4-2 物納の案件
翌日は土曜日で、僕は弟に外へ出ないように厳しく言いつけてからアルバイトに向かった。月影町の事務所で、銭亀さんは心配そうな顔で僕を迎える。
「誠児くん、弟さんは大丈夫だったの?」
「うん……まあ、とりあえずは……」
曖昧に笑いながら答える僕に、銭亀さんは尚も心配顔を向ける。
「何かあれば相談に乗るよ?」
「別に何もないから……。相談とかはいらないよ」
自分でもびっくりするくらい、僕の口から頑なな声が出た。どうしてかそのまま言葉が止まらなくなってしまった。
「別に僕は大丈夫だから。僕と弟のことは放っておいてよ。弟のことは僕が面倒見れるんだから」
「誠児くん……?」
銭亀さんは戸惑いの表情になり、事務所内で休憩していた菜摘さんと黒蜜さんも様子を窺うようにこちらに目を向ける。僕は誤魔化すみたいに咳をした。
「その……えっと……今日の僕の仕事は?」
銭亀さんは少しの間、硬い表情で僕の様子を窺っていたが、何度か瞬きをするといつもの笑顔に戻って言った。
「お手当ては出すから今日は瑠奈について行ってくれるかな? ちょっと荷物を運ぶのを手伝ってあげてほしいんだよね」
「うん……わかった」
僕は銭亀さんの様子と事務所の空気がいつもの感じに戻ったことに安堵しつつ、黒蜜さんのいる事務机の方へ向かった。
「何を運べばいいの?」
「こちらをお願いします」
いつもどおりゴシックロリータの服を纏った黒蜜さんは、いつもどおりの無表情で机の上に置かれた段ボール箱を指差した。五十センチ四方くらいの大きさ。僕は気合いを入れてそれを持ち上げたものの、信じられないくらいの軽さのせいで逆につんのめってしまう。
「あれ? この箱、空なの?」
「いいえ」
「え……じゃあ何?」
「開けて見てもいいですよ」
段ボールの上の口を開いてみると、中には小さなふわふわしたものがたくさん入っていた。
「鳥の……羽?」
「ええ」
黒蜜さんは、短いプラチナブロンドの髪に縁取られた、人形のように整った顔を箱の方へと向ける。
「高品質の価値の高い服飾素材です」
「確かにすごく綺麗だね」
箱いっぱいの羽毛は純白でありつつ、光の当たり方によっては金と銀の中間の色に輝いても見えた。触れてみると空気みたいに軽い羽毛は、ふわふわと手をくすぐる感触が心地よい。
「借金返済として、物納で頂いたものです。これからこれを買い取ってくださる方の元へ届けます」
「え……それってもしかして……」
僕の脳内に、初めて月影町に来た時の恐ろしい体験が蘇る。
「ええ。服屋と服飾工房を経営されている獅子ヶ原さんのところへ持っていきます」
「ひ~!」
思わず悲鳴の漏れた僕の背後には、いつの間にか銭亀さんが立っていて、僕の肩をポンと叩いた。
「瑠奈は片手が猫ちゃんだから荷物運びが大変なの。だから手伝ってあげて」
銭亀さんは天女のように美しい顔に、とびきりキュートな笑顔を浮かべて僕の顔を覗き込む。その真っ赤な唇からは、牙みたいな八重歯が覗いていた。
「大丈夫! 運ぶのは店の前まででいいから。そこから先は瑠奈がやるし」
「え……え……でも……」
「誠児くん、お願~い!」
「え、いや、えっと……」
「お手当も弾むから。ね?」
「う、う……うん……」
「やった! ありがとう、誠児くん!」
その笑顔も、喜んで僕の腕に抱き着いて来るのも、すごくズルいと思うけど、情けない僕は何も言えずに、カッコ悪い笑顔を浮かべるしかできない。情けないけど、仕方のないことではなかろうか。
※
店の外で眺めている僕の眼前で、ライオンの獣人風な外見の獅子ヶ原さんと黒蜜さんの取引は、とりたてて問題もなく、あっさりと終わってしまった。黒蜜さんが箱を渡して、中身を確認した獅子ヶ原さんと何回か言葉のやり取りをして、紙幣の束を受け取る。それだけ。
「僕、獅子ヶ原さんとうちの会社は関係が悪くなってると思ってた」
獅子ヶ原さんの店の入った建物から出ながら僕が言うと、黒蜜さんは少し考えてから返答した。
「以前と同じとは言えないかもしれませんが、悪いわけではないですね」
「へえ」
「違約金は分割払いで整理できましたし。それに、ああいった服飾材料のうちとの取引きには、獅子ヶ原さんにとってメリットがあるんです」
「どういうこと?」
首を傾げる僕に、黒蜜さんは赤い瞳を向けながら言う。
「材料提供者、うち、獅子ヶ原さんという短いルートでお渡しできるので、いくつか仲買を介する卸売り業者から買うよりは安く手に入るんですよ。その代わり、業者のような安定供給はできないですけどね」
「なるほど。あ、じゃあ、うちにとっても、あの羽毛をどこかの仲買人に引き取ってもらうよりは高く獅子ヶ原さんに売りつけられるってこと?」
「はい。エンドユーザーと直で取引できるのは大きいです。お互いにウィンウィンということですね。そのあたり、獅子ヶ原さんは商売人らしくきちんと割り切って考えていらっしゃいます」
「なるほど」
頷く僕に対して、黒蜜さんはごく薄く、何か意味ありげな表情を浮かべた。
「それにあの羽毛の入手手段を考えると、倫理的に手を出すのを憚る業者もいますからね」
「へ、へえ……」
深く尋ねるべきか、聞き流すべきか迷う僕は、曖昧な返事を返す。
「真桜子さんは町内を営業しながら、そういう需要と供給を結び付けるルートをリサーチしているんです」
「そっかあ、すごいなあ……」
僕と何歳かしか違わない銭亀さんがそうやってしっかり企業活動をしていることに感心しつつ、不甲斐ない日常を送る僕との落差を感じて、気分がへこんだ。
一つ目の人や触手の生えた人、カエルのような人など今日も多くの見慣れぬ人々が行き交う月影町の大通りを、そのまま事務所へ進んでいると、急に黒蜜さんが立ち止まって向きを変えた。
「あれ? 黒蜜さん、事務所に帰らないの?」
「ええ。あの羽毛を物納された方のところへ行きます。まだ完済できてはいないので、返済計画について話し合う約束をしていたんです」
「そうなんだ。じゃあまた……ん? どうしたの、黒蜜さん?」
別れの挨拶をしようとしたけれど、黒蜜さんはじっと固まって僕を見ていた。いつもの無表情に、少しだけ思いつめたような表情が混ざっているようにも見える。
「あの……誠児さんもいらっしゃってくれませんか?」
「え?」
ぱちくりと瞬きをする僕に対して、黒蜜さんは躊躇いがちに口を開いた。
「先方にはちょっと気になることがあるのですが、一人ではそれを確認しきれないのです。アルバイト代についてはきちんと真桜子さんに頼むので、お手伝い頂けないでしょうか?」
正直、取り立てに絡むような仕事を憚る気持ちも、怖いと思う気持ちもある。でも、黒蜜さんがこうやって頼むからには、きっと何か強い気持ちがあるのだと思う。僕はそれを考えてると、簡単に否とは言えなかった。
「わ、わかったよ」
単に断る勇気が僕にはなかっただけかもしれない。でも、僕のOKに黒蜜さんがほっとしたように、僕だけにわかるくらい小さく表情を緩めてくれたから、これでいいのだと僕は納得して、黒蜜さんの後について月影町の街へと歩き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます