5-9 対決と決着

 星形の枠はいつの間にか消えていた。その代わりと言ってもいいのか、僕達を覆う影を作っているのは、銭亀さんだった。僕達より十倍は大きなサイズの銭亀さんが、女神のように、あるいは悪魔のように美しく笑っている。


(この夢は……僕が前に見た夢だ)


 僕は辺りを見回しながらそう思った。


 僕達が放り込まれたにのは、巨大なゴミがうず高く積み上げられたゴミ捨て場だった。空き缶やペットボトル、生ゴミ、表面の布が破れたソファに、画面が割れたブラウン管テレビなど、どのゴミも僕達の体より数倍大きくて、圧倒的な物量感で僕達を見下ろしている。一緒にこの世界に放り込まれた尨毛さんの屋敷よりもそれらのゴミは大きいのだ。屋敷からは何が起こったのかと、驚き顔の使用人達も外に出てくる。


(僕と銭亀さんが再会した場所……)


 その時は銭亀さんと僕しかいなかった。そこに今は菜摘さんと黒蜜さん、龍児くん、尨毛さん、尨毛さんの私兵団や使用人達がいる。そして、あの時は僕と同じくらいの大きさだった銭亀さんは、巨人となって僕達を見下ろしている。


「これはわたしの【無粋な訪問者ドリーム・キャッチャー】の奥の手です。わたしは誰かの夢に入り込むだけではなく、いろんな人や物を誰かの夢の中に引きずり込むこともできるんですよ。そして、夢の中でのわたしは自由だから最強。悪夢そのものにだってなれるんです。尨毛さん、覚悟はいいですね?」

「いったい、どうする気だっていうの……!」


 尨毛さんは精一杯に気を張って叫んだが、蟻が象に向かうようなもので腰が引けてしまっている。この状況をアリスみたいだと思えばいいのか、怪獣映画みたいだと思えばいいのか。だが、後者であることを、僕達はすぐに思い知ることになる。


「行きますよ! ヨイショー!」


 銭亀さんが嬉々として尨毛さんの屋敷の屋根を引き剥がしにかかったのだ。


「な、何するの、あたしの家に! やめなさい!」

「む……なかなか硬いな」


 銭亀さんは尨毛さんの叫びを無視して破壊活動を続けるが、さすがに頑丈な屋敷であるためか、なかなか屋根を剥がすまでには至らない。彼女は作業の手を休め、辺りのゴミ捨て場を見回した。


「さすがにここまでするつもりはなかったから、道具を持ってこなかったのは失敗だったなあ。なんかいいものないかな? あ、あった!」


 銭亀さんがゴミ山の中から引っ張り出したのは、柄の先端が少し欠けた木槌だった。僕達の背丈よりも大きい木槌だが、巨人となった銭亀さんにはぴったりなサイズ。巨大な銭亀さんはそれを握りしめると、真っ赤な唇を吊り上げ、牙みたいな八重歯を覗かせて笑いながら、何度も何度も木槌を屋敷に振り下ろす。


「ヨイショー! ヨイショー! ヨイショー! ヨイショー!」

「いやあああ! やめて頂戴いいいい!」


 銭亀さんが尨毛さんの半泣きの叫び声を聴き入れるはずもない。何撃目かで屋敷にヒビが入り始めた。


「いやああああああ!」

「アハハハ! た~の~し~!」


 屋根に走ったヒビに指を突っ込み、バリバリと引き裂く。お煎餅を割るみたいに屋根をぼろぼろに砕いていき、ついに屋敷から屋根が取り外された。

 銭亀さんはそれでも気が収まらないようで、壁を壊したり、家具を取り出してへし折ったりとやりたい放題だ。ドールハウスをめちゃくちゃにして遊ぶ幼児みたいなご機嫌の笑顔を浮かべえている。


「というわけで、十分楽しんだので、そろそろ戻りましょうかね」


 腰を抜かした尨毛さんは、もはや何も言うことが出来ないようだった。銭亀さんは僕達に向かって三本指を立てて見せる。


「さあ、悪夢から覚めましょう。サン、ニィ、イチ……」


 カウントダウンと共に銭亀さんの立てる指の数が減っていく。


「ゼロ!」


 その声と共に指がパチンと鳴らされた。僕の頭の中に黒々とした靄が広がり、一瞬だけ気が遠くなるような感覚があって、僕は目を瞑った。



 ハッとして目を開くとそこは元の世界で、僕達は尨毛さんの自宅の綺麗に整えられた英国式庭園の中に立っていた。僕と龍児くんだけでなく、菜摘さんに黒蜜さん、尨毛さんや尨毛さんの私兵団と使用人の皆さんも呆けたように突っ立っている。屋敷はというと、元の位置には戻ってきたものの、ボロボロに破壊されたままだった。


「皆さん、お帰りなさい!」


 銭亀さんが場違いなくらい元気よく言った。現実なのだから当たり前なんだろうけれど、彼女が元のサイズになっていることに頭の処理が追い付かない。

 そんな僕達の中で、一番最初に正気に戻り、銭亀さんに食って掛かったのは尨毛さんだった。


「どうしてくれるのよ、うちの屋敷を! 弁償してもらうわよ!」

「え? なんでですか?」

「なんでって……アンタが壊したからに決まってるでしょ!」

「え? わたしが……? 尨毛さんは、わたしが尨毛さんの家をこんな状態にまで破壊しつくしたって言うんですか? 竜巻が通ったが如くに? いつどこで? 常識的に考えて、わたしみたいな『か弱い』女子に、そんなことできるわけないじゃないですか。『悪夢』でも見たのでは?」

「はあ? これだけ目撃者がいるじゃない!」


 尨毛さんは僕達全員を指差したが、菜摘さんと黒蜜さんは首を傾げる。


「えぇえ~? うち、そんなとこ全然見てなかったけどな~?」

「わたしも見ていません」


 銭亀さんはニッコリ微笑みながら僕に問い掛けてくる。


「誠児くんは見た?」

「う、ううん……。み、み、見てない……」


 僕も空気を読んで頭を横に振った。


「あたしの部下達が見てるわよ!」

「うそ~。尨毛さん、そんな口裏合わせするなんて酷いです! 商工会費の件だけじゃなく、そうやって濡れ衣を着せて、またわたしを陥れようとしているんですね。わたし、悲しくて辛くて泣いちゃう。他の商工会メンバーに泣いて同情を買うしかなくなっちゃう」


 銭亀さんはわざとらしく女の子っぽい泣き顔を作って見せたが、尨毛さんは狐と狗の中間の顔に、憎々しい表情を浮かべただけだった。それを見た銭亀さんは真っ赤な唇を吊り上げて嗤い、舌をぺろりと出す。


「まあ、真面目な話、尨毛さん、そろそろチェックメイトですよ。さっきわたし達が山猫さんに貴女の行状を告げ口しなかったこと、内心ホッとしているんでしょう? 尨毛さんがこれだけ焦ってるってことは、うちの元社員達がかなり真に迫った証拠を集めてくれたってことなんでしょうからね」


 尨毛さんはしばらく銭亀さんのことを銀眼で睨みつけていたが、やがて頭を振り、溜息をついた。私兵団や使用人に「これから重要な商談をするから」と言って帰らせ、一人で僕達に対峙する。


「何が望みよ? 商工会費を元に戻すように調整すればいい?」

「ま、それは当然として。このお屋敷、補修に結構かかりますよね。是非、うちで改修費用を借りてください」

「必要ないわよ、改修費くらいあたしの手持ちで十分だわ。アンタんとこなんかで借りたら骨の髄までしゃぶり尽くされるじゃない!」

「あ~あ~、聞こえな~い! 芽衣、瑠奈、誠児くん、今、尨毛さん、なんて言ってた? うちで借りるって言ってたよね?」


 耳を塞ぎながら僕達に問い掛けてくる銭亀さん。僕達は頷く以外にない。


「うん~。うちにはそう聞こえたけどぉ?」

「そうですね。わたしにもそう聞こえました」

「あ、えっと……うん。そうだね。そう言ってたっぽいね」


 顔を引き攣らせる尨毛さんに、銭亀さんは天使のように、あるいは悪魔のように魅惑的な笑顔と共に畳みかける。


「尨毛さん、系列の和風居酒屋でも新規出店計画がありますよね。そちらにも是非融資させて頂きたいです。諸々の設備更改やら店舗リニューアルなんかにも」

「なに言ってんの……!」

「あ、一瞬だけ借りて、利息が降り積もる前に返すってのも不可能ですよ。外の世界でやってらっしゃるダーク系貸金業者と一緒で、うちも居留守とか使って一定の利息が溜まるまでは受け取りませんから!」

「そんなわかりきった罠にあたしが自ら嵌るとでも思ってるの!」


 ヒステリックに叫ぶ尨毛さんに対して、銭亀さんはニンマリと笑ってみせる。


「ええ、どうぞ、お好きな方をお選びください。うちで金を借りて生涯利息を払い続けるか、あなたの悪行をバラされて食肉組合及び月影町商工会からペナルティを受けるか。ただし、後者の場合、貴女が商工会で築いてきた地位も信頼も手放すことになりますよ。プライドの高い貴女にそれが耐えられますか?」

「くう……!」


 白と銀灰色の毛皮に覆われた顔を歪めて、尨毛さんは苦渋の表情となる。これで決着となるだろうか。


 だがその時、黒蜜さんの黒豹が何かの匂いを嗅ぎ取ったような動きで、門の方を見た。つられて僕達もそっちを見る。


 そこにいたのは半兎の美少年だった。人間でいえば十歳くらいの歳に見える小柄な体で、顔の半分は黒の毛皮に覆われ、毛皮の方の瞳は赤、美少年の方の瞳が青で、顔の両側にはふさふさした長い耳が垂れている。ポンチョに半ズボンとブーツという服装に、首から大きな懐中時計を下げたいつもの格好。

 時間を売買する少年、クロイさんだった。


 その姿に、銭亀さんは顔を歪めて舌打ちし、尨毛さんは歓喜の表情に切り替わる。


「クロちゃん! ちょうどいいところに来てくれたわ。あたし、今困ってるのよ」

「ど~したのぉ、尨毛さん?」

「この女に嵌められて酷いことになりそうなのよ。でも、クロちゃんにちょっと時間を戻してもらえば、全部うまいこと処理してやるわ。食肉組合にちゃんとした料理人を選定させるのでもいいし、あたし達が直接ガキを攫ってくるのでもいいわね」

「事情とかよくわかんないけど~? 尨毛さんには僕の時計くん、貸してたよねぇ?」

「ホストクラブのやつのこと? あれは持ってくるのに時間がかかるし、そろそろ電池がきれそうなのよ。いくらでも出すから、お願いよ」

「ふ~ん? でもねぇ、僕、もうお店屋さんごっこやめにしたの~」


 クロイさんはそう言って、にっこりと微笑んだ。誰もが見惚れてしまうような、まさに紅顔の美少年といった様子の無垢な笑顔だった。


「僕ねぇ、お店屋さんごっこ、飽きちゃったんだぁ。もうお金とかいいし~、面倒くさいからぁ、そ~いうの、もうやらな~い」

「は……?」

「今度はねぇ、僕、かくれんぼして遊ぼうと思っててぇ。尨毛さんも一緒にやるかな~って思って今来たんだけど~、また一緒に遊んでくれるぅ?」

「い、いえ、それより、時間を……!」

「遊んでくれないならいいや~。じゃあ、僕、一緒に遊んでくれる人探さなきゃだからぁ、もう行くね~。は~、忙しい、忙し~!」


 クロイさんは脱兎のごとく、通りを走り去っていってしまった。後には、口をパクパクさせて目を見開く尨毛さんが取り残され、銭亀さんは牙のような八重歯を覗かせながら苦々しく笑う。


「だから、質が悪いんですよ、クロイさんは。能力だけじゃなく、あの気質もね」

「気質……?」

「考え方がただの子供なんですもん。リスクも責任も何も考えずに、自分の楽しいことに熱中する。飽きたらポイ。実害さえなければ可愛いもんなんでしょうけどね」


 へなへなと腰が抜けたように座り込む尨毛さんの肩を、銭亀さんは元気づけるようにバシバシと叩く。


「ということで、尨毛さん、お屋敷の補修資金は振り込んでおきますね。新店舗開店資金やその他の融資案についても、後日資料を作成して説明にあがりますので、超前向きにご検討ください!」

「お、鬼か……貴様は!」

「アハハ! 鬼っていえば、鬼ですね。一度うちで借りたら、返済期限までにもう一度借りに来たくなります。そうしたら、その返済期限までにもう一回。さらにさらにの循環です」

「むぐぐぐ……!」

「心配いりません。尨毛さんみたいに超優秀な経営者を潰すようなヘマはしませんよ。尨毛さんが綱渡りの自転車操業でギリギリ事業継続できる変動利率に設定します。尨毛さんのとこが働けば働くほど、うちが儲かるって寸法です」

「そんな! あたしをまるで馬車馬みたいに扱う気なの?」

「ええ。わたし、一度決めたら尻の毛まで毟り取るがモットーなんです!」


 銭亀さんは僕達の肩を叩き「さあ、そろそろこの超Sランクなお客様のお屋敷から失礼しましょうね」と勝手に切り上げる。何か言いたげな尨毛さんに背を向けた銭亀さんだったが、振り返って、真っ赤な唇から牙みたいな八重歯を覗かせてニヤリと笑う。


「ということで、尨毛さん、また今度!」

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