ノックアウト

 ……三十分近く、二人は殴り合っていた。


「さっさと沈め、おらぁっ!」


「ぐえっ」


 宿梨すくなしのすねが巧厳こうげんの脇腹にぶちあたる。


「キミのほうこそ、いい加減に降参したらどうだ!?」


「うぐっ」


 巧厳はよろけながら、宿梨の右肩の付け根に一本拳を打ち込んだ。


 彰子しょうこは仲裁に入ろうとして見えない壁に阻まれて以来、完全に観戦モードである。


「あのぉ~、お腹空きませんかぁ~?」


 しきはさっきからスマホのゲームを彰子に操作させて、それにハマっているらしい。


「くそ、なんだってボクは殴り合いなんかしてるんだ!」


 なぜ真っ向勝負を挑んだのか、巧厳自身ももはやよく分からない。


「テメェ、よそ見してんぢゃねぇ!」


「げふっ!」


 宿梨のボディブローが巧厳の腹にめりこむ。


(くそ、同じ筋力なのに、何でこいつのパンチはこんなに重いんだよ?!)


 おそらく経験の差からくる拳への体重の乗せ方や、全身の筋肉の使い方などが要因なのだろうとは巧厳も想像がつく。宿梨の重い拳は体の表面よりも、むしろ内臓にダメージを残していた。しかし、それが分かったところで、今さらどうしようもない。


 一方、巧厳の拳も確実に急所をとらえているはずである。現に、防御の甘い左側を攻め続けた結果、宿梨の左腕は先ほどから力なく垂れ下がっており、動く気配がない。


「あのぉ~、さっきオニギリ買ってきたんでぇ。終わったら教えて下さい~」


 彰子の、のんきな声が辺りに響く。


(まったく! ボクがこんなに頑張ってるっていうのに!)


 巧厳はやり切れない怒りを拳に乗せて放った。巧厳の一本拳が、格闘家ほど攻めるのを躊躇うという顔面の急所――鼻の下の溝にある人中じんちゅうというツボに入る。


「うげぁっ!」


 宿梨の目が空ろになり、全身がふらついた。


「決まったか?!」


「ごあぁあぁぁぁっ!!」


 巧厳が喜んだのも束の間、獣のような声を上げて宿梨は巧厳の肩をつかみ、巧厳の腹に強烈なニーキックを繰り出す。


「ぐえぇっ」


 あまりの衝撃に、立っていることが出来ない。それは宿梨も同じだったらしく、両者はともに肩に顎を乗せる形で抱き合った。その状態でなお、空いた拳で互いに相手の背中を殴り続ける。


 やがて、どちらともなく足の力が抜けた。互いの肩に体重を預けていたため、二人とも重みを支え切れずに、ほぼ同時に膝をつく。


 宿梨のゼェゼェという声が、やけにうるさく巧厳の耳に響いた。


「だ、大丈夫ですか、お二人ともっ!」


 駆け寄ってくる彰子の声を聞きながら、巧厳の意識はゆっくりと薄れていった――。

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