2-13 用意周到な人達
「クロちゃん、お入りなさい」
「は~い!」
白から銀灰色へのグラデーションを描く毛皮の上に上等の着物を纏った尨毛さんは、にこにこの笑顔で半兎美少年のクロイさんを会議室内に招き入れる。ちなみに僕のことは視界にも入らないのか、完全無視だった。
「誠児くん達も入って」
尨毛さんの後ろから僕と津守屋さんを呼び込む銭亀さんは、僕のメッセージを読んでくれたらしく、尨毛さんとクロイさん、そして、津守屋さんを警戒しているようだ。事務所を出た時の意気揚々とした笑顔を捨て、鋭い視線を三人に向けている。
「銭亀さん……!」
僕が目線で不安を訴えると、彼女はニヤリと笑った。
「大丈夫。最悪、津守屋さんの証言がなくても、クロイさんにサインさせた文書がある。あれには、『商工会の決まりを破ったお詫びに損害賠償します』ってことが書いてあるから、十分証拠になるはずだよ」
銭亀さんはそう僕に耳打ちしつつも、すぐに笑顔を消して、赤い瞳で尨毛さん達を油断なく見つめた。
会議室の前方には、この前のくじ引きでクロイさんの上級資格調査委員に選ばれた面々が既に並んでおり、資料を抱えた僕も銭亀さんと津守屋さんと一緒にその列に加わった。当のクロイさんは尨毛さんの隣の椅子にちょこんと腰かけて、にこにこと無邪気に笑っている。
「それじゃあ、クロちゃんの上級資格審査委員の皆さん、調査結果を報告してくださいな」
尨毛さんの言葉に、銭亀さん以外の調査委員達が居住まいを正し、発言し始める。
「私の調べた限りでは特に問題は見当たりませんでした」
「はい、同じく」
「クロイさんは上級会員として適切でしょう」
「調べた限り、障害となるような事案はありませんでした」
「ええ。私も問題ないと思います」
「立派に事業運営されていますね」
銭亀さん以外の委員は発言の度に尨毛さんの様子を窺い、彼女が満足げに頷くと胸を撫で下したように息を吐き出す。その様子に、銭亀さんは奥歯をギリギリと噛みしめながらの仏頂面だった。
「では、次は銭亀さんの調査結果ですな」
ゴツゴツした岩のような肌の小柄な体に今日も立派な三つ揃いの背広を着た縊死会長から促され、ブレザーにプリーツスカートといういつもの制服姿の銭亀さんは、表情をきりりと引き締めながら一歩前へ出た。
「わたしはクロイさんは問題があると思います。こちらの資料を見て頂ければわかりますが、まず一つ目の問題として、月影町中央公園でのフリーマーケットに事前申請も参加料の支払いもせずに勝手に参加していたのです。こんな簡単なルールさえ守れない人は栄えある月影町商工会の上級会員には相応しくないでしょう。さらに……」
「ああ、ちょっと待って頂戴」
銭亀さんの発言を遮って、尨毛副会長が挙手しながら立ち上がった。
「そのことだったら、フリマ主催者との間でちょっとした手違いがあったのよ。クロちゃん、あれを銭亀さんに見せて差し上げて」
「は~い!」
訝し気な銭亀さんに対し、クロイさんはポンチョの中から取り出したクリアファイルを差し出す。そこに挟まれた紙を見て、銭亀さんが舌打ちした。僕も覗き込んでみると、それは「クロイさんが津守屋さんを拉致した日」のフリーマーケット参加料に関する領収書だった。
「クロちゃんはね、フリーマーケット申請書類はちゃんと提出していたのに、何らかの手違いでそれが適切に処理されえていなかったらしいの」
「そんなバカな! クロイさんは当日病欠したパン屋の宗像象子さんのブースを無断で占拠していたはずです!」
「そんなの知らないわ。でも、あの日の出展者リストには間違いがあったらしいから、主催者が訂正版を作っていたわよ。そこには象子さんの名前はないわね。参加者多数で象子さんは落選されたんじゃ? ほら、そのファイルに挟んであるでしょ」
「なんですか、この訂正版リストは……! 尨毛さん、もしかしてフリマ主催者に金を積んで訂正させたんですか?」
「は? 妙な言いがかりはよして頂戴。わたしがそんなことをした証拠でもあるのかしら?」
とぼけた顔の尨毛さんを、銭亀さんは赤い瞳で睨み付ける。
「象子さんはあの日のフリマの参加許可書をもらっているはずです。彼女の証言をもらえば……!」
「クロちゃんの資格審査は今日この場で行われるのよ。ならば、必要な資料・証言者は今、ここに用意されていなければならない。あなたの準備不足ではなくて?」
狗と狐の中間の顔をした尨毛さんが、大きな口を歪めて嘲笑を浮かべた。銭亀さんは悔し気に赤い唇を噛んで黙り込む。前回のフリマ調査で僕も尨毛さんと同じような処理をしているから、それ以上言い返せないのだと思う。
僕が「この前、安直なことしちゃって、ごめんね」と耳打ちすると、銭亀さんは「別に大丈夫だから」と小声で返してくれた。彼女は一息つくと、再び表情を引き締めて発言を再開する。
「だったらその件はもういいです。一番の問題は津守屋さんの件ですから。わたしが先に彼にお金の貸し付けをしていて、クロイさんは後から彼に接触したくせに、それを横からかっ攫って先に自分への借金を返済させてたんです。これは明確な商工会内規違反ですよね?」
「ああ、それはね、あなたの勘違いよ。あなたに借金するより前に、彼はクロちゃんから例の時計を月賦で購入していたの」
ツンと澄ましてそう言った尨毛さんに、銭亀さんは眉をピンと吊り上げながら食って掛かる。
「は? 何言ってるんですか? 津守屋さんはわたしと出会って借金するまでは月影町の存在すら知らなかったんですよ? それがどうやってクロイさんと知り合うんですか?」
「わたしは二人が知り合う経緯なんて知らないけど、事実は事実。そうよね、津守屋くん?」
ギラリと光る獣の目を向けられた津守屋さんは、ニヤニヤと皺の寄った軽薄な笑みを浮かべ、白髪頭を掻きながら頷いた。
「へへ。ええ、そのとおりっす」
そのセリフに、銭亀さんは目を剥いて彼に掴みかかる。
「津守屋、貴様……! クロイさんの責任をなかったことにすれば、あなたの借金は復活しますよ。いいんですか?」
「え? あ~、ま、金なら何とかなるっしょ。それより、そこの犬っぽいおばさん、俺の外見、なんとかしてくれるんすよね?」
尨毛さんは一瞬カチンと来たように顔を歪めたが、すぐに笑顔を浮かべる。
「ええ。善処するわ」
「よっしゃ!」
喜ぶ津守屋さんの姿を見て、銭亀さんは「いつの間に取引しやがった」と、苦虫を噛みつぶしたような顔で呟く。もしかして、津守屋さんの老化現象を改善する代わりに偽りの証言をさせるような取引きが、津守屋さんと尨毛さん、クロイさんの間でなされたのだろうか。
でも、いつ?
少なくとも、事務所を出発するときにはそんな素振りはまったくなかった。
そして、ガッツポーズで喜ぶ津守屋さんに対して僕が一つ心配するのは、一般的にビジネスの場での「善処」という言葉は必ずしも確約を示す言葉ではないということ。ここ数週間の銭亀さんや黒蜜さんの仕事ぶりを見る中で僕が思い知ったことだけれど、ただ、そんなことを教えてあげる義理もないので僕は黙った。
銭亀さんは気を取り直したように再び声を張り上げる。
「待ってください! だいたいですね、クロイさん自身が先程わたしが説明した内規破りを認めて、そのことを書いた文書にサインもしています。今そのそれをお見せします。誠児くん!」
「うん!」
僕は慌ててリングファイルを捲って該当の資料を探した。
だが――。
「嘘……ない……!」
「え?」
「確かに、事務所を出る時にはここに挟んであったのに!」
クロイさんがサインしたあの文書は、リングファイルのクリアポケットに収めたはずだった。事務所を出る前にも僕はそれを確認していた。そして、そのリングファイルはずっと僕の手の中にあったのだから、中身を紛失するはずがない。
にもかかわらず、クリアポケットからは煙のようにあの文書だけが消えていたのだ。
銭亀さんがハッとした顔でクロイさんの方を向く。
「クロイさん……あなた、誠児くんに何をしたんだ! まさか、誠児くんの時間を止めて……その間に文書を盗んで、津守屋とも話を付けたのか!」
銭亀さんは女神のごとき美貌の顔に、鬼のように凄絶な表情を浮かべてクロイさんを睨み付けた。だが、クロイさんは無邪気にふわりと笑う。
「え~? うふふ! 僕と尨毛さんの秘密ぅ! ね~?」
さすがにこの言葉には尨毛さんも困ったらしく、慌ててクロイさんの口を押さえながらフォローする。
「妙な言いがかりはやめて頂戴。銭亀さん、あなた、ありもしない文書をでっちあげて、クロちゃんを陥れようとしているんでしょう?」
「わたしはそんなことはしません!」
「だったら、ちゃんと証拠を出して頂戴。その文書とやらを今ここに出せないのなら、あなたの言葉は嘘だったと判断せざるを得ないわ。ねえ、そう思うでしょ、あなた達も?」
それまで空気だった銭亀さん以外の六人の上級資格調査委員達は、尨毛さんから急に話の矛を向けられ、慌てたように大きく何度も頷いた。
「ふふふ。ですって。銭亀さん、残念だったわね」
「ぐぐぐ……」
黙り込んでしまった銭亀さんを見やりながら、縊死会長がコホンと咳払いをする。
「では、そろそろ採決に入ってよろしいですかな? 皆さん、今からお配りする投票用紙に、クロイくんの上級会員昇格に賛成なら丸を、反対ならバツを書いて、こちらの投票ボックスに入れてください。過半数で承認です」
今日の書記係である、白黒逆転なパンダの姿をした男性が、会議室内の会員一人一人に投票用紙を配っていく。
銭亀さんは気合いを入れるためだろうか、艶やかな長い黒髪を頭の高い位置で一つに纏め、腕に付けていたシュシュで縛ってポニーテールにした。それから投票用紙に大きく「×」を書いて、投票箱に押し込む。
銭亀さんに続くように、他の会員達も次々と投票していった。
「ふむ……」
全員の投票が終わり、投票ボックスを開けて票数を勘定した縊死会長は、唸るような声を立ててから静かに結果を発表した。
「クロイくんの上級資格は承認されませんでした」
笑顔で立ち上がりかけていた尨毛さんが、呆然とした顔で凍り付く。僕も予想外の展開に目を見開いた。
「は……? 縊死会長、い、今、なんておっしゃいましたの……?」
「過半数がクロイくんの上級資格に反対していますな。というわけで、残念でしたなあ、クロイくん」
「え~、ダメだったのぉ?」
クロイさんは目当ての食玩が当たらなかった子供のような顔をしたが、尨毛さんの無念の表情はその比ではない。毛を逆立て、牙を剥き、銭亀さんを憑り殺しそうな勢いで睨み付ける。
「その仮居住者の女! まさか上級会員を買収していたのか!」
体の竦むような金切り声が銭亀さんにぶつけられた。だが、彼女は怯むことなく、牙のような八重歯を覗かせながら、真っ赤な唇を歪めて勝ち誇った笑みを浮かべる。
「は? 妙な言いがかりはやめてくれませんか。そういうのは、買収の証拠を出してから言ってくれません?」
「舐めた態度を取るんじゃないよ! ハンシニンの分際で!」
「尨毛さん、あんまりキャンキャン騒ぐのはやめた方がいいと思いますけど。負け犬みたいに見えちゃいますよ?」
「この仮居住女が! 生意気なんだよ!」
二人の間の言い合いは止まりそうもない。
ところで、尨毛さんの言った「ハンシニン」とはなんだろう? イントネーション的に「半死人」という感じだったけど……?
それを訊ける雰囲気でもなく、それどころか、会議参加者全員が困り果てている状態だった。
「尨毛さん、銭亀さん、喧嘩なら外でお願いできますかな」
縊死会長が疲れたような呆れたような声でピシャリと言って、ようやく二人が黙る。
「議事録は後日配布するので、確認してください。本日の定例会は以上」
※
「あ~あ。痛い損失になっちゃったな……」
にこにこ銭亀ファイナンスの事務所にて、社長机で頬杖を付きながら銭亀さんは溜め息をこぼしていた。
銭亀さんによると、尨毛さんと親しくない会員の人達には定例会前日に今回の顛末を証拠と共に説明に回っていて、事前に何割かの票を固めていたのだそうだ。プラス、金で動く会員には「もしも不測の事態があった時には金を出す(あるいは超低金利で融資する)から反対票を入れてくれ」というダークな根回しもしていたらしい。その「もしも」の合図が、髪を結んだアレだったのだそうだ。
「会社の利益が減る……芽衣、瑠奈、ごめん。社長なのに私情で会社の金を動かしちゃった。しばらく、社長は減給します……」
そんな銭亀社長に、菜摘さんはにこにこの笑顔を、黒蜜さんはいつもと同じ無表情を向ける。
「真桜子ちゃんの会社なんだから、真桜子ちゃんのやりたいようにやればいいとうちは思う~」
「わたし達は経営者の方針に従います。それに、真桜子さんの行動は、長い目で見れば間違っているとは思いません」
「みんな……」
銭亀さんは少し目を潤ませながら、来客用ソファに腰かける二人を見つめた。
僕はこの機会に、クロイさんについて気になっていることを聞いてみることにした。
「ねえ、銭亀さん。クロイさんが危険というのは、今回のことで僕もなんとなく理解できたけど、銭亀さんはどうしてそんなにクロイさんに対抗してるの? クロイさんをすごく憎んでいるように見えるけど……」
僕の言葉に、銭亀さんは少し困ったように顔を歪めた。その顔は少し笑っているようにも見えたし、怒っているようにも、泣くのを我慢しているようにも見えた。
「そうだねえ……。クロイさんと初めて会ったのは、わたしがまだ物事をよくわかってない子供時代だったのね。で、あの人の口車に乗ってとある契約をしたの」
銭亀さんは記憶をたどるように虚空を見つめる。
「それが結構取り返しがつかない契約でね。そんなわけで、わたし、マジであの人のこと恨んでる。だから、まあ、単なる私怨といえばそのとおりなんだけど……」
わかったような、わからないような説明で、僕は少し頭を傾げることしかできなかった。その代わりというように、菜摘さんと黒蜜さんが大きく頷いてみせた。
「真桜子ちゃんがクロイさんのこと大っ嫌いなら、うちもクロイさん大っ嫌い!」
「同じく。わたしもあの方はいけ好かないですね」
それを聞いて、銭亀さんが天使のように晴れやかで美しい笑みを浮かべる。
「みんな……大好き!」
銭亀さんは羽が生えたような軽やかさで来客ソファの二人のところに飛んでいき、力いっぱい抱きしめる。菜摘さんはにへらと顔を大きくゆるめて笑い、いつも無表情な黒蜜さんも少しだけ表情を緩めた。それはとても幸せな光景だった。
僕も力を抜いて、表情を緩める。
「そうだね。クロイさんはなんだか怖いところがあるし、僕も苦手かもな」
何の気もなしに僕は素直に呟いたのだが、僕のセリフを聞いた銭亀さんの赤い瞳がきらりと光った。
「誠児くんもわたしに抱きしめてほしいのね!」
「え! い、いや、僕はいいよ……って、うわあああああ!」
一瞬の間に、僕もふわふわと柔らかな感触に包み込まれてしまった。
この世に生を受けて十五年。経験したことのないぬくもり、やわらかさ、暖かさ、心地よさに、僕の脳みそは悲鳴をあげてぶち壊れた。天地が逆転し、意識が遠のくのを感じる。
「うわ、誠児くんが倒れた! ちょ、ちょっと、しっかりして!」
「誠児っち、鼻血出して失神~!」
「真桜子さんが浮かれてハグなんかするからですよ」
僕は夢うつつに、そんな女子三人の声を聞いた気がした。
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