令くんと仁くん(3)

 野球部員たちが巧厳こうげんに襲いかかった、次の瞬間――、巧厳に真っ先に駆け寄った男が悶絶の声とともに倒れた。男はひざを押さえ、地面を転げまわる。


「――て、てめぇ、うちの二番になんてことしやがる!?」


 男たちが色めき立った。


「そっちから殴りかかってきたんだ。正当防衛だろう」


 対する巧厳は涼しい顔である。巧厳は襲い来る攻撃を冷静に躱し、先頭の男の膝――その半月板の下に狙いを定め、思いっきりかかとを突き出した。要は、ケンカキックである。


「くっ、くそっ、てめぇ、タダじゃおかねぇ! ぶっ殺す!」


「……まったく。今日一日で何度『ぶっ殺す』って言葉を聞いたことやら」


 巧厳は、眼鏡を外してポケットにしまうと、残った生徒二人をにらみつけた。


「言っておくけど。ボクはキミたちみたいな筋肉猿と違って、力は無い。だから、自分を守るため、最も効率的なやり方でキミたちを潰すけど。潰れても、文句は言うなよ?」


「上等だテメェェェ!!」


 男二人が巧厳に飛びかかった、瞬間――、


「は――い、しゅ――りょ――」


 グラスハープのように澄んだ高い声が、乱闘の終わりを告げた。


 その言葉と同時に、男子二人が声もなくくずおれる。


「……なんだ?」


 倒れ込む二人の背後から現れたのは、両手を突き出して笑う一人の少女だった。少女に押されただけで、男たちが意識を失ったような格好である。校舎内に重大なわき見事故をいくつも引き起こしてきたセーラー服の少女は、艶然と微笑み、イタズラっ子に注意でもするように腰をかがめて倒れた男たちに言った。


「はい、ケンカはもう、お~~~っわり!」


 前にかがんだことで、少女の豊満な胸のふくらみがより一層強調されている。下からの眺めはさぞ圧巻だろうが、もちろん、意識のない生徒たちは少女を見上げることもない。


 その様子を一瞥して巧厳が立ち去ろうとすると、少女はぱっと顔を上げ巧厳の行く手をさえぎった。


「あなたが……、巧厳くんだよね?」


「あぁ、そうだけど……」


「良かったぁ! あなたに用事があったんだ!」


 巧厳が答えると、少女は嬉しそうに手を叩き、くねくねとしなを作った。


「用事?」


「うん! だけど、その前に……」


 少女は喧嘩を続けている宿梨すくなしと野球部主将のほうへ歩いて行く。趨勢は、巧厳の目には互角のように見えた。しかし、巧厳の冷静な目は、小さな違和感を捉える。


(あいつ、一歩も動いてないのか)


 宿梨の下半身がほとんど動いていないことに、巧厳は気づいた。――どうやら、宿梨はハンデを自らに課し、力量を互角に調整して、喧嘩を楽しんでいるようだった。


(そんなに喧嘩が好きなのかね……)


 巧厳が妙な感心を覚えていると、少女が宿梨のとなりに立った。


「はいっ、今日はこれでおーっしまいっ」


 そう言って、少女が右手を野球部主将の額に当てる。途端、野球部主将が白目をむいて昏倒してしまった。


(なんだ……? 何をした?)


 渾身の勢いで放ったパンチを空振りさせた宿梨が、少女に吠えかかっていく。


「てめっ!! 邪魔すんっ、……な、よ?」


 だが、噛みつかんばかりの形相はすぐに消え、宿梨は気の抜けた表情を浮かべた。


(女関係は手慣れた様子だったけど。その宿梨ですら、咄嗟に反応できないぐらいの美少女ってことか……)


 巧厳は宿梨が一瞬硬直した理由をおおよそ正確に分析していた。無論、宿梨もすぐさま我に返って、少女を口説きにかかる。


「むっちゃ可愛いぢゃん、キミ!! 高校どこ? 名前なんつぅの?」


「え、あたし? あはは、あたしは高校生じゃないよぉ。まだ中学二年だよ。名前は、万骨ばんこつ枯恋かれんっていいます」


「枯恋ちゃんね! 中学生ってマジなん!? むちゃ大人っぽいぢゃん。すごい綺麗だから高校生かと思ったわ! で、良かったら今度遊びに行こうよ」


 枯恋の告げた年齢に、巧厳も内心で驚いていた。背も胸も大きいし、とてもじゃないが中学生には思えない大人びた顔立ちをしている。だが、よく見れば、表情は幼く、仕草もどこか子供っぽい。そういった要素を、枯恋の美貌がすべて打ち消していたのだった。


(それよりも……。よくもまぁ、あれだけ口説き文句が出てくるもんだ)


「むっちゃ可愛いんだけど、モデルとかやってんの? すごいスタイルいいし、超オレの好みのタイプだわ! まぢで、今度どっか行こうよ」


「え~、どうせお世辞でしょぉ~」


「お世辞ぢゃねぇって。オレ、頭を通してしゃべってねぇから、思ったことは全部口から出ちゃうんだよね。だから、嘘とかつけないし」


 宿梨がよどみなく枯恋を口説き続けているのを、巧厳は呆れ顔で見つめた。


「……それで。『用事』って、何?」


「そうだった!」


 巧厳の問いに、枯恋は宿梨を振り切って居住まいを正す。


「あのね~え…………」


 枯恋はもったいつけるようにしてそう言うと、巧厳と宿梨の前に立って、ポケットからハートのシールがでかでかと貼られた封筒を取り出した。


 そして、勢いよく、頭を下げる。


「あたしに、あなたの子供を下さいっ!!」


 卒業式のポーズで封筒を突き出す少女に、巧厳と宿梨は言葉を失った――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る