夜羽大学病院

 なし崩し的に、巧厳こうげん宿梨すくなしは大学病院に入って行った。


「広いし、綺麗な病院だね。あ、ホラ、あそこ。天使の絵が飾ってある」


 枯恋かれんはのんきな感想をもらし、受付へと走ってゆく。


「巧厳、テメェが女になれよ?」


「何を! さっき思い出したけど、ボクは気絶する前に、真壁まかべさんが駆け寄ってくる声を聞いている。キミの能力が効いていたら、真壁さんは近寄れないはずだ。つまり、キミはそのとき気絶してたってことじゃないか?」


「オレは真壁ちゃんに抱きとめられた記憶があるんだがな。意識が薄れて、意識より先に能力が弱まったんぢゃねぇのか」


「むぅ……」


 巧厳がうなったそのとき、彰子しょうこが振り返って巧厳に言った。


「やっぱり……、やっぱり、無理です!」


 途端、巧厳が持っていたしきのポスターが重くなる。


「きゃっ!」


 色がポスターから飛び出して、尻餅をついた。


「やっぱり、わたしできません。いくらお父さんの命令だからって、お二人とも望んでもいないのに、性別を変えられてしまうなんて。その手伝いなんて、できません」


 彰子は「逃げて下さい」と二人をうながす。


「で、でも……」


「考えてる場合か。逃げねぇと」


 躊躇する巧厳を、宿梨が引っ張った。


「そもそも、時間を操るミライトになんか頼らず、政府も問題なら自分たちで解決すればいいんです。例え戦争になって、無政府状態になったって、国民の不満が高まれば、必ずクーデターが起きてちゃんと政権を自分たちの手に取り戻してるんです。他の国ではそうしてます。日本だって、きっとそうなります。お二人だけに責任を押しつけて終わらせるようなこと、絶対に間違ってます!」


「それは……」


 力説する彰子を、巧厳は思わずぼんやりと見つめていた。


 そこへ、受付に行っていた枯恋が戻ってくる。


「ちょっとぉ~、おかしいよ。ここの人たち、話しかけても誰も反応しないんだけど」


 尻餅をついた色を助け起こしながら、宿梨が「どういうこっちゃ?」と聞き返した。


「なんか、わたしたちが見えてないみたい。みんな、どうしちゃったんだろう」


 枯恋が不安そうにあたりを見回す。


「あ、あれ?」


 そのとき、巧厳は周りの人々がぼやけたように感じた。


 しかし、そうではない。奥からくる超越的な存在感に圧され、人々がかすんで見えたのだった。病院の奥から、見知った二人が歩いてくる。


「宿梨。そのほう、余に忠誠を誓ったのではなかったか?」


 その問いかけに、すくんだように宿梨が硬直した。


「――めいさん」


 たっぷりと二呼吸ほど置いて、宿梨が呼びかけの主に応える。


 奥から現れたのは石動いするぎ鳴と泰山やすやま月二の二人であった。


じん。おめぇ、失敗しよったんか」


「師匠……。わりぃな。決着がつかなくてよ」


 宿梨の言葉に、枯恋が噴き出す。


「宿梨くん、今、師匠って……」


「あぁ。泰山の爺さんにこてんぱんにのされてから、鳴さんの隠れ家でちょっと稽古とかつけてもらったりしてよ。弟子入りってわけぢゃねぇが、勝手にそう呼んでる」


 それでか、と、巧厳は呆れながらも納得した。


 宿梨はやはり、動物のように強い者に従っていたのである。


「まったく、単純な……」


「うっせぇぞ、巧厳。つええ人を尊敬して何が悪い」


 話が逸れそうになったところで、泰山が大きく一つ咳払いした。


「この病院に来たっちゅうのは、寝返った、っちゅうことじゃの?」


「別に、そうぢゃねぇよ。ただ、オレにもどうしたらいいか分からなくてよ」


 宿梨が答えると、鳴は抑揚のない調子で告げる。


「悪いが、予定が変わった。そのほうらには、死んでもらう」


「なっ」


 巧厳は絶句した。


 鳴はどこか淋しそうにも見える表情で続ける。


「政府は、余の存在自体をなかったことにしたいということであろうの。余の射殺命令が出ておることが、何よりの証左であろう」


「そ、それはちょっと、結論が早すぎるんじゃないかな?」


 巧厳の言い分に、鳴はしかし残念そうに首を振った。


「そのほうらが生きている限り、余の存在を消される可能性は残る。天寿を全うできたとしても、余が産まれる前に戻ってしまえば終わりなのだ。これ以上、政府とそのほうらを奪い合うだけの余力も、残念ながら我らにはない。死んでもらうしかないのだ」


「そういうことじゃ。観念せぇ」


 泰山が無表情に告げる。


 そのとき、彰子が「走って!」と叫んだ。


 瞬間、病院の床が盛り上がり、巧厳たちと鳴たちの間を阻む壁となる。


「真壁さんの能力って、そんな使い方もできるんだ……」


 巧厳が驚いたのも束の間、盛り上がった床の一部が、まるで巨人に踏み潰されでもしたように、ベキベキと音を立てて平らになった。


「泰山。女どもは任せた」


「承知」


 頭を下げた泰山が手を向けるのと同時に、枯恋、彰子、色の三人は、まるで廊下の奥が下になったように水平に『落ちて』ゆく。


「さて、残るはそのほうらだが……。そのほうらには、余が直々に死をつかわす」


 鳴が笑った瞬間、巧厳と宿梨の体が、何もない空中に放り出された。

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