4-3 家族とお金
「ここです」
黒蜜さんに連れられて、僕は月影町の裏通りにあるアパートにやって来た。そのアパートは木材とトタンでできた二階建てで、かなりの築年数らしく、外階段を踏むとギシギシと軋み音がした。
黒蜜さんがあるドアの前で小さなボタンを押すと、「ビー! ビー!」と呼び鈴が鳴る。
「鳥羽さん、にこにこ銭亀ファイナンスの黒蜜です。開けてください」
しばらくすると、ガチャガチャと扉を開く音がした。
「いらしゃーましぇえ! あ、るなしゃん!」
出迎えてくれたのは、僕の半分くらいの身長の小さな女の子だった。人間だったら幼稚園に入るか入らないかくらいの年だろうか。きらきら輝くまん丸のくりくりした瞳と、舌っ足らずなしゃべり方が可愛らしい。
とはいえ、当然のことながら普通の人間の姿ではない。ノースリーブのシャツから生えているのは腕ではなく鳥の翼で、その翼の先端に付いた小さな手でドアのノブを握っている。
女の子の翼の色は純白。光の加減によっては金と銀の間の色に輝いても見えた。
僕は嫌な予感がして、黒蜜さんの顔を覗く。でも、彼女は僕を無視し、腰をかがめて女の子の顔を覗き込んだ。
「オデットちゃん、お父さんはいらっしゃいますか?」
「ぱぱ? おでかけでしゅ!」
「そう。待たせてもらってもいいですか?」
「うん~!!」
オデットちゃんというらしいこの女の子は、黒蜜さんと打ち解けているのか、彼女の手を引いて家の中へと招いた。
アパートは1DKの間取りみたいだ。ただ、あまりきれいな印象はない空間だった。キッチンのシンクにはペットボトルやコンビニ弁当のゴミが積み重なっているし、ちょこんとちゃぶ台が置かれたダイニングルームにも雑誌や服やゴミが散乱している。
オデットちゃんはちゃぶ台に僕達を座らせると、覚束ない足取りで水を入れたコップを持ってきてくれた。
「ありがとう。オデットちゃん……でいいのかな? 一人でお留守番が出来て偉いね」
僕が言うと、オデットちゃんはにっこりと笑う。
「あいがとござーます! おにいしゃん、おなまえはぁ?」
「え、僕の名前? 小野寺誠児だよ」
「せーじくん! るなしゃんのおともだちでしゅかぁ?」
「えっと……」
僕が答え方に困っていると、隣の黒蜜さんがいつもの無表情で言う。
「ええ、そうですよ」
「ふたりはなかよしでしゅかー? いっしょにあそびましゅか~?」
「まあ……楽しい狩りみたいな遊びは一緒にしていますね」
何か含みのある言葉のような気もしたけれど、そんなことは知らないオデットちゃんの顔がパアッと明るくなる。
「じゃ~、るなしゃん、せーじくん、いっしょにおててあそびしーましょ~」
「いいですよ。いいですよね、誠児さん?」
「え、うん」
「では、何して遊びましょうか」
黒蜜さんは無表情ではあるけれど、オデットちゃんに向けられる顔はいつもより心持ち柔らかい表情であるような気がする。
オデットちゃんの希望で遊びは「ずいずいずっころばし」になった。オデットちゃんと僕が両手を握り、黒蜜さんは右手だけを握る。みんなで歌う「ずいずいずっころばし」のリズムに合わせて、黒蜜さんは左手の黒猫で僕達の手に触れていった。
一つ気になるのは、この黒猫さんがオデットちゃんの手には優しいタッチで触れるに、僕の手には若干爪を立てていくような気がすること。気のせいだろうか。
歌の最後、「お茶碗欠いたのだあれ」で、オデットちゃんの右手が最後に当たった。オデットちゃんは「きゃー」と嬉しそうに叫んで笑い始める。
「きゃははははは! おでっと、あたちゃったでしゅー! きゃははは~!」
笑い転げて、なかなか笑いやまない。箸が転がるのも面白いお年頃なのかな。オデットちゃんの無邪気な笑顔は、見ているだけでこっちも楽しく暖かい気持ちになる。
何回かこの遊びを繰り返した後、「あっち向いてホイ」でも遊んだ。それからオデットちゃんが知らなかった「いっせーのせ」でみんなで親指を上げて、その数を予想するゲームを教えてあげると、気に入ったのか「もいっかい!、もーいっかい~! おねがしまーしゅ!」と何度もせがまれて遊んだ。
そんなゲームの最中、玄関の扉をガチャガチャと回す音がした。
「ぅお……!」
扉から入って来た人物は、僕達を見て顔を引き攣らせた。ちゃんちゃんこのようなものを着た痩せた中年男性で、オデットちゃんと同じく、腕の代わりに翼が生え、その先端に手が付いている。ただし、翼の色は白ではなく、黒だ。
「ぱぱ、おかえりなしゃーい!」
「お、おお、ただいま、オデット……」
靴を脱ぎながら、中年男性は頭を下げた。
「銭亀さんとこの……」
「黒蜜です。勝手に上がらせてもらいました。今日は返済計画について協議するお約束をしていたはずですが、どちらへ行ってらっしゃったんですか?」
「い、いやぁ……その持病がですねぇ……調子悪くて、病院に……」
確かに顔色は悪く見える。だが、黒蜜さんはそれを心配する素振りすら見せなかった。
「そうですか。では鳥羽さん、早速、返済計画のお話を……」
「そのことなんですがね、黒蜜さん」
黒い翼の鳥羽さんは黒蜜さんの前に進み寄ると、両手をついて土下座した。
「なかなか手前の病気がよくならなくて働けねえんで、もう少し返済を待っちゃもらえませんか。それと、また入院しなきゃぁならなくなっちまいまして……。またいくらか用立ててしてほしいんでさ!」
黒蜜さんは無表情の冷たい視線を、床に顔を伏せる鳥羽さんに送る。
「うちは慈善団体ではありません。返済の見通しが立たない方にお金を貸すことはできませんよ」
「そこをなんとか! お願いします!」
「返済計画の目途を立てるために今日は話し合うはずでした。その約束の時間すら守れない人を信用は出来ません」
「いやあ、返済の目途なら……」
鳥羽さんはちらりとオデットちゃんに視線をやる。すると、心配そうに黒蜜さんと鳥羽さんのやりとりを見つめていたオデットちゃんは、パッと立ち上がって黒蜜さんに駆け寄った。美しい純白の羽毛に覆われた翼の先に付いた小さな手で、黒蜜さんの腕を掴む。
「ぱぱ、ごびょうき、おかねがかかるのでしょお……? なら、またオデットのおはね、あげましゅ!」
一瞬、黒蜜さんの目元が震えたように見えた。だが、彼女は表情を大きく変えることはぜず、オデットちゃんの顔を覗き込む。
「オデットちゃん、この前くれたあのたくさんのお羽、抜くのはとても痛かったでしょう?」
「うぅ……」
その時のことを思い出したのか、オデットちゃんの顔が歪み、まん丸の目に涙が溜まって瞳が潤む。それでも、オデットちゃんは泣かずに訴えた。
「だ、だいじょーぶでしゅ! だいしゅきなぱぱのためなら、おでっと、なんでもできましゅ!」
「すまねえなあ、オデット。本当はオイラがやらなきゃならねえことなのに、お医者に止められてっからよ。オイラが病気なばっかりに、本当に済まねえ……!」
鳥羽さんは目元を手で覆いながら、おいおいと男泣きをする。黒蜜さんはその様子に冷たい視線を向けながら、凍えた声で言う。
「オデットちゃん、一昨日に抜いた羽がもう元通りなんですね」
「成長期だからなんですかねえ。抜いてもすぐ生え変わるんでさ。なんだったら、今日にでもまた持っていってもらっても……」
「……まだ結構です。取引先からオーダーが来たらまたご連絡しますので」
黒蜜さんは立ち上がり、黒いゴシックロリータのドレスの裾を整える。
「今日はこれで帰ります。追加融資の件についても、わたしの権限では決定出来ませんので、追ってご連絡します」
吐き捨てるように言って、黒蜜さんは部屋を出た。
※
月影町の裏通りを歩きながら、僕は黒蜜さんに恐る恐る問い掛ける。
「黒蜜さん……今日獅子ヶ原さんのところに持っていったあの羽毛は……オデットちゃんの……?」
「ええ」
無表情で頷く黒蜜さんに、僕はさすがに怒りのような気持ちを覚えた。
「い……いくらなんでも酷いよ!」
「そうですね」
「お父さんの治療費が必要だからって、そんなこと許されるの? せめて獅子ヶ原さんを紹介して、直接取引で少しでも高く買い取ってもらえるようにするとか……」
「そこなんですが」
黒蜜さんは僕の発言を遮り、立ち止まる。
「あの人、病院なんか行っていないようです」
「は……?」
目を見開く僕に、黒蜜さんは言葉を続ける。
「縊死先生はさすがに守秘義務を貫いていらっしゃいますが、ちょっとうちとコネのある診療所職員を問い詰めました。その証言によると、あの人に通院歴も入院歴もないようです」
「なんでそんな嘘を……?」
「同情を買って借金をうやむやにするつもりなのでは? まあ、うちの会社は相手が病気だろうがなんだろうが、尻の毛まで毟り取りますけどね」
無表情で捲し立てた黒蜜さんだったが、わずかに苦味の混じった顔に変わる。
「ただ、オデットちゃんには効果てきめんです。あのくらいの子供には親が世界のすべてだし、小さくても親の思惑を読み取って、親の期待に応えようと行動してしまいます」
「うん……」
「それをわかっているから、鳥羽さんは返済を迫られると、娘が自分から『羽を売る』と言い出すよう仕向けるんです。こちらが強引に返済を迫れば、娘の羽を持って来るんです。娘を差し出すことに罪悪感はなさそうですね。最悪です」
珍しく、黒蜜さんはわかりやすく顔に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「あの人に獅子ヶ原さんなんか紹介したら、オデットちゃんの翼は何度も毟り取られてもっと酷いことになりそうです。だから、あくまでうちの仲介ありきで取引量をセーブしていたのですが……」
「黒蜜さん、ちゃんとオデットちゃんのこと、心配してたんだね」
僕の言葉に、黒蜜さんは無表情に戻って首を横に振る。
「わたしが人でなしなことには変わりません」
「でも、黒蜜さんが今日、僕を連れてきたのって……」
「はい。あのクソオヤジが実際何に金を使っているのか見極め、その情報を元にそれなりの地獄に突き落とし、しっかり金は回収した上で、ついでにオデットちゃんの環境をどうにか改善できないものかと考えているわけです」
短いプラチナブロンドの髪の下から覗く、黒蜜さんの赤い瞳がキラリと光った気がした。
「手伝って頂けますか?」
「もちろん!」
僕は強く頷いた。
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