたり、くん付けで呼んだり、気があるようにも思える行動をする。その心理が、巧厳には分からない。


 なんだか釈然としないものを感じむすっとする巧厳に、顔を赤くしたまま彰子が告げる。


「じゃ、そろそろ寝ましょうか……?」


「え、でも、ここベッド一つしかないじゃん」


「あの、ツインとダブル間違えちゃって」


 巧厳たちの泊まるダブルの部屋には、クイーンサイズのベッドが一つあるのみだ。


 ベッドに座っていた巧厳に、彰子がゆっくり近づいてくる。


「ど、どうするのさ。ベッド一つに、男女二人って」


 巧厳がうろたえていると、彰子はうるんだ目をして巧厳の目を真っ向から見つめた。


「はい、ですから……」


 彰子の手が、巧厳の頬へと伸びる――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る