グラヴィ爺(2)

 泰山やすやまは体を空中に滑らせるようにして、巧厳こうげんの正面へと舞い降りる。


「うわぁっ!!」


 突然現れた老人の姿に、巧厳が情けない声を上げた。


「お前も男なら、しゃきっとせんかい!」


「う、うるさいな! ボクはそういう、男ならとかいう精神論は大嫌いなんだ! みんな好き勝手やってるのに、ボクも好きなように生きて何が悪い!?」


「お前、悲しいやっちゃの」


「ハッ! 悲しいかどうかなんて、ボクが決める。ボクを見下すために『悲しい』なんてレッテルを張ったところで、ボクには響かない」


「よう屁理屈をこねんさる……」


 そう言って、泰山は巧厳のえり首をむんずとつかんだ。


「やや、やめろ! 放せっ」


「静かにせい」


 猫でも持ち上げるように、泰山は細い腕で巧厳を軽々と持ち上げ引きずって行く。


 その時、暴れる巧厳の目に、空に浮かぶ染みのような影が映った。


「あ、あれ?」


「なんじゃ?」


 泰山が巧厳を見下ろした、瞬間、鈍い音とともに衝撃が走る。


「ぬうっ!!」


 衝撃のあまり、巧厳が地面に放り出された。


「だいじょうぶ、巧厳くんっ?!」


 砲弾のように泰山にぶつかってきたのは、空に飛ばされたはずの枯恋かれんだった。


 枯恋は脳震盪一つ起こす様子もなく、巧厳を助け上げる。


「ど、どうやって戻ってきよった。嬢ちゃん」


 脇腹を押さえ、泰山が聞いた。


「あのねぇ、泰山さん! 無重力だからって、空気抵抗までは消えないんだから。気圧の異常を作って、気圧差を推力にして戻ってきたの」


「……よう分からんが、大した嬢ちゃんじゃ」


 感心したように、泰山が笑った。


 巧厳を守るようにして、枯恋が泰山の前に立ちふさがる。


「あたしは何されても大体平気だから。気にしないで、巧厳くんは逃げて」


「も、もちろん」


「泰山さん、もう手加減しないんだから! 覚悟してよ!」


 枯恋が泰山に突進する。


「まったく。その兄ちゃんより、嬢ちゃんのほうが覇気がありんさる」


「巧厳くんはこれでいいの!」


 そう言って殴りかかった枯恋の拳は、しかしすべてかわされている。


 巧厳が逃げようと脚に力を込めたとき――、泰山の背後から澄んだ声がした。


「――泰山、苦戦しておるようだの」


「は、これはめい様。申し訳ございません。もう少々お時間を頂きます」


 泰山の後ろに立った鳴に、枯恋が食ってかかる。


「鳴先輩! 平和に生きてるみんなを引っかき回すのはやめて下さい!」


 それをお前が言うのか、と巧厳が思っていると、鳴は巧厳に微笑みかけた。


「そのほうならば、余の目指すことの意義が分かるのではないか? 女になりたくないと申すなら、余が良きように計らってつかわす。余はこれから、七〇億人ものミライトを生みだすのだ。その中にはきっと、そのほうの望みを叶える力を持った者もいる」


「うっ!」


 抗いがたい誘惑だった。


 鳴の誘いを断って日本政府に協力しても、死ぬか、女になるかしかないのである。


(でも、犯罪者の一味に加わるのは――)


 悩みながらも、断るのもまた惜しい。巧厳は一歩だけ鳴の前に進み出た。


「え、ちょっと巧厳くん? まさか、鳴先輩に協力するなんて言わないよね?」


「だけど……」


「そんな、日本が他の国に攻め込まれてもいいっていうの!?」


「ううっ!」


 巧厳の足が止まる。


 すると、鳴がおかしそうに笑った。


「きっと、そのようなことにはなるまい。――なぜなら、日本との同盟を強化しようという国から順に、余がミライトを目覚めさせてゆくからの」


「うううっ!」


 巧厳は、また一歩前に出た。


 その様子を見た枯恋が、巧厳を非難する。


「はぁぁ!? 巧厳くんは、あたしたちの味方だと思ってたのに!!」


「味方? 味方だって!? その割には、万骨さんはボクに女になれとか、なれなかったら死ねとか、ひどいことばっかり言うじゃないか!」


「そ、そうだけど! でも、あたしのほうが先に仲良くなったじゃん!」


 仲が良いぐらいで女にされるいわれはないのだが、中学二年生らしい反論である。


「でもさぁ……」


 枯恋の子供っぽい理屈に、巧厳が揺らいだ。この程度の理屈で説得されかかるあたり、巧厳も、案外、バカなのかも知れない。


「余とともに参れば、新たな世界において、それなりの地位を約束するぞ」


「うううう~っ!」


 セリフだけ聞けば、まるっきり悪役のセリフを鳴が吐いた。


 しかし、巧厳はそれを聞いてまた一歩前に進む。


「もう怒った! 味方だと思ってたのに、巧厳くんのバカ! もう知らない!」


 枯恋はそう吐き捨てると、スマホを取り出して何やら操作し始めた。


「な、何してんの?」


 思わず足を止めて、巧厳が聞く。


「知らない! 本当はこんなことしたくなかったけど、巧厳くんが悪いんだから!」


「はぁあ!? ……ちょ、何してるかだけでも教えてよ!」


 枯恋の言葉に何やら危険なものを感じた巧厳は、機嫌を伺うように尋ねた。


「言うこと聞いてくれない巧厳くんが悪いんだからね。あたしだって、本当は人質なんて取りたくないんだから!」


「な、なにいぃいぃいぃいぃいぃ!?」


 校庭に、巧厳の絶叫が響き渡る。


「そ、そんな、人質なんてそんな、人として、どうかと思うぞ!?」


「知らない! それに、人としてっていうなら、巧厳くんも結構クズなとこあるし!」


「うぐっ」


 クズと言われて、巧厳はつい黙ってしまう。自分では断じて認めてはいないが、周りにそう思われているという自覚はあるのだ。


 ぺちっと音を立てて、枯恋がスマホの画面を叩いた。


「これで、鳴先輩について行ったら、もう家族がどうなっても知らないからね!」


「ば、万骨さん、キミねぇ!」


 巧厳が怒りの声を上げるが、枯恋は聞く耳を持たない。


「……もうええかの?」


 泰山が疲れたように尋ねた。


「あたしだって、二人を逃がすために、投げられたり飛ばされたりして頑張ってるのに。空を飛んでるときとか、怖かったけど、頑張ったのに。巧厳くんが悪いんだから!」


 枯恋はまだぶつぶつと文句を言っている。


「そうは言うけどさぁ……」


 巧厳は困ったように周りを見渡した。


 鳴は呆れたように手をひらひらさせ、何も言わずに、どこかへと消えていく。


 泰山が枯恋の前に進み出た。


「お嬢ちゃんの相手は骨が折れるんじゃがの……」


「今、怒ってるんだからね! 思いっきり暴れてやるんだから!」


「……小僧、待っとれ。すぐ終わるからの」


 泰山は巧厳にそう言うなり――、いきなり、枯恋の体を抱きかかえた。


「ほいっ!」


 気の抜けたかけ声とともに、枯恋の体が校庭の中央まで投げ飛ばされる。腕力だけではそんなことは出来ないだろうから、能力を使ったのだろう。


「いったぁ……」


 枯恋は盛大に尻もちをついて着地した。


 泰山がそれを追うようにして、空高く舞い上がる。


「飛んでてもらうのがダメなら、埋まっててもらうまでじゃい」


 そのまま空中を進むと、泰山は校舎の壁に手を当てた。


 その途端――、鉄筋コンクリート製の校舎が、空高く浮かび上がる。


 グラウンドに、巨大な影が落ちた。


「え、え、え、おいおいおい!」


「なにあれなにあれ?!」


「校舎が、浮いてるっ!?」


 生徒たちの悲鳴がグラウンドに響き渡る。


「あ、やば」


 さっきまでの威勢はすでになく、枯恋の顔がみるみるひきつっていく。


「あれ、やっぱ、あたしのこと狙ってるんだよね……?」


 空を飛ぶ校舎の中にいる生徒たちが、恐慌を起こしていた。


「みんな、逃げて――っ!」


 枯恋が叫ぶまでもなく、グラウンドにいた生徒たちは散り散りになって逃げている。


「あああ~、もぉ~、あたしも逃げたいよぉ~~~!!」


 そうは叫ぶものの、枯恋が逃げ出す様子はない。


 自分が逃げたら、他の生徒まで巻き添えにすると分かっているのだろう。


「これ、死なないよね?」


 枯恋がそうつぶやいた、瞬間――、


 総重量およそ三〇〇〇トン、対象との質量比・約七万二〇〇〇倍の巨大な石鎚が、枯恋の頭上に振り下ろされた――!

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