宿梨仁
そこにいたのは、
「"やどなし"! ど、どうしてここが……!」
「察しわりぃな。
当たり前のように言われ、巧厳は宿梨をにらみつける。
「じゃ、キミは……、やっぱり
「成り下がったとは言ってくれる。てめぇだって、鳴さんの理屈にだいぶ揺さぶられてたぢゃねぇか。オレはちゃんと喧嘩して、そんで負けたんだ。筋は通してる」
「筋ね。強い者に従うなんて、動物的だし、馬鹿げてる」
「そうか? 民主主義だって、フランス革命で王政が数の力に屈したから始まっただけの政治形態ぢゃねぇか。数が多ければ強いっつう、単純な理屈の上に成り立つな」
「成り立ちはそうでも、今は違う」
「違わねぇさ」
その時、巧厳を押しのけて、彰子が前に出た。
「巧厳くん、逃げて下さい!」
「え、でも……」
躊躇する巧厳に構わず、彰子は宿梨に飛びかかっていく。
一歩身を引きながら、宿梨が困った顔をした。
「女の子とは喧嘩するつもりはねぇんだがな」
「甘いですっ!」
彰子が素早く宿梨の肩に手を置くや――、宿梨の姿が一瞬でかき消える。
彰子は額の汗をぬぐい、巧厳を振り返った。
「地面に貼りつけました。さぁ、逃げましょう」
「真壁さん、後ろ!」
巧厳が彰子の背後を指差す。
――そこには、何食わぬ顔で宿梨が立っていた。
「なかなか面白い能力だな、真壁ちゃん」
「ど、どうして……!」
驚愕する彰子をよそに、宿梨は腕を振り回してストレッチを始める。
彰子はすかさず振り返り、巧厳の肩に手を置く。瞬間、巧厳の視界が消失した。彰子が今度は巧厳を二次元化したのだ。
「巧厳くん、走って!」
「えっ? えっ?」
何も見えないが、言われるがままに巧厳は駆け出した。
視界の開ける角度を探して首を振り回す。真上を向いたとき、視界が晴れた。どうやら地面に対して垂直に、厚みをキャンセルされたらしい。地上から見れば、巧厳のつむじが地面を走っているのが見えるだろう。
「無駄だって」
宿梨の楽しそうな声が聞こえる。
瞬間、巧厳は水中から浮かび上がるように、厚みを取り戻した。
彰子が愕然とつぶやく。
「わ、わたしの力が通用しないなんて……」
「オレも、鳴さんの接吻を受けたからな」
「そ、それじゃ……!」
「あぁ。オレもキャンセラーなんだわ。――さて、逃げらんねぇぞ。巧厳」
巧厳は諦めたようにゆっくりと振り返り、眼鏡の奥から宿梨をにらみつけた。
「まったく……。ボクは荒事が嫌いなんだ」
「前に言ってたよな。オレみたいにオツムの軽いやつには負けねぇって」
「あぁ。キミは単純な殴り合いが好きみたいだけど、体の急所さえ知っていれば、簡単に無力化できるからね」
「言うぢゃねぇか。んぢゃ、やってみてもらおうか」
宿梨の目が相手を怖じ気づかせるような鋭い眼光を放つ。
余裕の顔を見せてはいたが、簡単にはいかないだろうと巧厳は分析していた。
(いつぞやの野球部員みたいに、いきり立ってくれていたら楽なのに)
三日前のことが遠い昔のことのように思い返される。
胸中の不安を見せないように、巧厳は構えた。
「さぁ、どこからでも来い。ボクは絶対に、女にはならないからな」
すると、宿梨がおかしそうに笑う。
「まぁ、待てよ。何も本気でテメェとやり合う気はねぇ。だから、ハンデをやろう」
「ハンデだって?」
「あぁ。オレの能力はハンデ・キャンセラー。全てのハンデを無効化できる。逆相の力を使って、テメェにハンデを与えるって使い方もな」
「……いいのか、自分から能力をバラして」
「知らないままぢゃ、フェアぢゃねぇだろう? それに、言ったところで何か変わるとも思えねぇしな。能力自体は、大した能力ぢゃねぇ」
そう言って、宿梨が人差し指をくいっと上げる。
途端、巧厳は自分の体が急に軽くなったように感じた。
「――それがハンデだ。テメェみてぇなヒョロ
「はぁ?」
宿梨の言葉に巧厳は呆れ、それ以上に怒りを覚える。
「いくらなんでも、ボクを馬鹿にしすぎだ」
「ぢゃ、ハンデなしにするか?」
宿梨が傲慢な笑みを浮かべた。
巧厳は三日前の喧嘩を思い返す。二人が初めて会話を交わしたあの日、宿梨は下半身を動かさないというハンデを自らに課して、野球部の主将と喧嘩していた。
(ある意味、こいつらしい能力なのかもな)
フェアな喧嘩にこだわる宿梨の性格に、巧厳は改めて呆れる。
「……いや、いる。でも、負けてもハンデのせいにするなよ」
「当然。――一対一で、助太刀はなしだ。女の子は殴れねぇからな」
「分かった。ボクが勝ったら、お前が女になるってことで、いいんだな?」
「あぁ、構わねぇ」
宿梨にかかると、何でも喧嘩で解決してしまうらしい。
「真壁さんは下がってて」
巧厳がかばうように前に出ると、彰子が神妙な顔でうなずいた。
彰子に顔の部分だけポスターを広げさせた色が「あの人、めっちゃイケメンじゃん」とのんきな感想を漏らしている。
『行くぞ!』
巧厳と宿梨、二人の声が重なった。
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