第三章 壁に耳あり
妹はお色気担当
下校中の集団に混じって、最寄り駅までの道をひた走る。
「な、なんだよ、あいつら! 校舎を持ち上げるなんて、ムチャクチャだ!」
コンクリートの塊に押しつぶされた
「し、死んでないよな。
巧厳があの場に残ったところで、枯恋を助けることはできなかっただろう。あの場から逃げ出した自分の判断は間違ってはいなかったのだと、そう思い込もうとするが、後味の悪い罪悪感が、巧厳を責め続ける。
「そ、それより、人質とか言ってたけど、まさか本当に人質なんて取ってないよな?」
絶えず思考を口に出していないと落ち着かなかった。もしも、後ろから
自宅の最寄り駅で降り、自転車に乗って自宅へと走る。
「あ、あれ?」
自宅の前に、見かけない黒塗りの車が停まっていた。
「あれ、なんだ? 母さんの車じゃないよな」
そうと分かっているなら近づかなければいいものを、巧厳は自転車を停めてまじまじと車を観察する。
「やっぱり、見たことないわ。でも、うちの前に停まってるし、お客さんかな?」
こういうとき、あえて常識的な答えを出して、そうだと思い込もうとするのは、人間の防衛本能なのかも知れない。ここ二日、非現実的な出来事が連続していて、巧厳の頭脳もだいぶ狂っている。
頭の片隅の、そのまた片隅のほうで「危険だ!」と警告しているのだが、巧厳はそれをわざと無視して、いつも通り家に入った。
「ただいまー!」
靴を脱いで、顔を上げ――、そして、硬直する。
そこに、女がいた。
見たことのない顔である。
不細工というわけではないのだが、枯恋や
問題は、その体だった。
白いバスタオル一枚で、その裸身を隠している。
これまでとはまた違った非現実感に、頭が追いつかない。
先に硬直から解けたのは女のほうだった。
「い、いやぁあぁあぁ!」
バスタオルをきつく巻こうとして、胸元に手を回す。
だが、焦っていたのか、手が滑り、バスタオルも滑り落ちた。
その小さな膨らみの先端にある突起が見えたか見えないか――という瞬間、女の姿が唐突にかき消える。
「……な、なんだぁ?」
驚いて玄関のドアまで後退していた巧厳は、間の抜けた声でつぶやいた。
廊下に落ちているバスタオルが妙に生々しい。
「し、
今の出来事をムリヤリ夢だったことにしようとして巧厳がバスタオルを持ち上げると、その下から影のようなものが、床を伝って一目散に廊下の奥へと走って行った。
「うわわっ!? なんだ今の??」
再び、巧厳はドアまで後ずさる。
短い廊下の突き当たりにある台所――のさらに奥、おそらくは脱衣所から、ガタガタと音が聞こえた。
「色、いるのか……?」
だが、台所から出てきたのは妹ではなく、スーツ姿の女性であった。
女が勢いよく頭を下げる。
「えと、その、先ほどはお見苦しいものをお見せして、その、すみませんでした!」
「え? あ、いえ、その、とりあえず、顔を上げてください」
巧厳がそう言うと、女は恐る恐ると言った様子で顔を上げる。
よく見れば、スーツのワイシャツはところどころ湿っており、肩ほどまである髪の毛も生乾きのままだった。
改めて顔を見ると、枯恋のような華やかさはないものの楚々とした美人である。どこか怯えたような表情をしており、目を隠すほどに伸びた前髪が、表情の暗さに拍車をかけている。年齢は、巧厳より少し上といったところだろうか。身なりをきちんと整える時間があったら、また違った印象になるかも知れない。
「それで……、その、どちら様でしょうか?」
巧厳が尋ねると、女は怒られでもしたかのように、びくんと跳ね上がって答える。
「ああああのっ、その、か、枯恋ちゃんから連絡が入ったって言われて、それで」
その名前を聞いて、巧厳の警戒心がむくむくと呼び起こされた。
「万骨さんの連絡って……、まさか、人質って!」
「すすっ、すみません!」
女は巧厳の言葉を否定しない。
再び深々と頭を下げた女に構わず、巧厳は家の中へと入っていく。
「色っ! いるか、色っ!?」
「ああああの、その、ご両親はいらっしゃらなかったみたいでしたので」
居間に妹がいないことを確認して、二階へと向かった。
巧厳の後ろを、女はぴったりついてきている。
「……父さんは海外に単身赴任だし、母さんは三か月に一度の通い妻中だからな」
「ああ、それで」
二階の自室に荷物を置いて、妹の部屋の前に立った。
「色、いるのか? 入るぞ!」
答えも聞かぬまま、ドアを開け放つ。すると、室内に妹の声が響き渡った。
「はぁ? ふざけんなよ、インキャ! 勝手に入るんじゃねーよ」
だが――、ピンク一色で統一された妹の部屋に、肝心の妹の姿がない。
「し、色? いないのか?」
「あ、入ったな、てめぇ! やめろよ、絶対に何も触るんじゃねーぞ!」
「どこだ、色!」
「あああ、だから、触るんじゃねぇって言っただろ!?」
家探しを始めた巧厳を止めようと、妹の声だけが猛烈に反発する。巧厳の後ろをついて来ていたスーツ姿の女が、小さな声で話しかけた。
「あ、あの、妹さんは……」
「色、いるのか。今、家に変な人が来てるから、危ないから顔を見せてくれ、色!」
「へ、変な人……」
その言葉にショックを受けたように、女は立ち尽くす。
巧厳は部屋をあちこち物色しながら、声を張り上げた。途中、彼氏と思われる男子とのキスプリが詰まった小物入れや、小学六年生が履くにしては際どい紐パンなども見つけたような気がするが、巧厳は気にしない。
「色! 出てこい、色!」
「あ~っ! もう、分かったから、出てくから、とりあえず止まって! お願い!」
色が絶叫する。――それで、ようやく巧厳の手が止まった。
「なぁ、いるんだろ、お姉さん。早く顔見せないと、ウチのプライベートが消滅する」
「ああああっ、はいっ。います、います!」
何事かと思案顔の巧厳の横をすり抜け、スーツ姿の女は部屋の片隅に進んでいく。
「あ、あのですね。妹さんは、ここに……」
そう言って持ち上げたのは、丸まったポスター大の白い紙だった。紙の片側を首と手で押さえ、もう片方の手で、一気にくるくると紙を開いてゆく。
紙には、いっそ扇情的とも思えるブラトップ姿の、巧厳色の姿が写っていた。
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