第3話 菜摘さんとお友達

3-1 僕の教室

 最近の僕の放課後は、「にこにこ銭亀ファイナンス」にアルバイトに行くため、誰よりも早く教室を出るのが習慣になっている。


「おい、小野寺。ちょっと、こっち来い」

「ご、ごめん……。バイ……じゃなくて、用事があるから!」


 クラスメイトがいる教室では「バイト」という言葉を使うのは憚られた。


 うちの学校の高等部生は学校へ許可願を出して認められればアルバイトをすることができる。でも、銭亀さんの事務所をバイト先として届け出るのは倫理面・常識的観点などから難しそうだったのと、そもそも、バイトの理由が僕としても彼らとしても明かせないわけで、僕は学校には無許可で働いていた。


「なんだよ、リアクションが悪いな。せっかくお前と『遊んで』やろうとおもったのによ」

「ち、違うよ、例のお金を作るためだから……。だから、僕行くね!」

「あ、おい!」


 そんな感じで、アルバイトはお金を稼ぐだけでなく、彼らから逃げる口実にもなってくれていた。



 その日は一学期の期末テスト終了日で、午前中で学校は終わりだった。


「あの……小野寺くん、ちょっといいかな……?」


 誰よりも早く昇降口に辿り着いた僕を、とあるクラスメートの男子が追いかけて遠慮がちに話しかけてきた。


 彼は言い方はよくないかもしれないけれど、クラス内では僕と同じようなカーストにいる生徒で、僕ほどではないけれど、彼らに小突かれたり、からかわれたりしている様子は時々見られた。でも、お互い引っ込み思案なところがあり、会話を交わしたのは指で数えられる程度だった。


「えっと……何?」

「あのね、担任が小野寺くんとちょっと話がしたいって言ってるんだけど」

「え……」


 いきなり言われて僕は固まった。今までの学校生活で教師に呼び出しを受けることなどなかったから。

 何か問題でもあったのだろうか。

 もしかして、バイトがばれた……?


 でも、続く彼の言葉は僕の心配とは違う内容だった。


「なんかね、先生、クラスで……その……イジメみたいなことがあるんじゃないかって心配してて、小野寺くんと僕から話を聞きたいんだって」

「え……」


 僕はまた固まる。


 というのも中等部の頃から、教師たちはイジメに気付いていないのか、見て見ぬふりなのか、僕に話しかけてくることなどなかったからだ。特に今の担任の先生は事務的な連絡や進路指導、担当教科に関する質問対応以外は仕事の範疇外としている雰囲気があって、割り切った人なのだろうと思っていたから。


 戸惑いからリアクションを取れずにいる僕の顔を、彼が不安げに覗き込んできた。


「ねえ、小野寺くん。僕はさ、この機会に先生にちゃんと相談した方がいいと思うんだけど……どうかな……?」


 彼の言葉は正論なのだと思う。でも、いきなりそう言われても、僕は心の準備がまったくできていなかった。


 彼らのことを先生にどう説明したらいいのか。どこまで話していいのか。


 それに、僕の口はきちんと言葉としてそれを出すことができるだろうか。彼らのことを話すのは怖いし、恥ずかしい。自分の秘所を晒すみたいな、僕にもなぜそう感じるのかわからない、圧倒的な抵抗感が拭えない。


 そもそも、話したところで解決するのか。いや、でも、何かアクションを起こさない限り今の状態が改善することはないのだろう。これは地獄に垂らされた蜘蛛の糸なのかもしれない。それはわかっているつもりだけれど、でも……。


「小野寺くんは先生に言うの、間違ってると思う?」


 困ったような顔の彼に、僕はハッとする。せっかく話しかけてくれたのに良い返事ができないなんて申し訳ないと、僕は反射的に首を横に振った。


「いや、確かに相談した方がいいんだろうとは思うけど……!」

「そうだよね! じゃあ、一緒に行こうよ!」


 なぜかホッとしたような表情で彼は言った。


「先生、人のいない教室で話した方がいいだろうって、わざわざ空き教室を確保してくれたみたいなんだ。こっちだよ、おいでよ」


 彼は僕の手首を掴むと、僕達の教室のある場所とは違う方向へと駆け出した。僕は彼の意外に行動的な態度に驚くまま、つい足を同調させてしまう。


 でも、考えれば、このくらい強制的に連れていってもらった方がいいのかもしれない。この勢いに乗れば、彼らのことを先生に訴えられるかも。


 僕はなんとか自分を鼓舞し、彼らのことをどう話そうか頭の中で整理しながら、担任の先生がいるという教室へと向かった。


 しかし、彼がその暗い空き教室のドアを開けた瞬間、僕の頭は真っ白になる。


「やっほ~、小野寺くん!」

「なんか久しぶりな感じするね」

「最近、小野寺が『遊んで』くれないからさぁ、ソイツ使って呼び出したわけ」

「びっくりした~?」


「いつもの彼ら」がそこにいた。夏の制服を着崩した彼らは、なぜかそれぞれ箒やモップを手にしつつ、ニヤニヤと笑っている。


 ハッとして横を向くと、僕をここまで連れてきた彼は奇妙に歪んだ笑顔のような表情を浮かべていた。


「へ、へへへ。ごめんね、小野寺くん。その……こうしないとさ、僕がやられちゃうから……」

「おい、お前はもう帰っていいぜ。用もないし」

「は、はい! お役に立てて嬉しいです!」


 警察官みたいな礼をすると、彼は脱兎のごとく廊下の果てへと消えていった。


「敬礼とかしちゃって、アイツ、マジうける~」

「アイツさ、今度携帯ゲーム機、なんの機種だっけかな? なんか、貸してくれるってよ」

「それって、借りパクのフラグ?」

「だよな。第二の小野寺と呼ぶことにしよう」


 そんなことを話してひとしきり笑った後、彼らは僕を見た。


「で、小野寺さ、ここに来たってことは俺らのこと、先生にチクろうとしたってことだよな?」


 僕は後ずさりしたが、彼らはそんな僕の手を掴んで教室の中に無理矢理引っ張り込むと、ピシャリとドアを閉めた。


「ねえ、今どんな気持ち? 先生が助けてくれると思ったのに、俺らが待ち構えててさ」

「小便ちびりそうになった?」

「むしろ俺らがショックだな~。だって、俺ら、友達のいないお前と遊んでやってただけなのに」


 彼らは箒やモップの柄の部分で僕の体をつつきながら、ニヤニヤと笑う。


「や、やめ……」


 僕は体が強張ってうまく動けない。口も上手に動かない。


「お前が遊んでほしそうにしてるから、俺らが遊んでやってんじゃんか。遊びたいんだろ? ん?」

「ぼ、僕は……あ、遊びたくなんて……な……」


 僕はなんとか言葉を出そうとしたが、蚊の鳴くような声しか出なくて、それは彼らの爆笑に掻き消されてしまった。


「え? なあにぃ? 聞こえないんですけどー?」

「もっとはっきり言ってくんないかなあ? 自分の意見はちゃんと主張しないとでしょ!」


 彼らの一人が手に盛った箒の柄の先端で僕の脇腹を強めに突いた。


「や……め……」


 またか細い声しか出せなかった僕の姿に、彼らは表情を苛立たしげなものに変えた。


「だからはっきり言えって!」

「そういうとこ、お前は雑魚だっつってんだよ。雑魚っていうか、ゴミ?」

「ゴミは掃除しないとな!」


 彼らは箒やモップの床に接する方を僕の体に押し付けてきた。一人はモップで僕の顔をゴシゴシと拭き始める。


「や……やぁ……!」


 不快なにおいと、気色の悪さで吐きそうだ。でも、僕は掠れて声にならない悲鳴をあげることしかできなかった。


 こういう時、なぜだか僕の喉は物が詰まったみたいになってうまく声を出せないのだ。頭の中もぐじゃぐじゃにこんがらがって、そもそも何を訴えればいいのかもわからなくなる。バカみたいに気持ちだけが高ぶって、自分の情けなさ加減に死にたくなる。


 また彼らにいいようにされる拷問時間がまた始まるんだ。それをやり過ごすしかないんだ……。


 僕が諦めかけた時、ガラガラと大きな音を立てて教室のドアが開いた。


「おや、教室を間違えたかな?」


 少し芝居がかった調子の、女性の声が聞こえた。

 驚いて振り返ると、そこにいたのはブレザーにプリーツスカートという季節に反した制服を着た女子生徒で、彼女は艶やかな長い黒髪を書き上げると、赤く見える瞳で僕達を見据える。


「銭亀さん……? どうしてここに……!」


 僕は驚きで固まる。

 僕の周りの彼らもビクリと体を震わせて一時停止するが、すぐに僕から掃除用具を離して、バツの悪そうな顔で互いに視線を交わし合った。


「お楽しみのところ邪魔しちゃった系? なんか随分と愉快なことしてたみたいだけど?」


 銭亀さんは口元は笑っていたけれど、赤い瞳は鋭い視線で彼らを敵視している様子だった。それに気付いて、彼らは表情を険しくする。


「俺らただちょっと遊びでふざけてただけだし。なあ?」

「そうそう。別に変なことはしてねえよ」

「つーかさ、お前、いきなり入ってきて、誰だよ!」


 ここは高等部一年しかいない小校舎だから、彼らは銭亀さんのことを同級生だと思ったのかもしれない。そんな彼らの反応に、彼女は真っ赤な唇を歪め、牙みたいな八重歯を見せながら悪魔のように嗤った。


「わたしは誠児くんの……まあ、バイト先の先輩ってとこかなあ。わたしは専業で昼間も働いてるからさ、ここの通信教育部で学んでるんだけど、一応三年生だから言葉遣いには気を付けてもらえると嬉しいね」


 彼らは気まずそうにというよりは、気圧されたように黙り込む。


「でね、今日は通信生もテストで登校日だったわけ。だから、ついでに誠児くんの教室に顔を出そうかなって思ったら、昇降口のところで彼を見つけて。なんか不穏な雰囲気を感じたからそっと後をつけてきてみたんだよ」


 ダンジョンの主のドラゴンが弱小冒険者達を睥睨するように、銭亀さんは沈黙を続ける彼らをぐるりと睨み付け、笑った。


「今日も誠児くんには頼みたい仕事があるから今すぐ連れてきたいんだけど、いいかな?」


 彼らは互いに視線を交わし合いつつも、何も言葉を返すことが出来ない様子だ。


「それはOKって捉えていいのかな? ありがと。じゃ、行こうか、誠児くん!」


 凄みのある笑みから、一瞬でチャーミングな笑顔に変った銭亀さんは、踵を返して廊下に向かってスタスタと歩いていく。僕は彼らの視線に怯えつつ、小さくなりながらその背中を慌てて追いかけた。


 僕の心の中は、助かったと安堵する気持ちより、恥ずかしい気持ちの方が大きかった。

 銭亀さんに彼らにやられているところを見られた上に、助けてもらっただなんて。情けなさに涙が出てきそうだ。


 そんな僕の心情に気付いているのか、いないのか、あの教室から少し離れたところで銭亀さんがゆっくりと僕を振り返った。


「大丈夫だよ、誠児くん」


 やわらかい声と共に僕に向けられた銭亀さんの微笑みは、女神のように美しく優しかった。こんなに優美な表情はダ・ヴィンチにだって描けないし、ミケランジェロにだって彫れないに違いない。


 だけど、余計に僕はやるせない気持ちになる。僕はなんとか笑顔で銭亀さんに「ありがとう」を返してから、下を向いて唇を噛んだ。

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