最終章
最終章
銭亀さんと夢の中で再会してから十年が経った。僕は人間の街のとある雑居ビルに構えた自分の事務所でタブレットを覗いていた。
『誠児さん、おはようございます! あ、日本だと、こんにちはですか?』
「そうだね、こんにちはの時間だね。龍児くんは大丈夫そう?」
『はい。昨日はずっとこっちの風景をスケッチしてましたよ』
画面には優しく微笑むキミカちゃんが映っている。キミカちゃんももう女子大生だ。ポニーテールの似合う溌溂とした雰囲気はそのままに、すっかりきれいなお嬢さんになっている。
『龍児くん、誠児さんだよ』
画面に映っていたキミカちゃんはカメラを龍児くんに向けた。いつの間にか僕より背が高くなっている弟は、今日はいつもと違ってきちんとしたスーツを着て、でも、昔と変わらず一心不乱にスケッチブックに鉛筆を滑らせていた。
「今日は本屋さんでサイン会だっけ?」
『はい。実は取材のお話も頂いていたんですけど、慣れない場所で慣れない人達に囲まれるのはちょっと辛いかなと思って、その場で龍児くんの様子が大丈夫そうなら受けますとお答えしたんです。メディアの方はこちらの都合を配慮してくださって、とてもありがたいです』
「そうなんだ。色々調整してくれて、いつもありがとう」
『いいえ。だって龍児くんは大事な仕事の相方ですもの』
キミカちゃんはにっこりと力強く笑う。
龍児くんとキミカちゃんは二年位前から一緒に絵本を出版している。龍児くんの描くカラーの幻想的な絵の中からキミカちゃんが選定して、ストーリーと文章を付けてくれたのだ。
出版にあたって、龍児くんの抱えるハンデを売りにしていることは否定しない。たまにそのことを批判する言葉も受けるが、キミカちゃんは「だって、それは龍児くんの個性の一つで、強い個性に注目が集まるのは当たり前でしょう? 足の速い人、頭のいい人、顔のいい人に注目が集まるのと、そんなに変わらないと思います」と僕に言った。
彼女は龍児くんの絵を使ったグッズ展開など、版権管理もきちんしてくれるし、そのうえ語学も堪能だから、今日みたいな海外でのイベントや問い合わせにも対応してくれる。本当に、龍児くんは良いビジネスパートナーに巡り合えて幸せだったなと思うし、キミカちゃんには感謝してもしきれない。
今、龍児くんと僕は独立して暮らしている。
龍児くんはやり方を習得してルーチンとして固定できさえすれば、それなりに普通に生活することができる。もちろん心配な部分もあるけど、今はある程度の出費さえ覚悟すれば、宅配サービスや見守り・駆け付けサービスも充実しているから、僕はある程度放任することができた。
龍児くんは大切な弟だ。母親のいない家で二人で暮らしていた頃、龍児くんは僕の救いだったが、同時に深い悩みの元でもあった。たぶん、僕一人で龍児くんを抱え続けたら、いつかパンクしてしまっただろうと思う。
僕がどんな風に龍児くんのことを考えようと、結局それは僕の自己満足な視点にすぎず、龍児くんの本心や本当の幸せについては窺い知ることはできない。でも、龍児くんにとっても、好きな絵に打ち込める環境を確保できている今は、まあまあ良好な状態と言っても許されるのではないだろうか。
きっと正解なんか永遠にわらかないのだろうけど、最良だと思える道を進み続けるしかないのだと思う。
『じゃあ、そろそろ行かないといけないので、そろそろ切りますね。龍児くん、映像切っちゃうよ、誠児さんと話さなくていいの?』
キミカちゃんがそう言うと、龍児くんは顔を上げて僕を見た。
『誠児くん、誠児くん、誠児くん、誠児くん』
「なあに?」
弟はスケッチブックを掲げて、自分の描いたいくつかの風景を見せてくれた。飛行機の窓から見下ろした街、空港の人混み、歴史を感じさせる建物と祈る人、街角で出会った猫。
「素敵な絵だね。日本に戻ってきたらちゃんと見せてね」
『そろそろ行かないと、龍児くん』
「龍児くん、いってらっしゃい。お仕事がんばってね」
僕は暗転したタブレットの画面をしばらく眺めてから、自分の仕事の管理用アプリを立ち上げる。
さて、僕も弟に負けないよう、自分の仕事をきちんと進めなければ。
※
大学で会計や財務について学び、その合間に様々な会社でインターンの経験を積みつつ、相変わらず「あの街」でのあれやこれやに対応しながら過ごした僕は、今、金融コンサルタント会社を立ちげて働いていた。とはいっても、僕一人だけのとても小さな会社だ。
「あ、もしもし、小野寺コンサルティングです」
『やめろよ、会社に電話とかしてくるな』
「いや、個人携帯になかなか出てくれないから」
僕の中高時代の同級生達は、僕にしたことなどすっかり忘れて立派な大学に進学し、立派な企業に入社してた。今は立派に昇進も始めている。
「この前お願いした例の件、調べておいてくれた?」
『あれはマズイって……社外秘なんだよ』
「調べてくれたんでしょ?」
『……後で送るよ』
彼らがやったことの証拠は確保してある。彼らが社会人としていっぱしの道を歩み始めた頃、その証拠と共に訪ねて行った僕を、彼らはどんな気持ちで迎えたのだろうか。
「ありがとう。後でお礼はするよ」
見返りは金銭よりも、彼らの抱える仕事や社内人事に貢献する情報を提供することの方が多かった。奪ってばかりではうまくいかない。脅してばかりで逃げられたり、二時間サスペンスの脅迫者役みたいに刺されたりしたら元も子もないわけで、僕はうまいバランスを探しながらの接触を心掛けていた。
そのうち僕に依存せざるを得なくなったら成功だと思っている。
彼との電話を終えた僕は、事務所を出て「あの街」に向かった。僕のビジネスパートナーは「人間」だけではないのだ。
狭い小道を抜けるといきなり大通り出る。僕は不思議な姿形の人達とすれ違いながら、煉瓦色のタイルが貼られた外壁に木枠の窓が嵌った古風な建物を目指して脇道に入った。その建物の三階には、「にこにこ銭亀ファイナンス」の表札と、OLさん風のイラストと共に「審査不要!」「即日融資!」「危険作業への人材派遣承ります!」と書かれた看板が掲げられている。
「銭亀さん、こんにちは」
「誠児くん、待ってたよ」
僕を出迎えてくれた銭亀さんは、真っ赤な唇から牙みたいな八重歯を覗かせながら微笑む。僕は大学時代もここのアルバイトを続けていて、起業してからは良きビジネスパートナーとなっていた。
人間でなくなった銭亀さんは、全身を皮膚代わりに桜の花が覆うような外見となっている。一見すると、まるで全身に入れ墨を施したようにも見え、顔や腕や足に桜の花が咲き、花びらが舞い散る。とはいえ、実際に床に花が落ちるわけではなく、皮膚から飛び散った花びらは空間に消え、まるで夢を見ているように幻想的だった。
「誠児っち~! おひさぁ!」
「お久しぶりです。誠児さん」
「菜摘さん! 黒蜜さんも! 久ぶり!」
今日は珍しく、事務所に元社員の女子二人が顔を出していた。二人とも、何年か前に銭亀さんと同じく月影町の正住民になることを選択し、今は事務所を辞めて独立していた。
「真桜子ちゃん、も~そろそろ完成だよ~!」
水色と黒のツートンの髪は変わらない菜摘さんは、今は両腕とも肘から先がない状態になっていた。その代わり、空中をたくさんの腕が泳ぐように自由に行き来している。その腕達は今、社長机に座った銭亀さんの手の指先に群がり、熱心にネイルを塗っていた。各指を担当する腕だけでなく、それぞれの腕のために道具を運ぶ腕もいる。
「やっぱり芽衣のネイルはめちゃくちゃ可愛いよね」
「にひひ~。褒められちゃったぁ」
にへらと緩んだ笑顔の菜摘さんは、今は独立してネイルサロンを開業している。独特のデザインセンスがあるうえに出来上がりが早いということで、彼女のお店は結構流行っているようだ。お得意様には出張サービスもあるとのこと。
一方、黒蜜さんは人間の右腕と黒猫な左腕で書類を整え、メッセンジャーバッグの中にしまい込んでいた。プラチナブロンドの髪も黒のゴシックロリータなドレスも変わらないが、彼女の下半身は人間のものではなく黒豹のものになっていた。まるで半人半獣のケンタウロスみたいに。
「瑠奈、その書類、診療所の八九鬼目先生にお願いね」
「了解です」
ゴスロリのドレスの上にメッセンジャーバッグを背負った黒蜜さんは、四本の脚で床を蹴り、事務所の窓からその身を外へと躍らせた。窓の外を覗き込むと、ビルの壁面から壁面へ、屋上から屋上へと飛び移り、彼女はものすごい速さで街を駆け抜けていく。
黒蜜さんは俊足を生かして、特急の宅配サービスのお店を開いたのだ。
ネイルを終え、次のお客さんの元へと向かう菜摘さんを見送った銭亀さんと僕は、感慨深くつぶやいた。
「なんか、みんなすごいね」
「そうだよ。がんばってるよ」
その時、事務所の扉が開いて一人の女の子が入ってきた。十代半ばくらい、短い茶色の髪をした女の子で、赤い瞳を持つ以外は普通の人間と変わらない姿だった。
「おかえり、智恵実」
「真桜子さん、これ!」
「え、すごい! あの尨毛さんから、よくぶんどってきたね」
「かなり粘りました」
「智恵実の粘り強さの勝ちだね」
桜の花びらの顔は表情を読みづらいのに、それでも銭亀さんが顔をくしゃくしゃにして笑っているのがわかった。それを見た女の子も、同じような顔で嬉しそうに笑う。
銭亀さんは僕の方に向き直って、その女の子を紹介してくれた。
「うちの新しい社員だよ。伊部智恵実ちゃんっていって、まだ新人なのにすごく優秀なの」
「伊部さん、よろしく。僕は小野寺誠児って言って、金融のコンサルタントです」
僕が名刺を差し出すと、伊部さんも名刺をくれた。ただ、少し僕を警戒している様子が窺える。
「真桜子さん、この人、人間なんですか?」
「そうだよ」
「この人、信頼できるんですか?」
「もちろん」
「普通の人間なのに?」
「誠児くんは人間の中でわたしが一番信頼してる人だよ。というか、芽衣と瑠奈と並ぶくらい信頼してる人」
銭亀さんの説明にも、女の子はまだ少し不満げだった。
「誠児くんとももう長い付き合いだもんね。いつからだっけ? あれ、どうやって知り合ったんだっけ?」
「もう忘れるくらい長い付き合いってことだよ」
僕はいまだに少し心の中に痛みと寂しさを抱えながら、そう言って笑った。
銭亀さんは僕とのそもそもの関係を忘れてしまっている。自分が人間だったことも。今は何をしているかわからない、僕の母親の頭からも彼女の存在は完全に消え去っているだろう。でも、彼女が半死人から月影町の正居住者になるのを見届けた僕は、彼女のことをすべて覚えたままでいられた。菜摘さんや黒蜜さんのことも。
そんな風に感傷的な気持ちで銭亀さんを見つめていると、伊部さんが僕を睨みつけながら言った。
「おい、そこの人間の男! 真桜子さんを変な目で見るな! 何を企んでるのか知らないけど、うちの社長を騙したり裏切ったりしたら許さないからな!」
「智恵実ってば、わたしのこと本当に大好きだよね」
にんまりと笑った銭亀さんが、ぎゅっと伊部さんを抱きしめた。すると、顔を真っ赤にして伊部さんが慌てだす。
「わ、わわ! 真桜子さん、や、や、やめてください!」
どうにか桜の花びらの腕を引き剥がした伊部さんは、真っ赤な顔のまま銭亀さんに訴える。
「もう、真桜子さん! そうやって、わたしを甘やかすの、やめてください!」
「え~。だって、智恵実、可愛いんだもん」
「だめです。そうだ、甘やかすと言えば、わたし、もう半死人やめて正居住に転籍します。今のままだと、わたしの分だけ高い商工会費を払わされるじゃないですか」
伊部さんの言葉に、銭亀さんははっきりと首を横に振る。
「だーめ。ちゃんと悩んで、人間だった自分とちゃんと決着つけてから転籍を決めないと。うちにとっては商工会費なんて微々たるものだし、気にしないの。さあさあ、次のお仕事にいってらっしゃい」
伊部さんは銭亀さんにより半ば強引に事務所の外に出され、次の取り立て先に向かった。
「という風にわたしは智恵実のことを考えてるんだけど、どう思う?」
再び二人だけになった事務所で、少し迷いの混じった声で言った銭亀さんに、僕は少し笑いながら言う。
「すごく銭亀さんらしい。優しいなって思うよ」
「ふふ」
銭亀さんは桜の花びらの顔に、少しくすぐったそうな笑顔を浮かべた。でも、それをすぐに消して、ビジネス用の顔付きに変える。
「で、誠児くん、今日の本題は?」
「これ」
僕は用意した資料を銭亀さんに渡した。
「人間の街の、とある金融機関がある人にお金を貸したんだけど、回収がうまくいかないらしくて……これ、債権ごと銭亀さんに買い取ってもらえないかって相談したかったんだ」
「なるほど。結構な額を貸したはいいけど、その相手が月影町の正居住者らしく、返済の催促すらままならないと。この月影町住民、審査をうまくすり抜けたうえ、担保に入れた土地の住所が『月影町』って……普通の人間には取り立てができないねえ。というか、こちらの会社はずいぶんと杜撰な審査をなさってるのねえ」
「今回の件は、人間の中にも協力者がいる気がする」
「そうだねえ……なるほどね」
ぺらぺらと資料をめくった銭亀さんは少し思案した後、真っ赤な唇を吊り上げてニヤリと笑った。
「わかった。この債権は『にこにこ銭亀ファイナンス』で引き受けることにする。そう先方に伝えて」
「よかった。あちらも喜ぶよ」
「まあ、債券自体もおいしいんだけどさ、これを足掛かりに一儲けできそうな予感がするんだよね」
銭亀さんはいくつかアイデアを口にした。さすが、いつも通りとはいえ、相変わらずえげつない仕掛けに僕は思わず笑いそうになる。
「どうかな。行けそうだと思わない? 誠児くんも一枚噛んでくれるよね?」
「もちろん協力するよ」
「さすがは我が最良のパートナー!」
真っ赤な唇から牙みたいな八重歯を覗かせながら笑う銭亀さんは、相変わらず天使のように、あるいは、悪魔のように美しい。
僕は銭亀さんから差し出された共犯の誘いの手を――桜が舞い散る銭亀さんの手を取り、僕達は契約書代わりの固い握手を交わした。
【終】
月影町奇譚 ~銭亀真桜子さんは化け物だらけの街で貸金業を営んでいるようです~ フミヅキ @fumizuki_f
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