4-6 親の在り方

 診療所を出た後、鳥羽さんに「あること」を言い含めた僕達は、再びアパートに戻って来た。その道中で合流した女性と一緒に。


「オデットちゃん、こちらはあなたの叔母さんです」

「おばちゃん……?」


 アパートの扉から出来てきたオデットちゃんは、黒蜜さんの説明に目をまん丸にして、僕達が連れてきた女性を見上げる。オデットちゃんの叔母である女性は、優しくにっこりと笑った。


「はじめまして。あなたがオデットちゃん? ママにそっくりなのですね」

「おばちゃん……ままとそっくり……」

「そうですよ。あなたのママとわたしは双子なのですもの」


 肩から腕の代わりに白い翼を生やした女性は、そう言っておっとりと笑う。その羽の色はオデットちゃんのものと同じく、光の当たり方によっては金と銀の間の色に見えた。


「あなたのパパはしばらく治療に集中しないといけないのですって。だからしばらく叔母ちゃんと一緒に暮らしてみない?」

「ええぇ……!」


 オデットちゃんはびっくりした顔で鳥羽さんを見つめる。


「そうなんだよ、オデット……わりぃけどな、しばらく叔母ちゃんとこに厄介になっててくれねえか?」

「ぱぱ……」


 心配と不安の混じった目でオデットちゃんは鳥羽さんと叔母さんとを交互に見た。そんなオデットちゃんを抱き上げて、叔母さんは優しく言う。


「オデット、あなたのパパはご病気を治す間、あなたの面倒をみられないことをとても心配なさっているのです」

「で、でも、おでっと、じぶんのこと、じぶんでできましゅ! ぱぱのおせわだって……!」

「パパと一緒にいたいのはわかります。でも、あなたがいることで、パパのご負担が増えてしまうのよ。パパのためを思うのなら、わがままは我慢しないといけません」

「はぁい……わかました……」


 しゅんとして下を向いたオデットちゃんの頭を、叔母さんは「いい子ね」と言いながら純白の翼の先についた手で撫でた。


「安心なさい。うちはあなたを迎えるための準備が進んでいるし、そこには、あなたのおじいちゃまとおばあちゃまもいるのですよ」

「え! おじーちゃまとおばーちゃま!」


 オデットちゃんは驚いて目を見開く。


「お会いしたい?」

「あいたいでしゅ! ぱぱ、おでっとにはおじーちゃま、おばーちゃまいないっていったでしゅ。なあんだ、ちゃんといたんだー」


 期待に満ちたきらきらした目でオデットちゃんは叔母さんを見つめる。


「おじいちゃまもおばあちゃまもあなたのことを心配していて、早く会いたいそうですよ。さ、必要なものをこのカバンに詰めておいでなさい。お洋服とか、大切なものとか」

「わかました!」


 叔母さんから可愛らしいキャラクターもののピンクのリュックサックを受け取ったオデットちゃんは、部屋の中へ駆け込んでいく。それを見送った叔母さんは、氷のように凍えた顔になって鳥羽さんに向き直った。


「先ほど申しましたとおり、今後一切、あの子には近付かないでください。その代わり、養育費等は不要です。あの子は責任を持ってわたくしどもが大切に育てますので」


 黒蜜さんの調べによると、オデットちゃんのお母さんは鳥羽さんとの結婚を反対されて駆け落ちをし、しかし、オデットちゃんが生まれた頃から結婚生活がうまくいかなり、恋人を作って出ていってしまったらしい。オデットちゃんを置いて。


 黒蜜さんは音信不通になっていたオデットちゃんのお母さんの実家を調べあげ、これらの事情を伝えた結果、この叔母さんがオデットちゃんを迎えに来てくれたのだ。


「おお。その方がこっちも面倒がなくていいや! オデットはそっちでテキトーにみてくれや」


 興味すらなさそうな鳥羽さんの姿に顔を顰めつつ、オデットちゃんの叔母さんは黒蜜さんの方を向く。


「黒蜜さん、この度はオデットと姉のことについてご連絡感謝します」

「いえ……逆にわたしはあなたに恨まれても仕方のない立場でもありますから」

「……」


 黒蜜さんはたぶん、オデットちゃんの羽を借金のカタとして受け取ったことを言っているのだろう。でも、オデットちゃんの叔母さんはそれについては無言の無表情で、黒蜜さんに頭を下げた。


「オデットが幸せになれるように、家族で見守ります。幸い、あの子の祖父母もまだまだ現役ですので」


 リュックサックを満杯にしたオデットちゃんがアパートから出てきた。


「さ、行きましょう、オデット」

「はあい! るなしゃん、せーじくん、ばいばいでしゅー!」


 会釈しながら叔母さんはオデットちゃんの手を取ろうとするが、オデットちゃんは「ちょとまってくだしゃい」と言って、とてとてと鳥羽さんに走り寄ってぎゅっと抱きついた。


「ぱぱ、だいしゅきでしゅ! はやくごびょうきなおしてくだしゃ!」

「おお」

「ぱぱ、ばいばい! またね!」

「おお」


 特に感慨も無い様子で無気力に手を振り返す鳥羽さんの姿に、僕は誰かの姿を重ねそうになって、慌てて心の奥に蓋をした。



「い、痛い! 痛てええええええええ!」


 オデットちゃんのいなくなったアパートの部屋に、鳥羽さんの悲鳴が響いた。鳥羽さんは黒蜜さんの黒豹によって羽を毟られ、立派な翼が手羽先肉のようになった上、抵抗したせいで体中に生傷ができていた。しかも手枷・足枷を嵌められて、簡単には逃げられないようにされている。


「約束が違うじゃねえかよ! 黒蜜さん、アンタさっき、あの女に子供を引き渡したら借金はチャラにするって言ったろうがよ!」

「は? わたしは『便宜を図る』と言っただけで、チャラにするなんて言っていませんよ」


 黒のゴシックロリータのドレスを着た黒蜜さんは、黒のヘッドドレスと短いプラチナブロンドの髪に縁取られた人形のように整った顔を無表情にして言う。


「わたしが診療所からここに帰ってくる間に『オデットちゃんを叔母さんに引き渡せば便宜を図る』と言ったのは、返済のための手段を提供して今日中に完済するのをサポートするという意味です。普通だったら、もっと泳がせて借金漬けにして、元本の何倍にも育てた利息を延々と返済させるところを、今回は譲歩すると言ったのです」

「このアマ! 嘘つきのクソ野郎が!」

「クソ野郎はどっちです?」


 黒蜜さんの赤い瞳が、氷より冷たく凍えたように見えた。


「あなたはまだ小さな自分の娘にこれを課したのでしょう? しかも、こうやって何度も!」


 黒蜜さんは部屋の隅にあった、キャラクターものの置き時計のようなものを手に取ると、時間を設定してスタートボタンを押し、鳥羽さんの近くに置いた。


「これ、クロイさんから買った『時計』ですよね? これとオデットちゃんで一儲けしようとしてたんですか?」

「ま、まさか、アンタ……!」


 焦る鳥羽さんの前で、キャラクター時計の針がぐるぐると目まぐるしい速さで回転する。と、同時に不思議なことが起きた。


 手羽先状態でちょっとグロテスクな状態だった鳥羽さんの翼に、黒い羽が次々と生え始めたのだ。あっという間に、鳥羽さんの翼はもとの黒々とした状態に戻る。まるで、植物の成長をとらえた早回し映像のようだった。


「こうやって、クロイさんから買った『時計』を使ってオデットちゃんの肉体年齢を操作して、あの子の羽を何度も毟り取ったのでしょう? 羽を毟ったらこの時計で肉体時間を進めて羽を生えさせ、また毟り。そうやって、何度あの子を痛めつけたんですか?」

「別にいいだろうが! 子供をどう扱おうが、親の勝手だろ!」

「……そうですか」

「ぎゃああああああ!」


 黒蜜さんは黒豹の牙と爪で鳥羽さんの羽をバリバリと毟り取り、再びクロイさんの時計をセットした。


「も、もう勘弁してくれぇ!」

「まだです。あなたの黒い羽はオデットちゃんのものほど希少価値はありませんからね。あと十周ほど回します」

「やめろおおおおおおお!」



 何度も何度も羽を毟り取られて、鳥羽さんは息も絶え絶えだった。

 僕はその様子を尻目に、部屋に散らかった大量の黒色の羽を、事務所から持ってきた特大サイズのビニール袋に何袋分も詰め込んでいく。


「これで終わりではありませんよ」


 そう黒蜜さんが言ったところで、「ビー! ビー!」と呼び鈴が鳴った。


「鳥羽さん、こんにちは~!」


 入って来たのは無邪気な笑顔のクロイさんだった。体の半分を黒の毛皮に覆われ、顔の両側に長い耳を垂らした半兎の美少年は、今日もポンチョに半ズボン姿で、首からは大きな懐中時計を下げている。ただ、手には箱とスタンガンみたいなものを抱えていた。


「では、クロイさん、後はお任せします」


 黒蜜さんは八九鬼目先生に書いてもらった診断書などの書類一式をクロイさんに手渡した。


「りょ~か~い! 病院のショーカイジョーのあるお仕事なんて、僕、初めてぇ! ワクワクしちゃーう!」

「そうですか。回し車での『時間充電』作業で『時計』の代金を回収しつつ、その作業が鳥羽さんにとっては依存症解消のためのリハビリにもなるわけです。一石二鳥で、社会的意義のあるお仕事ですね」

「うふふふ! なんかスゴ~イ! 僕、頑張るぅ!」


 うれしそうに笑ったクロイさんは、何の躊躇いもなく、スタンガンのようなものを鳥羽さんに押し当てた。


「な、なんだぁああああ!」


 鳥羽さんは驚愕の声と共にネズミくらいのサイズに縮んでしまう。クロイさんは小さな鳥羽さんを摘まむと、もってきた箱にポイっと放り込んだ。


「ひいいいいいい!」

「えっとぉ、鳥羽さんに売った時計くんと電池くんっていくらだったっけ~? ま、いっかぁ、動かなくなるまでテキトーに時間をとらせてもらえば~」

「そうですね」


 感慨なさげに頷く黒蜜さん。箱の中の小さな鳥羽さんの顔は蒼白だった。


「そ、そんな……! あ、そうだ、黒蜜さん、金貸してくだせえ! とりあえず、クロイの野郎にあの『時計』の代金を払って、あとで黒蜜さんとこにちゃんと返しますんで!」

「うちは慈善団体ではないので、病気で返済の見込みのない人には貸し付けできないんです」


 黒蜜さんは箱の中を覗き込みながら、感情のこもらない声で言う。


「がんばってくださいね。ただし、もし『リハビリ』から逃げ出したら、わたしの『鼻』で探し出して八九鬼目先生のところにお連れしますので」

「そ、そんな……! けど、クロイの野郎に酷使されたオイラ死んじまう!」

「死んだら死んだでいいんじゃないですか? 今後オデットちゃんやご家族に集りに行く可能性もなくなるわけですし、そうすれば、オデットちゃんの中では『大好きなパパ』の姿のままでいられます」


 黒蜜さんが冷たく言い放つと同時に、クロイさんが箱の蓋をバタンと閉める。黒蜜さんは人形のように整った顔にごくごく薄く、笑みを浮かべた。


「さようなら、鳥羽さん」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る