超越者(2)
と、その時、
「あのね、
「ふむ、枯恋。久しいの。つつがなくしておったか?」
「はぁぁ?」
間抜けな声を上げたのは巧厳である。
「省庁を引っかき回し、って、どういうことだよ?」
巧厳が枯恋の肩をつかんで問いつめると、枯恋は困った顔で答えた。
「だからね。さっき言ってた、政府が"理に適ってない"行動を取らざるを得なくなった理由が、この人なの。政府の高官とか、官僚とか、散々脅したりしたらしいよ」
「え、え? じゃあ、この人は悪人なのか?」
混乱する巧厳を尻目に、
「バッカだな、巧厳。こんなイカツイ爺さんを連れて空から現れるやつが、正義の味方なわけねぇだろうが」
「え? いや、え!? そ、そういうもんなのか??」
「そういうもん、そういうもん」
面倒臭そうに告げ、宿梨はその場でストレッチを始めている。
「ふむ。善悪など、時代時代の思想や価値観によって変わるもの。数年後には、これから余の成すことが、全き善として全人類に称えられることになるであろうな」
鳴は超然とした態度を崩さない。
「でもね、鳴先輩――。いきなり全人類をミライトにするなんて言い出したら、誰だって慎重になるのは仕方ないでしょ! それを、あんな無理矢理……」
枯恋が言葉を切る。――何をしたかは分からないが、鳴はかなりとんでもないことをやらかしたらしい。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 全人類をミライトだって?!」
その計画が示す危険さに、巧厳は気づいた。
「いいんぢゃねぇのか? 全員、異能力者になっても。面白れぇだろうが」
「バ、バカか、"やどなし"!! よく考えろ。そんなことになったら、既存の統治機構はすべて崩壊するぞ! 日本は犯罪天国と化す。いや、あの人は全人類をミライトにするって言ってるんだ。世界じゃ今でもどこもかしこも戦争してる。新たに与えられた力が平和のために使われる確率は限りなく低い。テロが横行し、報復爆撃と報復テロの連鎖が始まる。一体、何人死ぬと思ってるんだ?!」
宿梨を、巧厳が叱りつける。だが、宿梨はどこ吹く風と言った様子だ。
「別に、オレはそれでも構わねぇけどな。強い者が生き残る。それでいいだろうが」
「お前は良くても、全世界の善良な市民が――」
その時、言いさした巧厳の言葉をさえぎり、鳴が尋ねる。
「戦争、結構。何が悪いというのだ?」
「なっ!」
あまりの論理に、巧厳は絶句した。すかさず、反論を試みる。
「そんなの、ダメに決まってる。キミだって、殺されたくない人はいるだろう!?」
だが、鳴は巧厳の問いには答えず、別の質問を返した。
「そのほう、両の手の、指の間に水かきはあるな? 尾てい骨は?」
「あ、あるけど……」
「それらがなぜあるのか、知っておるか?」
「あれだろ? 人間は発生の過程で進化をやり直してるってやつ。胎児は最初、魚の姿をしているのが、両生類の姿になり、やがて人間の姿になるって」
最初の勢いも空しく、巧厳はすっかり鳴のペースに巻き込まれていた。
「なぜ、やり直す必要がある? 人間に産まれるのだから、始めから人間の姿を目指せばよかろう。一度、別の姿になって、整形し直す必要がどこにある?」
「それは……、確かに」
「それだけではない。人の体内時計が二五時間周期なのはなぜだと思う? なぜ、毎朝日光を浴びて、二四時間周期にリセットさせる必要がある?」
「何が言いたい……?」
鳴の真意を測りかねて、巧厳は問い返す。すると、鳴は傲然と、絶対の真理でも告げるように答えた。
「ヒトという種は、その生理において、何事にもマージンを持たせておき、必要に応じて調整する方法をとっておるということだ。最初から『完璧』を目指せば、いずれは破たんする。完璧は完璧であるがゆえに、状況がいかに変わろうとも、変化の余地がないからの。人が生み出す社会においても、同じことが起こると考えてみたら、どうだ? 社会とて、人の脳が生み出すのだ。その生理機能と同じ構造を踏襲していたところで、不思議ではあるまい?」
瞬間、巧厳の目の前が怒りでくらむ。
「――じゃ、戦争で死んだ人たち、これから戦争で死ぬ人たちは、その余分に作った"マージン"だっていうのか? 人類全体があんたのいう『完璧』に近づくために、少し余分に生まれてきて、ちょっとはみ出たから死んでいく――、と、そう言いたいのか」
だが、巧厳ににらみつけられても、鳴は平然としていた。
「さて、個としては悲劇だが、種としてはどちらが正しいのであろうな」
鳴がうそぶく。
巧厳は深呼吸をして、冷静さを取り戻そうとしていた。
(けど……、あいつの言うことも一理ある――)
幼いころ見た特撮ヒーローのように、怒りに任せて糾弾するのは簡単だろう。だが――、巧厳の知能は、その冷徹な理屈をも理解してしまった。理解してしまった以上、単純に反発することは、もはや出来ない。
「じゃあ、個としての不幸はどうなる? 誰だって、死にたくないだろう」
それでも、巧厳は反論を試みる。
「そうよの……。余とて、死にたくはない。だが、余は死ぬことはなかろう。このように守られておるからの」
そう言って、鳴はあごをしゃくって後ろに控える老爺を示す。
それは強者の論理だった。人は誰しも、自分は痛みには敏感だが、他人の痛みを本当の意味で理解することはできない。人が他人の痛みを心配するのは、究極を言えば、自分が同じ痛みを味わいたくないからだ。
自分は安全だから他人の痛みなど知らない、鳴はそう言っているのだ。
「じゃ、自分を守れない弱者は死んでもいいってか? ――キミがその力を得たのはなぜだったか思い出せ。キミの誕生した背景には、七〇億人分のトライアンドエラーがあるんだ」
七〇億通りの人間が生まれたからこそ、その中の一人がミライトだったのだ。
五〇億通りでは、ミライトは生まれていなかったかも知れない。または、少しでもタイミングがズレていれば、百億通りの人間が生まれたとしても、その中にミライトはいなかったかも知れない。――なおも果てしないトライアンドエラーが必要だったかも知れない。弱者を排除する鳴の論理とは、対をなす真理でもある。
「無論、遺伝子の多様性は確保せねばならぬ。全人類を死滅させるウィルスが蔓延したとしても、たった一人、そのウィルスに抗体を持った者が生まれていれば、ヒトという種は全滅を免れ得るのだからな」
目を閉じて、鳴が頷いた。巧厳は勢い込んで一歩前に出る。
「だったら――!」
「だが、余には時間がない」
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