クズの発想

 巧厳こうげんが怪訝な目で見つめると、障子は顔を赤くしてうつむく。


「あの、ご飯も食べなくて大丈夫です。年だけは取っちゃうみたいですけど、外界からの刺激もないし、むしろいつまでも若々しくいられるくらいで……」


 そう説明されてしきのほうを見ると、色はなぜか誇らしげな顔をしていた。


「……妹も、そうやって説得したんですか?」


「まぁ、実際にはいきなり二次元化しちゃいましたけど、その後で説明したら落ち着いてくれました。最初から、人質は妹さんって決まってたんです。年齢が上になればなるほど、それまで培った現実感とのギャップが大きくなるせいで、いきなり二次元化なんてされたら精神にも異常が出るとか言われてまして」


 確かに、いきなり今から二次元人になれなどと言われたら、ちゃんとした大人であればあるほど、精神的な衝撃は大きいだろう。


「んじゃ、色はしばらくこのままってことか?」


「はい。とりあえず、石動さんたちから警護するためにも、夜のうちに用意したホテルに移動することになってます。しばらくは逃亡を続けなければいけないので、二次元でいてくれたほうが都合がいいんです。巧厳さんが政府に協力してくれるなら、安全が確認でき次第、元に戻せるんですけど……」


 そう聞いて、巧厳はこれみよがしにため息をついてみせる。


「真壁さん、キミに良心はないの? そんな小さい子を拉致して、心は痛まない?」


「うっ、そ、そりゃ痛みますけど」


「じゃ、妹を開放してくれるよね?」


「む、無理ですよォ~。そりゃ、わたしも悪いな、とは思いますけど。巧厳さんはご存じないんです。うちのお父さんが、どれほど怖いか……」


 彰子は顔を必死の形相にゆがめた。


 そのときふと――、巧厳の脳裏にあるプランが思い浮かぶ。


「あの、さ……」


 以前の巧厳なら実行しようとは思わなかっただろうプランだが、ここ二日の非現実的な出来事の連続によって、巧厳の頭は狂っていた。


「キミってさ――、可愛いよね」


「は? え? はいぃいぃいぃ?」


 彰子が素っとん狂な声を上げる。


「よく言われない? 可愛いって。一目見たときから、可愛いなって思ったんだけど」


「そんなそんなそんな、ないですよ! 言われたことないです! 不細工ですし!」


「言われたことないって、嘘だぁ。あるでしょ、たくさん。言われたこと」


 巧厳が彰子に微笑みかける。


 巧厳は黙ってさえいれば美少年と言っても過言ではないルックスなのだ。並の女子なら簡単に落とせるだろう微笑みを向けられて、彰子の顔も心なしか赤い。


「そ、そりゃあ、私だって小さい頃は、親戚のオジちゃんオバちゃんたちに言われたりもしましたけど。今はダメです。お父さんなんか、ブス、ブスって」


「ハ? 言われないの? 見る目ないな、周りの人たち。キミは何もブスじゃないよ」


「えええ? そうですかねぇ……?」


 彰子はまだ信じていない様子だ。しかし、巧厳は妙な手応えを感じていた。


(もう少し押せば……、イケる!)


 要するに、巧厳は彰子を口説き落とし、味方に引き入れようとしているのだ。普段なら思いつきもしない方法なのだが、宿梨すくなしの押して押して押しまくる姿を思い出し、自分にも出来るのではないかという謎の確信が生まれていた。


「そりゃ、女優さんやモデルさんと比べたら、可愛くないかも知れないよ。トップ女優が一〇〇点だとしたら――(よし、ここで少しタメて)――、九二点くらいかな?」


「そそ、そんな、高得点を……!」


 巧厳自身も驚くほど、調子のいい言葉が口からぽんぽんと飛び出す。


「でも……、枯恋ちゃんみたいな子のほうが、可愛いですよ……」


「どうしてそんなに、自分のことを可愛くないっていうの?」


「だって、ブスだからです……」


 理由が理由になっていない。障子の反論が力をなくし始めていることに、巧厳は気づいていた。


「あのね、まぁ、こういうのは主観の問題だから。万骨さんのほうが可愛いって思う人もいるかも知れないけど。……ボクにとっては、真壁さんの方が可愛いよ?」


「え……?」


 嘘をついているわけではない。純粋に顔の作りでいえば、彰子は枯恋には遠く及ばないだろうが、美醜の基準など時代や地域によってあっさり変わる程度のものである。巧厳にしてみれば枯恋のような押しの強いタイプは苦手だし、彰子の性格も、言うなれば守ってあげたくなるタイプだ。マスコット的な意味で、可愛いと言えなくもない。


 巧厳の言葉に、彰子が真っ赤にうるんだ目を向ける。


(何となく、コツがつかめてきたぞ)


 要するに、嘘をつかなければいいのだ。いや、嘘を嘘ではないことにする、といったほうがより近いだろうか。


 やり手の営業マンとて、お得意様の下らないジョークが本当に面白くて笑っているわけではないだろう。しかし、その笑いが嘘かというと、それも違うはずだ。単に、意識のハードルが極限まで下がっているだけではないか。何を言われても笑える、という、接待モードに意識が切り替わっているのだ。巧厳は経験があるわけでもないのに、営業マンの極意をつかんだような気になっていた。


 こうなってくると、どんな恥ずかしいセリフでも臆面もなく言える。


「ホントだよ。ボクからしたら、ストライク。超好みのタイプ。一緒にいて落ち着く感じがするし、ホっとするっていうか、安心する」


 そう言って、巧厳は彰子のうるんだ視線を受け止め、微笑みを返した。


(完璧……!)


 やっていることはまごうことなきクズ男なのだが、本人は知略だと思っている。


「でも……、嬉しいですけど、やっぱダメです。お父さん、そういうの厳しいですし」


 すると、彰子の中で、話がおかしな方向に転がり始めた。


 巧厳は慌てて本題へと切り返そうとする。


「あ、いや、それでね。きっと、そんな優しい真壁さんにとってみたら、人質をとるだなんて実は無理してるんじゃない? と思って。そこで提案なんだけど、色を……」


「わたしも巧厳さんのこと好きですよ。イケメンだし、優しいし、妹さん思いですし」


「あ、いや、うん。ありがとう。それでね……?」


 巧厳が彰子の肩に手を伸ばす。


 その手をさっとかわして、彰子は背を向けた。


「でも、やっぱり無理です。付き合えません」


 告白してもいないのに、フラれてしまった。――巧厳にとっては初めての経験でもある。


「そ、そっか。残念だよ……。それで、色のことだけど」


 何とか話を元に戻そうとすると、彰子はきっぱり宣言する。


「さぁ、そろそろ荷物をまとめて下さい。逃げる準備をしましょう。わたし、コンビニでパンか何か買ってきますね」


 彰子は赤くなったほほを押さえながら、足早に出て行ってしまう。


「あ、あぁ……」


 追おうとした巧厳の手が空しく宙をかいた。


「フラレたな、インキャ」


 居間に、色の楽しそうな声が響く。


 巧厳は机に突っ伏した。――妹に見られていることを忘れていたのだ。

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