2-12 よくわからない何か
学校終わりに事務所に顔を出すと、銭亀さんが社長机でご機嫌な笑顔を浮かべていた。その傍らには、やけに若者向け服を着た中年男性――もとい、なんやかやで借金から解放された大学生の津守屋さんの姿がある。しかし、その顔は前に縊死会長の診療所で別れた時以上にやつれているように見えた。
「じゃ、月影町商工会の定例会に行きましょー!」
意気揚々とグーの形の手を上げる銭亀さんを先頭に、生気のない顔の津守屋さんがそれに続き、報告資料を手にした僕がしんがりを務め、僕達は事務所から出発する。だが、商工会議所への道すがら、津守屋さんはブツブツと不満を口にし続けていた。
「くそっくそっ……どうしてこんなことに……どうして俺がこんな目に……」
銭亀さんは呆れたような顔を津守屋さんに向ける。
「いつまでウジウジしてるんですか? っていうか、全部自業自得だと思うんですけど?」
「なんでこんなジジィみたいな姿に……ムカつく……」
「あのですね、楽なこととか楽しいこととかには対価とか代償が必要なんですよ。あなたのソレは、あなたのしたことの代償としてはまだまだ軽いものですよ。むしろ、そんなんで済んで運がいいと思いますけどね」
銭亀さんの赤い瞳が放つ視線は冷たい軽蔑の感情を示していたけれど、津守屋さんはそれに気付きもしないみたいだ。ただずっとブツブツ不満を呟き続けていて、僕はなんだか怖く感じた。
※
漏れてくる声を聞いている限り、会議室内では縊死会長と尨毛副会長の元、議事は滞りなく進んでいるようだった。僕と津守屋さんは二人、薄暗い廊下で黙って呼ばれるのを待っている。
通常の議事の場に部外者は入れないため、津守屋さんはクロイさんの上級資格審査委員会が始まるまでここで待機することになった。銭亀さんから「念のためコイツ
見張っといて」と頼まれた僕は気まずい思いを抱えつつ、まだ暗い顔でブツブツと文句を言い続けている津守屋さんの様子を横目で伺っていた。
「あれ~、誠児くん、こんにちはぁ!」
突然廊下に明るい声が響いた。
驚いて振り返ると、クロイさんがいた。顔の半分が黒の毛皮に覆われ、長い耳を顔の両側に垂らした半兎の美少年は、無邪気ににこにこと笑っている。
「僕のお店で会って以来だね~! あの時は一緒にフリマとかして楽しかったねぇ!」
「え? あ、そ、そうですね……?」
僕は反応に戸惑って顔が引き攣るのを隠すことができない。
この人はウチの会社にされたことを覚えていないのだろうか。あんなに怖い目に合されてお金も巻き上げられたのに。しかも、これから僕達に資格審査を邪魔されることになるわけで……。
僕はさらに気まずい思いに押しつぶされたが、そんな僕の内心を知る由もないクロイさんは、何かを思い出したように「あ、そうだ!」と言いながら首から下げた大きな懐中時計をコツンと叩いた。
「尨毛さんに頼まれてたことがあったんだ~、忘れてたぁ!」
そう言って、クロイさんはポンチョの下をガサゴソと漁り、何かを取り出した。
「ちょっとコレ見てぇ、誠児くん!」
「え?」
見ると、それはダイヤル式のキッチンタイマーのようだった。クロイさんはダイヤルを捻って五分に設定する。
その瞬間、頭の中がぐにゃりと歪む感覚があった。
目の前のクロイさんの姿が一瞬だけ、ぶれたように二重に見えて、圧倒的に気持ちの悪い違和感みたいなものが、稲妻のように僕の体を駆け抜けていった。
「な……? え……?」
もう一つおかしな点があって、クロイさんの手の上のキッチンタイマーのダイヤルが、いつの間にかゼロ位置に戻っていたのだ。
「クロイさん……? 今、何か変な……?」
「うふふふふ!」
クロイさんは悪戯っ子のように可愛らしく笑う。無邪気で無垢なその笑顔が、僕はなぜかとても怖く感じた。
助けを求めるように津守屋さんの方を向き、けれど、僕は目を見開くことになる。
津守屋さんも笑っていた。さっきまでの陰気な表情を一瞬で忘れてしまったかのように、とても楽しそうに笑っていたのだ。
何かが変だ。何が変なのかはよくわからないけれど。
僕は寒気を覚えながら二人を見比べる。念のため、スマートフォンから会議室内の銭亀さんにメッセージを送信した。「クロイさんが来たんだけど、津守屋さんに何かをしたかもしれない。『何』をしたかは僕にはよくわからないけど」と。
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