妹(1)

 巧厳こうげんは一睡もできず、机の上の未開封の封筒をにらみ続けていた。


「くそ、なんだってボクがあんなやつと……」


 つぶやき、脳裏に骨太のオトコオンナを想像する。広い肩幅、ぎょろぎょろとした目、ほとんど宿梨すくなしといっていいベースに、サラサラストレートの黒髪が生えていた。


「……ぐぇぇ」


 何度も何度も振り払おうとするのだが、そのたびに、宿梨仁子じんこは巧厳の脳内に図々しく居座って、野卑な微笑みを浮かべるのだ。


「そりゃ、時間移動なんて出来たら、それこそ――、なんでもできるけどさ。だからって、ボクたちのどっちかに犠牲になれって……ひどすぎだろ」


 ミライト計画。


 その計画が冠する名は、今世紀初頭にその存在が確認された一人の異能力者を指す。彼は、物理学の常識ではおおよそ考えられない超常現象をいくつも引き起こした。いわく、太陽の光をつかんでみせただの、素手で地震を止めてみせただの、川の水を逆流させてみせただの……、かなり眉唾ではあるが、それが本当であれば、およそ規格外の異能力者であるらしい。


 政府は当初、その存在をひた隠しにしようとしたが、ある理由により、その無謀な試みはとん挫した。彼――始まりのミライトは、自分以外の者をも異能力者へと『進化』させることが出来たのである。


 能力者の数が両手では収まらなくなったころ、ようやく政府は次の方針を打ち出した。すなわち、新たに生まれるであろうミライトの力を管理、統制しようというわけだ。幸い、始まりのミライトの生まれ故郷はここ日本であり――、今はまだ、諸外国に比べミライトの数は圧倒的に多い。将来は、ミライトという人的資源の保有数が国家の命運を分けることにもなりかねない。その、来たるべきミライト時代を一歩先んじることが出来れば、日本は世界中の尊崇を一身に受けるほどの繁栄を手にすることになるだろう。


(――まぁ、そうなる前にちょっかい出してきそうな国は、いくつかあるけど)


 巧厳が考え込んでいると、突然、部屋のドアが荒々しくノックされた。


「おい、童貞! いんのか?」


 かん高い、子供らしい声が室内に響く。


「……なんだ、しき? お前が話しかけてくるなんて珍しいな」


 巧厳がドアを開けると、ドアの外に立っていた少女はずかずかと室内に入るや、巧厳に向かって何かを要求するように手を差し出した。


「宿題! やってくれた? 早く出してくんない?」


「はぁ? 宿題だと? なんでボクが……」


 巧厳は自分より頭一つ半は小さいであろう、自分の妹――巧厳色を見下ろした。


 まず、美少女と言っていい。冷たさをも感じさせる鋭い瞳は、巧厳のそれに似て、見るものを射すくめるような輝きを放っているが――、端正に整った輪郭に、すらりと通る鼻筋、桜色をたたえた薄い唇が極上のバランスで整然と収まっている面差しは、一度でも微笑みかけられたら至福直観に達しようという美しさである。


 この美しさでまだ小学六年生というのだから、巧厳は末恐ろしくなる。――それとも、この悪魔のような美貌は幼いがゆえの特権であり、成長していくにつれて、ただの凡庸な美人(という言い方も妙だが)へと変わっていくものなのだろうか。


「はぁ? ふざけんなよ!? 昨日、LIMEライムしといただろ!」


 妖艶とも言える相好を傲然と怒らせ、色は巧厳に抗議した。オフショルダーに着崩したTシャツの胸元から、かすかな膨らみがちらちらと巧厳の目に飛び込んでくる。


「美術のレポート! 今日が発表なんだよ! 得意のネットでちゃちゃっと調べれば済む話じゃんか。何でやってないんだよ!」


 巧厳は見慣れた膨らみに興味を向けもせず、面倒そうに応じた。


「あのなぁ。それ、夏休みの宿題だったやつだろ。何でまだやってないんだ?」


「うっさいなぁ! やってないと困るんだよ。松宮まつみやくんにいいとこ見せらんないだろ!」


「……お前、まだ学校じゃ猫かぶってんのか。その松宮くんとやらに、我が家でのお前を見せてやったら、さぞかし幻滅するだろうな」


「そんなことないもん! 松宮くん……じゃなかった、智紀ともきは受け入れてくれるもん! ウチらの愛をなめんなよ!?」


「なんだ、手が早いな。もう付き合ってんのか」


 色が男子を下の名前で呼ぶのは、恋人に対してのみだった。頻繁に恋人が替わっているはずなのだが、なぜか、小学校では清楚なお嬢様キャラで通っているらしいから、タチが悪い。

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