第五章 一将功成りて

破滅の始まり(1)

 車に揺られながら、巧厳こうげんは目を覚ました。


「いっつつつつつ!」


 助手席で目を覚ました途端、全身を激痛が襲う。痛みのおかげで、つい先程の出来事を思い出した。宿梨すくなしとどちらが女になるかを賭けて、殴り合いの喧嘩をしたのだった。


「ど、どっちが勝ったんだ?!」


「起きましたかぁ?」


 巧厳の隣で運転している運転席の彰子しょうこが、気の抜けた声を出す。


真壁まかべさん、さっきの勝負、どっちが勝ったか分かります?!」


「後ろの人にも言ったんですけどぉ、多分、引き分けじゃないかと……」


 その言葉に振り替えると、後部座席に顔をパンパンに腫らした宿梨が座っていた。


「"やどなし"!」


「あのなぁ、いい加減覚えろよ。"やどなし"って呼ぶんぢゃねぇ」


「な、なんで"やどなし"がここに!?」


「だって、放っておけないじゃないですかぁ……」


 どことなしか、しょんぼりした顔で彰子が答える。


「起きるのはオレのほうが早かったし、オレの勝ちってことでいいんぢゃねぇか?」


「は? ふざけるなよ。引き分けだったんだろ」


 巧厳が問いつめるように声を荒げると、彰子は怯えたような声を出した。


「は、はい。ほとんど同時にひざを着いていましたから、どっちが勝ちってことはないと思うんですけどぉ」


「真壁さん、どうしたの? 何かビクビクしてるみたいだけど」


「それが、その、ずっと女子校だったもので、同じ車に家族以外の男性が二人も乗ってるって思うと、急に緊張してきちゃって……」


「可愛いとこあんぢゃねぇか、真壁ちゃん。心配しなくてもいいよ、絶対に真壁ちゃんの嫌がることはしねぇからよ」


 おっかなびっくり話す彰子に、宿梨がすぐさまフォローを入れる。


「ねぇ、お兄ちゃん。それより、あたしを開いて! お姉ちゃんは運転中で手を放せないっていうんだもん。しき、ヒマだなぁ。お兄ちゃんのお友達に、挨拶したいなぁ」


 巧厳の脇のポスターから猫をかぶった声が聞こえた。


「どうした、色。変な声だして」


「お兄ちゃん、早くぅ」


 巧厳のツッコミにもめげず、色は黄色い声を出す。


 巧厳はしぶしぶ、色が貼りつけられているポスターを宿梨に向かって開いた。


「初めましてぇ。わたし、令の妹で色って言います。小学六年生です。お兄さんは、兄のお友達なんですか?」


 宿梨が一瞬戸惑ったような表情を巧厳に投げかける。


「真壁さんの能力で、こんなんなってる」


 巧厳の短い答えに、宿梨は了解したようにうなずいた。宿梨も二次元化を体験しているだけに、理解は早い。


「初めまして、色ちゃん。お兄ちゃんとは仲良くさせてもらってるよ。小学生と思えないくらい美人で、びっくりしたわ」


「やだぁ、そんなことないですぅ」


 巧厳は呆れた。


「あのなぁ、"やどなし"。色はまだ小六だぞ。節操はないのか」


「バッカだな、巧厳。小六って言ったらもう充分大人だろ。色ちゃんは初対面のオレにも挨拶するぐらいしっかりしてるしよ。それに、今可愛い女の子は二~三年したらむっちゃ美人になるんだから、そのときは大丈夫な年齢になってるだろうが」


 そう言って、宿梨は色の相手に戻る。


 大人に対しては子供扱いを、子供に対しては大人扱いをするのがモテる秘訣だと何かの本だか呟きだかで読んだことがあるが、そういうことなのだろうかと巧厳は思った。


 車内でワヤワヤやっていると、彰子が嬉しそうに声を上げる。


「あ、見えましたよ」


 色以外の全員が、車外に目を向けた。


 少し先に行った歩道に、長身の美女が立っている。


万骨ばんこつさん、無事だったのか」


 今の今まで枯恋かれんのことを忘れていた巧厳は、少しばつが悪い思いをした。


 彰子は歩道に車を寄せ、枯恋をピックアップする。


「え、誰かと思ったら、巧厳くん?」


「そんなにヒドい?」


「顔、すっごい腫れてる」


 枯恋はおかしそうに言うと、巧厳に外に出るよう命じた。


「ちょっと、巧厳くん。あたしが助手席に乗るから、巧厳くんは後ろに回ってよ」


 枯恋に言われて、巧厳は席を移る。


「枯恋ちゃん、久しぶりぢゃん」


「宿梨くん、アイドルとか好きな人なの? ちょっと意外」


 枯恋が楽しそうに笑った。


 宿梨に様子を見せてもらっていた色は、枯恋が入って来てからずっとムスッとした顔をしていたが、アイドルと言われ、怒っているような喜んでいるような複雑な顔になる。


(こいつも、案外単純なのかもな)


 そんな妹の反応を見つつ、巧厳は枯恋に告げ口をした。


「万骨さん、聞いてよ。"やどなし"のやつ、石動いするぎさんに寝返ったんだぞ」


 だが、そう聞いた枯恋は怒る様子もなく、宿梨を案じるように声をかける。


「そうだ。宿梨くん、大丈夫だった? めい先輩に連れて行かれたって聞いたから、ずっと心配してたんだよ。っていうか、その顔じゃ、大丈夫じゃなさそうだけど……」


「ちょっ、万骨さん、ボクが寝返りそうになったらあんなに怒ったのに、"やどなし"のときはそれだけなの?!」


「だって、宿梨くんは泰山やすやまさんに酷い目にあわされたんだから、仕方ないよ。巧厳くんは鳴先輩の色香に惑わされただけじゃん」


「なっ! ボクは別に色香に惑わされたわけじゃ……!」


 巧厳の抗議にも耳を貸さず、枯恋は宿梨の顔に手を伸ばした。


「他人に正常な状態レギュラーの力を使うのって苦手なんだけど……、腫れを引かせることぐらいは出来るかも知れない」


 枯恋がそう言うと、その手がぼんやりと発光する。


 宿梨に抱かれた色に、枯恋の豊満な胸がずいっと押し付けられる。真正面から枯恋の胸を目の当たりにし、色が自分の胸を――見えないだろうが――見下ろした。二次元化しているからという理由だけではなく、無論、そこに膨らみはない。


「お、サンキュー、枯恋ちゃん。随分楽になったわ」


「災難だったね。今は無事ってことは、うまく逃げ出せたんだ?」


「ねぇ、ボクの顔も治してよ!」


 巧厳が声を張ると、枯恋は一瞬「えぇ~」と渋ったが、すぐに顔に手を伸ばした。


「えぇ~ってなんだよ、えぇ~って」


 顔の腫れが引いた後も、巧厳はまだぶつぶつ言っている。


「きゃぁ、やっぱり宿梨先輩かっこいいですぅ」


 枯恋にポスターを持ってもらって、色が猫をかぶった声を出していた。鳴によるテロが今も続いているというのに、全員すっかり気が抜けている。


 そのとき、運転席と助手席の間に置かれた彰子のスマホが鳴る。自動的に通話へと切り替わったスマホから、緊迫した男の声が聞こえてきた。


「お父さんです」


 彰子が短く告げる。


 ――では、電話の相手は国土交通副大臣の真壁光之みつゆきだ。

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