時間は存在しない

 人を避けるようにして、車は宇田川町方面へと走る。


 ポスターから「なになに? 何かあったの?」と声を上げるしきを黙らせ、巧厳こうげんは沈痛な思いで窓の外に目を向けた。


 ゲームセンターやカラオケ店、洋服店がひしめきあって、普段なら大勢の人でにぎわう通りは、ひっそりと静まり返っている。


真壁まかべさん、みんな、死んでる……っ!」


 車道に散らばったモノを、果たして、何と呼べばいいのか。


 元は人の体だったのだろう。だが、体の各部位がばらばらに散乱して、一つとして人の形を留めているモノはなかった。特に頭部は念入りに解体されたらしく、上下や左右に半分になって転がっているものが多い。


「巧厳くん、見ないで下さい!」


 彰子しょうこが年上としての配慮を見せるが、もう遅い。


「もう見ちゃったよ!」


「じゃ、これ以上見ないで下さい。生きてる人がいないなら、逃げやすいです」


 巧厳を守らなければ、という使命感のためだろうか、彰子の口調からは普段の穏やかな印象が消えている。


「あの、さ! 聞こうと思って忘れてたことがあるんだけど!」


「なんですか? 表参道方面に逃げます。代々木公園なら人も多いし身を隠せるかも」


「そ、そうじゃなくて!」


 彰子がおかしなほど冷静に答える。


 巧厳は声を張り上げた。


「四次元って、縦かける横かける高さに時間を加えたものだって言うじゃん! 真壁さんの能力で、時間移動とか出来たりしないの!?」


 そもそも、巧巌がこんなことに巻き込まれている原因は、巧巌の子供が持って産まれるという時間移動能力のためである。彰子の能力で同じことが出来るのなら、こんな苦労をする必要はないのだ。


「あぁ、それ、よく誤解してる人がいるんですけど」


 言いながら、彰子はハンドルを大きく右に切った。


「ご、誤解?」


 体を左に持って行かれながら、巧厳が問い返す。


「そうです。四次元は今の三次元に時間をプラスしたものだと言われてますけど、四次元めは別に何でもいいんです。次元という言葉自体には、数式の変数の数という意味以上のものはそもそもありません。この世界は単に三次元で記述される世界であり、――もっというと、この世界に、時間というものは存在しません」


 激しい運転をしつつ、妙によどみなく答える彰子に、巧厳は内心で恐々としていた。


「時間が存在しない? でも、時計だって動いてるし、誰だって年を取るだろ?」


「それはただ、不可逆の変化に時間という名前をつけただけのことなんです。この世界はパラパラ漫画みたいなものなんです。何枚ものコマを高速で表示することで、残像を生じさせ、まるで一つながりであるかのように見せているのと同じように、この世界には、現在という一瞬だけが存在しているのを、記憶という残像が連続に見せているだけなんですよ」


 淡々と、何を考えているのか分からない調子で彰子が答える。


 巧厳は考え込んだ。


 アクセルを踏み込みながら、彰子はしゃべり続ける。


「わたしが巧厳くんを二次元化したときのこと、覚えてますか? あのとき、巧厳くんの体には"厚み"そのものがなかったですよね。わたしのほうに手を伸ばしたくても、手前も奥もないから、手を伸ばせなかった。時間も同じです。過去も未来も本当はないんですよ」


「確かに……」


 巧厳は初めて彰子と会ったときのことを思い出した。二次元に"厚み"がないのと同じように、三次元であるこの世界には"時間"そのものが存在しないのだとしたら。


「――で、でも、ちょっと待ってよ。ボクも色も、二次元化されても、三次元の世界から見えたのは何で? やっぱ、ごく薄くても厚みがあるんじゃないの?」


 真に厚みがゼロであるなら、この世界から知覚することは不可能なはずだろう。


 そう考えたが、どうやら違うらしい。


「厚みはないです。ただ、光を通す境界面があると思って下さい」


「じゃ、声は」


「声も同じです。わたしの能力の場合、波だけは行き来することが出来るんですよ」


 彰子はにべもなく答える。


 巧厳は二次元化されたときの自分の体内構造に思いをはせたが、すぐにやめた。いくら頭で考えたところで、答えは出ないだろうと思ったのである。


 おそらく、今の体のままで、水の中に潜るようなものなのかも知れない。こちらからは水面に当たる境界面を通してのみ、水の中をうかがい知ることが出来るような――。


 彰子が話を戻す。


「我々は"記憶"という能力によって、過去と未来が一つながりであるように認識していますけど、実際には、現在という一瞬しかないんですよ。ですから、フィジー領域の能力では時間を超えることは出来ません。キャンセラーは現実を否定する能力なので、現実に存在しないものは、基本的に否定できないんです。それはエニアの中でも更に特殊な、非現実領域アデュナトスの能力者にしか出来ないことなんですよ」


「……分かった。一応、納得した」


 巧厳は降参の意志表示に、両手を挙げた。


 話しているうちに、車が代々木公園に辿り着く。二人は色のポスターを持って公園内に駆けこんだ。


「あ、あれ?」


 巧厳が声を上げる。公園内には人影一つ見当たらない。


「真壁さん、誰もいないんだけど……」


「――ちょっと、今応援を呼んでますんで、静かに」


 彰子は携帯を片手に、人差し指を口の前に立てて『シーッ』のポーズをする。


 巧厳は不安になって辺りを見回した。


 すると、公園の奥の木陰から、すっかり見慣れた人影が姿を現す。


「よう、巧厳。ちょうどいいところに逃げてくれたな」

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