5ー7 再会と再開
建物の前でへたり込み続けているわけにはいかない。僕はクマの編みぐるみを拾い上げ、思いきって「食肉組合本部ビル」の扉を開いた。
早朝も早朝の時刻だというのに、ビルの受付カウンターには制服姿の受付嬢が座っていた。肌が細かい鱗に覆われたトカゲのような外見の受付嬢に、僕は思いきって声を掛ける。
「あの……ここに僕の弟がいるみたいなんですが……」
受付嬢が縦長の瞳孔から冷たい視線を僕に向ける。その冷ややかさに僕は震えた。僕みたいな「普通の人間」がこんな場所に来るなんて、飛んで火に入る夏の虫みたいなものだろうか。でも、ここで挫けるわけにはいかない。
「弟の名前は小野寺龍児っていいます。ここにいるはずなんです! 教えてください!」
受付カウンターにしがみつきながら叫ぶ僕の姿に、トカゲの受付嬢は困ったように溜め息をこぼした。
「出荷状況などにつきましては、通常はご家族の方にもお教えできないのですが……。弊組合職員に縁故などございませんか? そちらに取り次ぐことはできますので、場合によってはご対応できるかもしれません」
「縁故……? 知り合いってことですか? えっと……あ、そうだ、山猫シェフ!」
咄嗟に僕が出した名前に、受付嬢はわずかに目を見開く。
「事務局長の山猫とお知り合いなのですか?」
「えっと……直接の知り合いというか……僕の前の職場――にこにこ銭亀ファイナンスっていうんですけど、そこの社長が山猫シェフと取引していたんです。僕も一度だけお目に掛ったことはあります」
「承知致しました。すぐに連絡をお繋ぎします」
受話器を持ち、流れるような手付きで番号を押したトカゲの受付嬢は、電話口で何回か言葉のやりとりをした後、通話を切った。
「小野寺龍児という人物は、山猫が最近請けた案件であるようです。しばらくは健康状態に問題が発生するようなことは起こらないだろうとのことですが、つい先ほど、その人間を連れて倉庫から顧客の元へ向かったようです」
「そんな!」
ドアの外を覗くが、それらしい車は見えない。もう出発してしまったのか。
「顧客って誰ですか! やっぱり尨毛さんですか! 尨毛さんの住所を教えてください!」
「そ、それは……そういったことにお答えするわけには……」
僕がいくら問い詰めても、トカゲの受付嬢は困ったように目をパチパチさせるばかりだった。その時、食肉組合本部ビルの自動扉が開く。
「誠児さん」
扉の先で僕の名前を呼んだのは、黒豹の上に横座りした黒蜜さんだった。この前、事務所で別れた時と同じ、短いプラチナブロンドの髪と黒いゴシックロリータのドレス姿。びっくりして固まる僕に、黒蜜さんはいつもの無表情のまま、冷静な声で告げた。
「弟さんを追います。乗ってください」
銭亀さんや菜摘さんと同じ、赤い瞳がキラリと光って見えた。
僕は頷いて黒蜜さんの後ろに跨る。その瞬間、黒豹は一息の間にトップスピードに加速し、早朝の月影町を疾走し始めた。
黒豹は黒蜜さんと僕を乗せて街を駆ける。大通りから小道へ。柵を乗り越えて誰かの敷地を横切り、また別の道へ。黒豹が向きを変えるたび、慣性に従って僕の体が前後左右にがくんがくんと揺れ、僕は振り落とされないよう必死に黒豹の体を掴む。
その道中、左腕がないのにもかかわらず、余裕の顔で黒豹に腰かけている黒蜜さんが僕に言った。
「わたし達はわたし達で尨毛さんの動きを追っていたんです」
「そ、そうだったんだ!」
「わたし達の会社を襲撃してきた人を含め、尨毛さんは普通の商売人にしては随分と物騒な連中を雇っているのが気になったので。そこから攻めていって、あの人の周囲で資金の流れに奇妙な部分があることを発見しました。随分と非人道的な商売をしているようですね」
「それって……人間を……その……食事にする商売……?」
「ええ。そもそも月影町では食肉組合以外の者が人肉提供することを禁じています。乱獲により外の世界と軋轢が発生するのを防止するため、組合が供給量を取り決め、需給バランスをコントロールしているのです。月影町の正居住者にとって人間とは嗜好品で、飲酒や喫煙のように摂取しなくても死にはしないものですし」
「そうだったんだ。じゃあ、尨毛さんはそのヤバい橋を渡って人間を確保するため、警備や護衛として物騒な人達を雇ってたってこと……? でも、じゃあ、なんで僕の弟はわざわざ食肉組合を通して誘拐されたんだろう?」
黒蜜さんは僕の問いに少し考えてから、口を開く。
「月影町住民が外の世界で人間とコミュニケーションをとることは特段問題のある行為ではありませんが、外の世界での人間の略取や直接の危害を許されているのは食肉組合の人達だけです。その辺り、組合は外の世界で監視網を確保しているので、尨毛さん独自での誘拐は露呈のリスクが高いと判断したのでしょう」
「なるほど」
「それに、組合は経験が豊富で、仕事は確実です。人に紛れる術も多様で、外の世界に適応した計画立案から事前調査、実行まで、正確性もかなりのものだと聞いたことがあります」
そういえば、昨日は僕が出かける前、龍児くんはいつもと違って僕を必死で引き留めようとしていた。もしかして、あれは僕がいない時間に尨毛さんの配下や食肉組合の人が下調べに来ていたことに気づいて、それを僕に伝えたかったのかもしれない。
どんなに恐ろしかっただろう。そして、僕に気付てもらえなくて悲しかっただろう。
僕はぎゅっと唇を一文字に引き結んだ。黒蜜さんはそんな僕に、冷ややかな視線を向ける。
「しかし、誠児さん。そもそも、わたしからも芽衣さんからも、誠児さんはこの件に関わらないよう注意したはずです。危険だと」
「そ、それは……」
「でも、誠児さんの気持ちはわかります。真桜子さんを放ってはおけませんからね。しかも誠児さんの弟さんを攫うだなんて……尨毛さんの暴挙は許せません」
「黒蜜さん……ありがとう……ありがとう……!」
「同じ会社の仲間じゃないですか、わたし達は」
「ありがとう……」
「いいえ」
黒蜜さんは相変わらずクールな無表情だったが、そこには少し暖かい感情が混ざっているように僕には見えた。僕は目が潤みそうになって、手の甲で乱暴に目元を拭った。
※
菜摘さんはアパートの一室を借りて、尨毛さんの屋敷の張り込みをしていたらしい。そこはカーテンと立派な双眼鏡以外、家具も家電もない部屋だったが、チョコレートやビスケットの包み紙が現代アート作品のようにダイナミックに散らばっている。
「瑠奈ちー! 誠児っちも~! 久しぶりぃ!」
にへらと緩んだ菜摘さんの笑顔は、この前、事務所で別れた時のままだった。今日も水色と黒のツートンの髪にパステルカラーでファンシーなデザインの洋服を着た彼女は、カーテンの隙間から見える巨大な一軒家を指さした。
「尨毛さんち、ちょい前に車が入ったとこ~! 誠児っち、ほら~、目の前のすっごい豪邸が尨毛さんちだよぉ! 車からはぁ、山猫さんと組合の人が二人~、あと、人間の男の子が一人降りてったよぉ」
「そ、それ、僕の弟……!」
「うん~。うちら、尨毛さんのスタッフ、何人かバイシュ~したり色々したり~、で、ついさっき、誠児っちの弟くんが危ないって知ったのぉ。さすがに、食肉組合はガード固くてぇ、組合に通っちゃったお話はストップ出来なかった~。ごねんねぇ、誠児っち」
「ううん」
すまなそうに顔を歪める菜摘さんに、僕は首を横に振る。
これは僕の責任なんだ。僕がこの件に首を突っ込もうとしたから。だから、僕が龍児くんを取り戻さないといけないんだ。
僕は改めてカーテンの隙間から敵の拠点を窺う。尨毛さんの屋敷は煉瓦造りの洋館に広々とした英国式庭園を備えた立派なもので、菜摘さんの言ったとおり、屋敷の玄関先である車寄せにそれらしい黒のバンが乗りつけられている。
「買収したメイドの話によると、玄関を入って右手側の部屋が応接室で、来客対応はそこで行われるようです」
黒蜜さんはどこで手に入れたのか、屋敷の図面を見ながら言った。菜摘さんも双眼鏡を弄びながら口を開く。
「うち、何日もず~っとここんち見てたけどぉ、あのムカつくリス男、ず~っとここんちの護衛してるっぽい~。空き巣かなんかで来た人がぁ、返討ちあって、ボッロボロにされて放り出されてた~」
「でも、指を咥えて見ているわけにはいきません」
「もち~! 誠児っちの弟さんなら、うちの弟と言ってもタゴン? ナゴン? カゴン? ではない~! だよねぇ、瑠奈ちー?」
「はい。弟さんをすぐに取り返さなければ。突撃しましょう」
僕達三人は無言で頷き合い、アパートを出て、そびえたつ屋敷へと向かった。
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