5-10 真相と結末

「眠い……」


 菜摘さんと黒蜜さんに体の両脇から支えらえた銭亀さんは、深い眠気と戦っているようだった。ろくに睡眠も取らずに菜摘さんの元友人達への取り立てを行っていたのと、【無粋な訪問者ドリーム・キャッチャー】の奥の手、たくさんの人間と大きな物体を他人の夢に引き摺りこむという無茶をしたせいらしい。


 銭亀さん達女子三人は銭亀さんの家に向かって歩いているが、それは月影町の出口の方角でもあり、僕と龍児くんは彼女達の後ろについて歩く形となっていた。


「誠児くん、色々黙っててごめんね」


 銭亀さんが僕達の方を振り向きながら言った。さっきまでの出来事で知った諸々を考えると、僕は睡魔と戦う銭亀さんの赤い瞳をまっすぐに見つめ返すことができず、微妙に目線を外しながら恐る恐る口を開く。


「半死人のことと……さっき尨毛さんが言ってた、その……銭亀さんと僕が姉弟だ……っていうこと……?」

「うん」

「それ……ほ、本当なの?」

「うん。あのね……」

「銭亀さん、今は無理しなくても……後でも……」


 それは半分は知るのが怖い気持ちから出た言葉だったけれど、銭亀さんは頭を横に振った。


「ううん、話させて。この勢いで話さないと。ずっとうまく話せなくて……一時期は外回りを言い訳に誠児くんと会うのを避けてたんだ。ごめん」


 それは僕も同じだ。ずっと聞きたいけど聞けなくて、銭亀さんが外回りで事務所にいないからホッとしていたんだ。


「わたしは小野寺泉――つまり誠児くんのお母さんが初めて産んだ子供なんだよ。物心つく前に引き離されたから、現実では誠児くんと会ったことはないけどね」

「お母さんの……子供?」


 僕は急に腑に落ちた。

 そう言われればそうだ。前に銭亀さんは誰かに似ていると思ったことがあったけど、その誰かとは「僕の母親」だったんだ。家事や弟の世話を僕に押し付けたまま、ほとんど家に帰ってこない僕の母――小野寺泉の外見にそっくり。どうして今まで気付かなかったんだろう。


「誠児くんは知らないかもしれないけど、ママは今の人のお妾さんになる前にも、とある資産家のおじいちゃんのお妾さんをしていたの。その時に生まれたのがわたし。だから、誠児くんと龍児くんとは『異父姉弟』になるね」

「異父……きょうだい……」

「と言っても、ママはわたしを産んだことすら覚えてないだろうけどね」

「そんなまさか」


 自分が子供を産んだことを忘れることなんてあるのだろうか。

 僕の疑問に答えてくれたのは、黒蜜さんと菜摘さんだった。


「半死人になると、その人物が存在していたことが、周囲の人間達の記憶から抜け落ちてしまうんです。そうでなければ、わたしの失踪には捜索願が出されていたでしょう」

「誠児っち、ほら~、うちの元友達、再会した時、最初うちのこと忘れてたでしょ~? でも、半死人までならぁ、しつこく食い下がれば思い出してくれるっぽいよ~」


 確かに、菜摘さんと再会した当初、あの人達は菜摘さんのことを思い出せないようだったし、その後、急に記憶が蘇った様子だった。

 銭亀さんは女子二人に頷きながら言葉を続ける。


「戸籍とか色々な書類とかには、きっとわたし達の名前はまだ残ってるはずだよ。でも、たぶん誰もその文字を認識できなくなってるんだろうね。半死人の期間中に役所に問い合わせしたりすれば、その瞬間は見えるようになるのかもしれないけど。あと、半死人を卒業して、『人間としての死』を選択すれば、みんなの記憶も蘇ってきて記録も認識できるようになって、必要に応じて死亡の処理がなされるはず」

「もう一つ選択があるんでしょ? 月影町の住人になるっていう……」

「そうなると、人間世界の書類上も、わたしを忘れてしまった人達の頭の中からも、わたしは完全に消える」


 顔が凍り付く僕に、銭亀さんはゆっくりと話す。


「話を戻すね。わたしが生まれてすぐ、わたしのパパにあたる人は高齢だったこともあって病気で亡くなってしまったらしいの。当然、わたしには遺産が入ったはずだけど……あの母親がそんなもの、計画的に使うわけないでしょ」

「うん……」

「すぐにいろんな男性に金を吸い尽くされて。文無しになったママは、男友達の皆さんの家を渡り歩いて暮らしていたみたい。わたしの面倒は片手間――というか、結構、放置状態だったらしい」

「そんな! だって、銭亀さんはまだ赤ちゃんでしょ……!」

「後で調べたら、児相案件になってたみたいだね。醜聞を嫌ったパパの方の血筋の人がわたしを引き取ってくれた。だけど、わたしの成長と教育に使うべきお金はもはやなくて、そもそも、妾の子を喜んで引き取るわけもない」


 そこで言葉を切った銭亀さんはふうと息を吐き出した。


「誰もわたしを大切にしてくれなかった。寂しくて淋しくて、それでわたしは人の気を引くようなことをたくさんした――つもりだったけど、今よく考えれば、それは大人達に迷惑を掛ける行為だったんだよね。小さすぎてそんな判断もできなかった。そのせいで大人達がわたしから離れて行って、また寂しくて淋しくての悪循環」

「そんな……」

「まあ、わたしを引き取ってくれた人達も大変だったと思うよ」


 銭亀さんは美しい顔を歪めて、シニカルに笑う。


「五歳の誕生日のこと。ある夏の日、わたしは寂しさに耐えきれずに家を抜け出した。どこかにわたしを可愛がってくれる本当のママがいるはずだと思ったから。炎天下、わたしはママを探して歩き続けて、歩き続けて。都会の街を彷徨ってた」


 その日を思い返すように、銭亀さんは赤い瞳を細める。


「幼児が真夏日にふらふら一人で歩いているのに、すれ違う人は誰も声を掛けてくれなかった。自覚はなかったけど、たぶん、わたしは熱中症で死んだ状態で月影町に辿り着いた」

「え……」

「そこで、クロイさんに会った。クロイさんは『僕ね、今、お店屋さんごっこしてるんだ~。一緒に遊ぶぅ?』ってわたしに言った。わたしは幼稚園でも友達をうまく作れなかったから、遊びに誘われたことが嬉しくて頷いた。『ごっこ遊び』なんて始めてでドキドキしてた」


 銭亀さんの語る展開に僕は嫌な予感を覚えた。僕は不安な気持ちと共に銭亀さんの次の言葉を待つ。


「クロイさんは『僕は時間屋さんだから~、真桜子ちゃんの時間十年を一千万円で買ってあげるぅ』って言った。今でも一言一句違わず覚えてる。わたし、『時間屋さん』なんて知らなかったけど、遊びだと思ってたから頷いた」

「え、え……? でも、それって……!」


 銭亀さんは最高に不機嫌そうに顔を歪めて、吐き捨てるように言う。


「急に眠くなって、ちょっとした夢を見ながら一晩だけ寝たような感覚で起きたら、わたしは十五歳だった。目が覚めたら、いきなり体が成長した状態で月影町の大通りにわたしは突っ立ってた。頭の中には年に応じた知識まであった。月影町のことも、半死人のこともなぜか知っていた。手には一千万円分の札束。速く走れたし、漢字も読めたし、高くジャンプもできたし、計算もできた。でも心は空っぽだった。なんの思い出も頭の中にはないんだもん!」


 僕はただ絶句して銭亀さんの言葉を聞き続ける。


「唯一救いなのは眠っている間に夢を見たこと。わたしと同じ寂しがり屋の弟と出会えて、話もできた。たぶん、わたしの【無粋な訪問者ドリーム・キャッチャー】が目覚めかけていて、わたしと血のつながった子――似た寂しさを抱えた弟に引き寄せられた結果だと思う」


 銭亀さんは僕を見て、赤い瞳を細めて優しく微笑んだ。それは聖母子像のようにとても美しく優しい顔だったから僕は見惚れてしまったけれど、同時にどこか面白くないような、複雑な気持ちも抱かせた。


「とにかく生活していかなきゃいけないから、クロイさんからもらったお金を元に貸金業を始めた。大金ではあるけど、そのまま暮らしたらママみたいにいつか使い切るのは目に見えてたもん。仕事するには知識も必要だと思って、偽造書類屋を頼って高校に進学もした。その後、芽衣と瑠奈に出会って、本当の友達になれた。それでやっと、わたしはちょっとだけマトモになれた……気がする」


 銭亀さんが菜摘さんと黒蜜さんに視線を向ける。菜摘さんは照れ臭そうに「えへへ~」と笑い、黒蜜さんは無表情だけれど少し嬉しそうな表情にも見えた。


「でも、いまだにクロイさんは大嫌い! ごっこ遊びで、わたしの大切な時間を奪っていった。わたしの中身を空っぽにさせた! 人の人生を何だと思ってるんだろ、あの野郎! なのに、自分のしでかしたことの意味さえ理解できない永遠の子供。そういうとこ、本当にムカつく!」


 銭亀さんは舌打ちした後、黙る。しばらくの沈黙の後、真面目な表情になった銭亀さんは、菜摘さんと黒蜜さんから離れて僕に向き直った。


「誠児くん、ごめん。いろいろ黙ってて」

「銭亀さんは……初めから僕が弟だって、知ってたの?」

「うん。クロイさんに眠らされてた期間――わたしにとっては一晩で、実際は十年間だけど、夢の中で自由に動ける時期があって、その時、誠児くんの夢に引き寄せられたの。それでなんとなく、この子は弟なんだろうなって思った」

「僕……僕は全然知らなかった」

「わたし、起きた後、ママと誠児くんのこと、調べたよ。それから、高校に行こうって決めた時、どうせならって、誠児くんが中等部にいる学校を選んだんだけど……実際に会いに行くことはできなかった」


 銭亀さんは申し訳なさそうに顔を歪める。


「いろいろ不安があったの。わたしは人間ではなくなるし、誠児くんとは会わないなら会わない方がいいんじゃないかって思った。中途半端に関わったらよくないって。ママがしたみたいに、今度はわたしが誠児くんを捨てる形になっちゃうかもって」

「銭亀さん……」

「でも、誠児くんは大変な状況に見えたし――でもやっぱり、一番はわたしが変わる前に会いたいって、わたし自身の我儘かな。ごめんね」

「僕、僕は……」


 銭亀さんに会えてよかったと思っているはず。なのに、うまく口が動かなかった。


 それをどう受け取ったのか、銭亀さんは少し寂し気に微笑んでから、龍児くんに向き直る。


「龍児くん、はじめまして。ゆっくりお話できなくて、ごめんね。絵が大好きなんだってね。これからも大好きな絵をいっぱい描いてね」


 弟は初対面の人に触られるのは苦手なはずなのに、頭を撫でる銭亀さんの手を避けも嫌がりもしなかった。僕はなんだか泣きたい気持ちになる。

 銭亀さんは今度は僕の方に向いてから、目が真っ赤であろう僕の頭を撫でた。


「すぐ事務所再開するからさ。できればまたバイト来てくれたら嬉しいな、誠児くん」


 僕は泣き出したい感情を必死に我慢して、手の甲で目を隠しながら何度も頷いた。



「あの……もしもし」


 僕は緊張しながら電話口に話しかけていた。


「小野寺誠児です。千鶴さん……その、急に電話してすみません」

『誠児さんから直接わたくしに電話だなんて……何かありまして?』


 電話口の千鶴さんは心配そうな声音だった。それもそうだろう。僕から直接千鶴さんに電話することは今までになかった。この前の事業参観だって、父親経由で伝わった話だ。

 これから言うことは、千鶴さんに電話する前に父親に相談しようかとも思ったが、言ったところではぐらかされて突っぱねられるか保留されるかのどちらかな気がして、結局やめた。


「あの……相談があるのですが」


 一つ息をついて、汗と鼓動の動きが激しい僕の体を落ち着かせてから、声を出す。


「僕、母を捨てたいと思っています」


 しばらくの間、電話口には沈黙が下りた。やがて千鶴さんは冷静に「わかりました」と言う。


『すぐに新しい住居を用意させますわ。スマートフォンも新しい契約に変えて差し上げます。転校も手配しますわ。その代わり、それらの情報を絶対に泉さんには教えないこと。二度と会わないこと。よろしくて?』

「はい。わかっています」

『夫を通さなくて正解よ、誠児さん。あの人は優しいけれど、優柔不断ですものね。こんなこと相談されても、わたくしに伝言すらできなかったでしょう。では、詳細が決まったらまた連絡しますわ。ごきげんよう』


 電話を切る瞬間、千鶴さんはクスリと笑った。


 千鶴さんはいい人だ。龍児くんと僕に親切にしてくれるのも僕達を心配してくれるのも、上辺だけではないと思っている。でも、きっと心の内には色々な気持ちや思惑があるのだと思う。それを悪だと僕は思わない。僕は千鶴さんのそれを利用しているし、僕の中にもそういうものはある。


 僕はスマートフォンを握ったまま、新装開店した「にこにこ銭亀ファイナンス」の来客用ソファにへなへなと座り込む。そばで見守ってくれていた銭亀さんは、赤い瞳を細めて微笑みながら僕の隣に座った。


「お疲れ様、誠児くん」

「銭亀さん……電話、終わった」

「うん」

「お母さんを、捨ててしまった……」

「うん」

「だって、あのお母さんは龍児くんと僕には毒にしかならないって思ったから!」

「うん」

「きつい」

「うん」

「なんでこんなにきついんだろう」

「仕方ないよ」


 今日もブレザーにプリーツスカートという制服姿の銭亀さんは、項垂れる僕の髪を撫で、そっと僕を抱きしめてくれた。それはたぶん、母親が子供を抱きしめるような優しい抱擁で、僕はそれに大きな安堵感をもらいながらも、少しだけいやだと感じた。


「もう大丈夫だから……その……えっと、そうだ! 誕生日プレゼント!」


 僕は言い訳するみたいに銭亀さんの腕から逃れて、自分のカバンを漁る。包装紙でくるんだ四角いプレゼントを銭亀さんに手渡した。


「これ……もしかして誠児くんと龍児くんから?」

「うん」


 それは龍児くんの描いた銭亀さんの全身像だった。今日と同じ制服姿で優しく微笑んでいる。あの日、帰った後に弟が憑りつかれたように描いたものだった。

 僕はきれいなデザインの額縁を買ってきて完成した絵を収めた。額縁にはまった女子高生の全身像なんてどこかチグハグな印象の見た目だったけど、銭亀さんは顔をくしゃくしゃにして嬉しそうに笑った。


「ありがとう! すごく嬉しい! わたし、この姿だったことは忘れてしまうと思うけど、この絵はずっと大切にするね」


 銭亀さんは額縁を持って、社長机のそばの壁に向かった。大切そうに壁に掛けながら、彼女は僕に背を向けたまま言う。


「誠児くんも龍児くんも、わたしにとってはかけがえのない、大切な人だよ」


 その言葉は最高に嬉しいのに、心のどこかを少し引っ掻かれるような痛みも感じた。

 僕の頭の中に、子供の頃に出会った銭亀さん、夢で再会した銭亀さん、僕を不穏な雰囲気漂う事務所に連れてきた銭亀さん、僕と手をつなぐ銭亀さん、悪巧みをする銭亀さん、無茶苦茶な行動をする銭亀さん、社員に囲まれて笑う銭亀さんと、彼女との今日までの思い出が次々と蘇ってきて、収拾がつかなくなっていた。


「僕……僕はその、銭亀さんのこと、僕は……銭亀さんを、す、好きになっちゃって……でも、でも、僕……」

「ごめんね、誠児くん。ありがとう。わたしは昔も今もこれからも、誠児くんを愛しているよ」


 僕の方を向いてそう言った銭亀さんは、またこっちに戻ってきて僕の隣に座った。僕の顔を手で覆って自分の顔を近づける。真っ赤な瞳がすぐ近くに見えた。彼女は僕の唇の左下の、唇にごく近い部分に――けれども、絶対に唇には触れないように、自分の唇をそっと押し当てた。

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