第二章 泰山鳴動して
暗躍する影
高度五〇〇〇メートル――圧倒的高空から、二つの影が飛来する。
かの有名な警視庁のV字型の建物から、赤レンガ造りの法務省旧本館を挟んだところに、中央合同庁舎六号館A棟がある。その隣、日比谷公園の上空に現れた二つの影は、自由落下の数倍の加速度を持って地面へと驀進し、激突の寸前――、まるで重力を無視したかのような動きで地面に水平に曲がった。音速の衝撃波が大噴水を人口池の水ごと吹き飛ばし、周囲にいた人々をずぶ濡れにする。
「――様、少々、危のうございますぞ」
呟いた大柄な影は、はかまを風にたなびかせた和服姿の老爺である。小柄な影がそれにうなずきを返した次の瞬間、公園の林道を抜けた二人の体は、弾丸のように目前に迫ったビルの正面玄関をぶちやぶる。割れたガラスが爆発的に吹き上がり、ややあって重力を思い出し、一斉に落下すると、騒々しい音色を奏でた。
「おうおう、口八丁の弁護人ら、たいそう吃驚しておりんさる」
老爺たちは空中で一時静止し、辺りを睥睨する。
警備員に手荷物検査を受けていた来客の胸には、金色の弁護士記章が輝いていた。来客の中には同様のバッヂをつけた者が多い。しかし、法務省庁舎でもあるこの合同庁舎六号館は、その大部分を検察庁関連施設が占めるため、奥にいくほど、秋霜烈日のバッヂをつけた者の姿が増える。
「――様、エレベーターへ。まずは最下階、地下三階に参ります」
大柄な老爺は、小さいほうに対する時だけは慇懃な口調になる。
「ふむ。では、左端のエレベーターにするとしよう」
答える声は細く澄んでいた。
キャスケットを目深にかぶり、全身を黒いコートで覆ったその姿は子供のようにも見える。
荒事には不慣れな検察庁職員たちや、警棒しか持たない警備員たちが、空に浮いた異様な侵入者を取り囲もうとようやく動き始めた直後、二つの影はすうっと空を滑り、左端のエレベーターのドアに『溶けて消えた』。
「まったく。こがいに楽に侵入を許してからに、法の番人らが聞いて呆れるわい」
暗いエレベーターのシャフトを降下しながら、老爺がぼやく。
最下層にたどり着き、入ったのと同じように鉄製の重いドアを『すり抜け』た瞬間――、
ガヂヂヂヂヂヂヂヂ!! と、二人を銃弾の雨が襲った。
だが――、
「――様、面目次第もございません。油断いたしました」
老爺が恐縮する。数十発もの銃弾は二人にかすることすらなく、エレベーターのドアの塗装を弾き飛ばし、無数の鋼鉄色のクレーターを作った。
二人を取り囲んだ黒服の群れは一瞬狼狽したようだったが――、再度構え、斉射。
しかし、次こそ彼らの目は驚愕に見開かれる。先ほどに倍する銃弾の嵐は、目標に届くことさえなく空中に静止し、きりもみ回転を続けていたからである。
小柄な影は色味の薄い桜色の唇を笑みの形にし、老爺に命じた。
「よい。こやつらは任せた」
老爺が空中を滑り、小柄な影を守るように前に出る。
「――あんたらにゃぁ、恨みはないが。ちいと手荒ろういくで」
そう告げ、右手を前方に突き出すと、指を揃えて手のひらを見せた。その手でゆっくりと前方の空間を撫でた、途端――、老爺たちを取り囲んでいた黒服たちが吹っ飛び、背面の壁へと叩きつけられる。
「済みました、――様。目的のものはおそらくこの『さらに下』、公安調査局によって存在自体を禁じられた"
真に重要な機密は、消える恐れのあるデータではなく、紙媒体によって保管される。彼らはその最重要機密文書を狙っていた。
うめき声を足元に聞きながら、二つの影は廊下を進む。
「――行かせるかよっ!」
その時、黒服の一人が小柄な影の両脚に飛びつき、中空から地面へと引きずりおろした。
「きゃっ!」
「は、え? ……女ぁ?」
小柄な方に馬乗りになった黒服は、帽子が脱げて露わになった素顔に、一瞬怯む。
「――様!」
機敏に宙を舞い、空から降り立った老爺は老人とは思えない軽やかさで、黒服を蹴り飛ばした。黒服は廊下を五メートルほどすっ飛び、壁に激突。その場にくずおれる。
「やめよ!」
「ハ。ですが……」
恐縮する老爺に構わず、小柄なほうは倒れた黒服に歩み寄った。
「そのほう、他の黒服どもよりかなり若いな。入省したばかりか。名はなんと申す?」
「ふん……」
「答えぬか、それも良い。愚鈍な先達が今も泡を吹いておる中、よくぞ余に手をかけた。褒めてつかわす。――褒美に、そなたの生、余が貰い受けてやろう」
「へ?」
「我が接吻を受けよ」
「な?! う、う、うわあああああああああああっ!!」
鋭い悲鳴が地下三階にこだまし、やがて唐突にやむ。後には静寂だけが残った……。
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