それは始まることなく
「ボクが――ミライトだって?」
「そう。しかし、ちと成績が悪い。よって、
「す、すみません。もう少し順を追って話して下さい。っていうか、
本当なら、今すぐにでも計画を始動させなければならないはずだった。
「もちろん、すでに手は打ってある。生徒たちの血を抜いて検査するような計画は事前に止めさせたし、将成のことは、余と他数名のミライトしか知らぬ。それに、将成を政治に利用などすることはできまい。過去を変えたところで、その変えられた過去こそが歴史になるというのに、一体誰が恐れ入ってくれるのかの?」
確かに、将成の力は脅威だ。しかし、その能力を証明しようにも、過去が歴史になってしまったら、誰も将成の仕業と信じることはないだろう。巧厳だとて、前の世界の記憶を取り戻さなければ、今の世界に馴染んでいたはずなのである。
「巧厳よ。そのほうの能力はロール・キャンセラーという」
「ロール・キャンセラー?」
「左様。与えられた役割を否定する能力よ。――ただし、その効力は非常に弱く、細胞の一つにも効果が及ぶかどうかでしかない。精度も悪く、そもそも自分以外の対象に能力を通わせることも苦手ときている。だが、そのほうなら、そんな何の役に立つか分からない能力に、意味を持たせることも出来るのではないか?」
「意味――?」
巧厳は鳴に問い返そうとして「あっ」と小さく声を上げた。
「気づいたな」
鳴が嬉しそうに笑う。
巧厳は呆然とつぶやいた。
「ロール・キャンセラー。役割を否定する能力。細胞一つに効果が及ぶ――。その能力があれば、iPS細胞の研究が大きく躍進する……!」
iPS細胞――人工多能性幹細胞。通称"万能細胞"である。
全ての細胞に分化しうる可能性を秘めた細胞だ。拒絶反応のない移植用の臓器を新たに生成できるとあって、再生医療の分野にも応用が期待される技術でもある。
その技術に巧厳の能力を合わせれば、男性の細胞から卵子を作ることも可能になるはず――つまり、同性間の配偶が可能となるのだ。
「もちろん、倫理的には問題のある技術であろうがの。幸い、
鳴が大きく頷く。
巧厳は急に未来が開けた気がした。
「おい、どういうことだ? んぢゃ、女にならなくてもいいってことか?」
その手を払って、巧厳は「そういうこと」と小さく告げた。
宿梨が喜びの声を上げる。
「おお、まぢか! なんか分からねぇけど、やったぢゃねぇか! これでテメェみてぇなやつとセックスしなくても済む!」
その言葉に巧厳が噛みついた。
「だからっ! 元から、人工授精で代理出産って話だったし、セックスはしない予定って話だったろ。ってか、ボクだってキミみたいな野蛮人とセックスなんて御免だ! 本当はボクの崇高なDNAと、キミみたいな野蛮人のDNAをかけあわせることさえ怖気が走るくらいなのに!」
「んだと、てめぇ! やるかァ?」
宿梨が巧厳のえりをつかむ。
「ハン! 喧嘩でしか物事の優劣をつけられないのは哀れだな。それに、キミはいっぺんボクに負けてるだろう。あれはハンデがあったからなんて言い訳するのか?」
「負けてねぇよ! テメェのほうが先に気絶しただろうが」
「いいや、キミのほうが先だね!」
殴り合いの喧嘩になりかけた二人を鳴が止めた。
「こらこら、二人とも。やめよ」
宿梨が大人しく引っ込む。宿梨は鳴に対してはやけに忠実なところがある。
「さて、巧厳。そのほうにはもう一つ用事がある」
そう言って、鳴は机の上に置かれたノートパソコンの画面を巧厳に向けた。
「彼女は、前の世界の記憶が残っておらぬようだがの」
画面には巧厳と逃避行をともにした――
「――枯恋ちゃん、ちょっと出てようぜ」
画面を見た宿梨が、枯恋を連れだって校長室を出て行った。
巧厳はふらふらと画面の方へと歩く。
「では、ミュートを解除するぞ」
鳴が巧厳の肩に手を置いた。
小さなノイズの後に、彰子の声がスピーカーから流れる。
「あ、あれ? 石動先生? 話したい人ってこの方ですか? あれ、石動先生?」
困ったように微笑む彰子を見て、巧厳は胸からこみあげてくるものを感じた。
やはり、彰子は巧厳のことを覚えていないらしい。
「真壁さん……」
「あ、はい。初めまして。真壁彰子と申します。ええと、お名前は……」
「巧厳……、巧厳
「巧厳くんですね? 巧厳くんは高校生ですか?」
しかし、巧厳は彰子の問いには答えず、逆に問い返す。
「あのさ、真壁さんは、今どこにいるの?」
「あ、はい。わたしですか? 今、わたしは鳴先生のご尽力で、ハーバード大学っていうところに留学してますけど……」
「じゃ、今これ、アメリカからかけてるの?」
巧厳は驚いた。ハーバードと言えば、言わずと知れた世界一の大学である。
巧厳が言葉を失っていると、鳴が解説した。
「彰子もここの卒業生なのだ。アメリカにもミライトは少しずつ増え始めておる。彰子の能力は要人警護にも使えるが、爆弾を運ぶのにも使えるからの。能力の平和利用についてしっかり学びたいというので、アメリカで生まれたミライトに能力のトレーニング方法を指導してもらうのを条件に、留学してもらっておる」
「あの……、真壁さん。やっぱ、アルビオンが好きなんですか?」
巧厳が聞くと、彰子はあっけらかんと答える。
「あはは。
今が充実しているような彰子の答えに、巧厳は何も言えなくなった。
「それじゃ――、またいつか」
「はい。巧厳くんも勉強がんばって下さい」
ようやく短い別れの言葉を発し、回線を切る。
もしかしたら友人に、――いや、それ以上の関係にだってなれたかも知れない相手との関係は、あっさりと、あまりにあっけなく幕が下りた。
「気は済んだかの?」
「えぇ。まぁ……」
悶々としながら、巧厳は校長室のドアに手をかける。
そこで、ふと鳴を振り返った。
「――そうだ。石動さんに聞きたいことがあったんですけど」
「なんであろうの?」
鳴がいたわるように尋ねる。
「石動さんはその体のまま十五年前に飛ばされたんですよね? じゃ、飛ばされた石動さんとは別に、世界にはもう一人の石動さんが存在することになりませんか?」
鳴が過去に渡ったことで、世界が変容し、巧厳らの意識が今の世界に宿った。
巧厳たちは意識だけが新たな世界に飛んだようなものだが、鳴はそうではない。将成の能力によって、文字通り、新しい世界である十五年前の世界に飛ばされたのだ。
そこには、十五年前の、産まれたばかりの石動鳴その人もいたはずである。
「その石動さんって今どうしてるんですか? それとも、昔の映画みたいに、同じ存在が同じ空間にいてはいけないってことで、会ったり触れたりしたら、溶けて消えちゃったりするんでしょうか?」
「そのようなことはあるまい。余は施設の育ちで、父母の顔も知らぬのだが……。過去に戻って真っ先にしたのは、自分自身を引き取って育てることであった。引き取るまでには問題も多かったがな」
「そ、それじゃ」
「あぁ。今は
巧厳は最強のミライトの力を思い出し、身震いする。
「それは……、考えておきます」
すると、鳴は笑って「そのほうなら、良い先輩になる」と言った。
巧厳は一礼して、校長室を後にする――。
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