炎と氷の天使

 泰山やすやまの投げつけた椅子や長机を、彰子しょうこが二次元化して無力化した。


 そこへ、枯恋かれんが突っ込んでゆき、泰山に頭突きを喰らわそうとする。


 ――しかし、泰山が手をかざすと、枯恋はまたも廊下の奥へと『落ちて』いった。


「もぉ~! 二〇メートルだっけ? どうやって近づけばいいの!」


 枯恋が怒ったように怒鳴る。


 もともと、枯恋は自分以外の者に力を使うのが得意ではない。


 それが"重力"のような目に見えない存在となると、正常な状態レギュラーの力でイレギュラーをキャンセルしようと思っても、なかなかうまくいかなかった。


「んもう! あたしにとっては、床が下なの! それが正常な状態レギュラー!」


 自分に言い聞かせるようにして、再度、泰山に突っ込む。


 だが――、


「んきゃおぉおぉおぉおぉ~~~!」


 おかしな悲鳴を上げて、枯恋はまたも吹っ飛ばされた。


「まったく。学習しない嬢ちゃんじゃ」


 彰子が叫ぶ。


「つ、月二お爺ちゃんは罪悪感とかはないんですか? 巧厳くんたちはまだ高校生なのに殺されちゃうかも知れないんですよ」


「……わしの若いころは、戦争であんぐらいの男がよう死んどったがの」


「だ、だったら死んでもいいっていうことですか?!」


 声を震わせる彰子に、泰山はため息をついた。


「そういうこっちゃないがの。確かに、若いもんが死ぬのを見るのはつらいが……」


「そ、それなら!」


 彰子の言葉に、泰山が首を振って答える。


「わしはめい様に忠誠を誓っとる。鳴様のすることを邪魔するやつは許さん。わしの役目はただそれだけじゃい」


 そう言って、泰山は無表情に手をかざす――。





 巧厳こうげんが上空へ吹き飛ばされた瞬間、宿梨すくなしめいにタックルをかましていた。


 鳴の柔らかい腹に頭突きし、気をそらす。


 その瞬間、上へと舞い上がっていた巧厳が一転して屋上に落ちてきた。


「ぐえぇっ!」


 派手な声を上げて巧厳が尻餅をつく。


「巧厳、いいか。二人して鳴さんの気をそらすなりしねぇと、この病院から逃げることもできねぇ! 協力しろ!」


「うっ、くそ! 分かった! どうする?」


「能力を使わせねぇよう、ひたすら攻撃するしかねぇ。ただし、絶対につかまれるな!」


「りょ、了解!」


 巧厳がうなずく前に宿梨は、鳴に蹴りかかっている。


「無駄なあがきよ。この病院内において、余が傷つくことは万に一つもあるまい。それがルールなのだからな」


 鳴は笑って宿梨の蹴りを受ける。かなり重い衝撃が伝わったはずだが、鳴がダメージを受けている様子はない。


 巧厳は鳴の後ろに回り込み、首を絞めにかかった。


 しかし、鳴はまるで意に介していないように、巧厳の手をつかもうとする。


「巧厳! 離れろっ!」


「えっ?」


 宿梨が鳴に突っ込み、腹に重い一撃を浴びせた。


「巧厳、いいか。絶対につかまれるな!」


「わ、分かった。でも、なんで?」


 宿梨は鳴の足を払い、転ばせながら答える。


「鳴さんはその能力があまりに強すぎるせいで、細かいことは苦手なんだ。生物に直接ルールを課すことはできねぇ。空間や、存在自体なんつう漠然としたものにしかルールを課せねぇらしい。けど、つかまれたら終わりだ。皮膚と皮膚が触れている状態なら、その限りぢゃねぇんだと!」


 例えば心臓のような不随意筋の『何があっても動き続ける』というルールをキャンセルされてしまったら、それだけで終わりだ。


「じゃ、近づけないじゃんか!」


「バカ、テメェ! 手を休めんな!」


 巧厳の手が止まったのを見て、宿梨が焦りの表情を浮かべる。


「質量同士の"引き合う"というルールをキャンセル」


 鳴はそう言って笑った。


 瞬間、宿梨の体が先程の巧厳と同じように、上空に恐ろしい勢いで飛んで行った。


 巧厳は慌てて鳴の腹を蹴り上げるが、鳴の気をそらすことが出来ない。


 宿梨はまだ高く空へと舞いあがっている。


 巧厳は躊躇していた顔面に思いっきり拳を入れた。


 ようやく、宿梨が空から落ちてくる。


「う、っぐ……。て、テメェ、おせぇぞ」


 宿梨が苦しげにうめく。


 巧厳は鳴の両膝をつかみ、その体を思いっきり振り回した。


 鳴はストッキングをはいていたから皮膚同士の接触はないが、それでも恐ろしくなって鳴を遠くへ投げ飛ばす。


「しまった!」


 投げてから、失策に気づいた。


「テメェ、バカ野郎が!」


 宿梨がふらつきながら、鳴に駆け寄って行く。


 だが、宿梨は鳴の手前で弾かれたかのように立ち止まった。


「ふむ。いい加減にうっとうしい。院内で、そのほうらから余に近づくことを禁じる」


 それから、鳴は暮れかけた太陽に目を向ける。


「あのように近くに見えるのに、光には触れられぬというのはおかしくないか?」


 そう言った途端、太陽の光が凝縮し鳴の手に集まった。


「ほれ、あのように、光が差しこんでいる。光とは刺すものであろうな」


 凝縮した光は一瞬でその形を変じ、朱に燃える槍となる。


「投げたものが落ちるというのはおかしかろう。目標に向かって投げるのだから、目標を貫かぬ限り、落ちぬはずではないか?」


 そう言って投げた槍は、巧厳の左肩を貫いた。


「あっ、ぐっ……!」


 巧厳の悲鳴にもかかわらず、鳴は無表情に続ける。


「ほれ、あの雲。まるで剣のような形をしておる」


 そう言った途端、鳴の手の中に氷の剣が現れた。


「そう言えば、筋肉を使わねば動けぬというのはどうも窮屈だな。余だけは思った通りに動けるということにしようか」


 鳴は言い終わるやいなや、空を飛ぶうようにして宿梨までの距離を詰めて、倒れ込んだ宿梨の太ももを剣で突く。


「ぐあぁっ!」


 宿梨が短い悲鳴を上げた。


 宿梨はごろごろと転がって、鳴との距離をとった。


「お、おい、"やどなし"! キミもエニアなんだろ。何とかならないのか」


 巧厳の言葉に、しかし宿梨は首を振る。


「エニアって言っても、ミライトの力の強さは分類だけぢゃ決まらねぇんだよ」


「ど、どういうことだ?」


「オレの能力は否定するもんそのものが特殊だから、対戦相手と認識すれば一〇メートル離れてようが効果は及ぶけどな。空間自体に及ぼせる範囲はそんなにねぇ。二~三メートルが限界だ。――でも、鳴さんは違う」


 巧厳が息を飲んだ。


「な、何メートルだよ? 百メートルぐらいか?」


 半径百メートルに効果が及ぶ能力ともなると、確かに厄介だ。何でもアリの鳴の力からそれだけの距離を取ろうとしたら、命がけになるだろう。


 だが、宿梨はふるふると力なく首を横に振った。


「じゃ、いくつだよ。五百か? 千か?」


 宿梨は恐ろしいものでも見るかのように鳴を見上げ、答える。


「……一万メートルだ。鳴さんは二十三区内なら、どこの誰にでも自由に力を使うことが出来る。だからこそ、細かい作業は苦手みたいんなんだがよ」


 桁違いの数字に、巧厳は絶句した。


 もはや動けない二人に、炎の槍と氷の剣を携えた鳴がゆっくりと近づいていく。

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