令くんと仁くん(2)

 かん高い声が、体育館裏に響く。


「噂には聞いてたけど、サイッテーなヤツだな、お前」


 その声に、巧厳こうげんはギロリと右斜め上を見上げた。


「誰かと思ったら、ケンカ売りの"やどなし"か」


「"やどなし"ぢゃねぇ! 宿梨すくなしだ、すーくーなーし!」


 半地下とは言え七~八メートルはあるだろう体育館の屋上から、巧厳と変わらぬ長身の少年が野性的な笑みを投げかけていた。もっとも同じ長身とは言え、腕の太さは倍近くは違うだろう。決して筋骨隆々とは言えないが、宿梨と名乗った少年は、痩身の巧厳と比べ遥かに引き締まった体つきをしている。


「よっ」


 軽いかけ声を発し、宿梨は体育館の屋上から軽々近くの木の枝へ跳び移った。その枝を踏み台にしてさらに跳び、フェンスの上を蹴って地面に着地する。


「声もそうだが、行動まで猿みたいなやつだな、"やどなし"」


 巧厳が呆れたように言うと、猿というよりシェパードのような精悍な顔を歪め、宿梨が吠えかかった。犬歯をむき出しにし、今にも噛みつかんばかりの顔をしている。


「だあぁっ! っせぇな、『すくなし』だっつってんだろ! オレの名前は宿梨じんだ! いいか、次、間違えやがったらブッ殺すぞ! 巧厳!!」


「殺す? ――法と国家権力に喧嘩を売って勝てると思うんなら、存分にやってみればいいだろう。もっともボクだって、キミみたいなオツムの軽い男に殺されてはやらんけどな」


 ヒートアップする宿梨に対し、巧厳はあくまでも冷静だ。


「あぁ!? 喧嘩売ってんのか、テメェ!!」


「誰彼構わず喧嘩を売って回ってるのはキミのほうだろ。今どき、番長なんて漫画じみた人物を探して、いないと分かると、野球部や柔道部の三年生に迷惑をかけて回ってるって話は、うちの学年のやつなら誰でも知ってるぞ? さっさと退学になるんだな、"やどなし"」


「間違えんなっつったのが聞こえなかったのか、テメェ!! ……っつーか、今はオメェに用はねぇんだよ! ったく、こんな可愛い子を泣かしやがって、クソが!!」


 宿梨はそう叫んで、巧厳の肩を強引に押しやるなり、呆気にとられぽかんと立ち尽くす少女の前に立った。巧厳は機嫌悪そうに、宿梨に押された肩を手で払う。


「大丈夫、マキちゃん? 最低だよな、巧厳のやつ。あんな最低なヤツは忘れて、どう? オレと付き合わねぇ?」


 相手を怖じ気づかせるような強い眼光はなおも残るが、宿梨の顔は先ほどまでの狂犬のような雰囲気とは打って変わり、人好きのする優しげな表情になっていた。だが、少女は困ったように固まって、やがて呟く。


「あの……、わたし、里子さとこですけど……。田中、里子……」


「あぁ、里子ちゃんね。オッケー。んで、どう? オレと付き合う?」


「いや、あの……」


 少女を口説こうとしている宿梨を尻目に、巧厳がその場を立ち去ろうと動いた時、


「いたぞ! 仲間もいる! 囲め、囲め!!」


 体育館裏に、いきり立った野獣のような野太い声が響く。


「"やどなし"!! テメェ、オレが喧嘩を買わないからって、叶愛とあに手ぇ出しやがって! 彼女は関係ねぇだろうが、このクズ野郎が!!」


 叫んでいるのは、体育館とフェンスに囲まれた狭い道を塞がんばかりの巨漢。背後には男の手下だろう、運動部員らしい筋肉質の男たちが金属バットを持って控えていた。


「んだ、てめぇ。野球部の主将だっけか? あぁ、そういや、オレがここに呼び出したんだったわ。クズ野郎だなんて、言ってくれる。叶愛ちゃんとは合意の上なんだがな」


 顔面を真っ赤にして拳を震わせる男を、宿梨は涼しい顔で挑発する。


「そんなはずねぇ!! テメェに無理矢理られたって、叶愛とあは言ってたぞ!」


「ハ! あんなによがっといて、よく言うわ。ちょっと愚痴聞いてやったら、あっちから股を開いてきたっつーのによ。女なんて、基本、自分の保身しか考えてねぇよ。女なんてそんなもんだってのが分かって、アンタもいい勉強になっただろうが」


「テメェ、ぶっ殺す!!」


 今にも弾けそうなほど太い血管をこめかみに浮き上がらせ、野球部主将だという巨体の男が突進する。すると、それを見た宿梨は嬉しそうに笑って、自分も駆け出し、男の腹に痛烈なアッパーを見舞った。


「ふん……」


 野球部主将と宿梨が喧嘩を始めたのを見て、巧厳が今度こそ立ち去ろうとする。


 その時、巧厳を三人の男子生徒が囲んだ。


「てめぇ、逃げんなよ!」


「何を……。ボクはあんなケダモノとは仲間でもなんでもない。通してもらおう」


「え? いや……、じゃあ、なんでこんなところで"やどなし"と一緒にいるんだよ! やっぱり、てめぇも仲間なんだろうが?!」


「まったく……」


 巧厳は一つため息を漏らすと、先ほど自分がフった少女に向き直った。


「田中さん」


「へぁ?」


 この数分に起こった出来事にすっかり現実感を喪失していた少女が驚いた声を出す。


「田中さんはボクのこと好きなんだよね? まだその気持ちに、変わりはない?」


「う……うん!」


「――じゃ、ちょっと、盾になってくれる?」


「はい?」


 そう言って、巧厳はあごをしゃくって少女を前に進ませる。巧厳がその背後にぴったり寄り添うと、少女は何度も振り返りながら、おっかなびっくり歩きはじめた。


「てめぇ! 女子を盾にして恥ずかしくねぇのかよ?!」


 少女を避けて巧厳に殴りかかることなど、おそらく野球部員であろう男たちには造作もないだろうが、それより、巧厳に対する憤りの気持ちのほうが強かったらしい。男たちは巧厳を口々に罵った。


「何とでも言え。ボクは荒事が嫌いなんだ」


 激昂した生徒の一人がバットを振り上げると、巧厳は少女の背後にさっと隠れる。


「てンめぇぇぇえええ! 隠れてんじゃねぇよォォォ!!」


 苛立ちがピークに達したのだろう。顔を真っ赤にした男が、バットを思いっきり地面に叩きつけた。すると、怯えたように肩をすくませた少女が、かすれ声で叫ぶ。


「あのっ、巧厳くん、その、……ごめんっ!」


 少女は巧厳を振り返ることさえせず、体育館裏から走り去っていく。後を追おうとした巧厳の前に、三人の男子たちが立ち塞がった。


「てめぇ、いい根性してんじゃねぇかよ。アァ!?」


 体育館の壁にバットを叩きつけて、男が巧厳を恫喝する。


「めんどくさい……」


 しかし、巧厳はまるで危機感を感じていない様子で、再度溜め息をついた。


「いいかい。ボクは荒事は嫌いだが、苦手じゃない」


「ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇ――!!」


 三人の男が一斉に巧厳に襲いかかった。

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