2-11 かけがえのない人
「というわけで、津守屋さんはもう自由の身です」
「ほ、本当に……?」
銭亀さんの言葉に、津守屋さんが困惑気味に問い返した。
僕達「にこにこ銭亀ファイナンス」の面々と津守屋さんは「クロイ・タイム・ショップ」を後にし、月影町商工会の縊死会長が運営する診療所に来ていた。というのも、津守屋さんの怪我が酷く、一人で歩けないほどだったからだ。
ちなみに、クロイさんの店を出る前に銭亀さんは早速いくらかのお金をクロイさんから回収しており、さすがの仕事の早さを見せている。
「もちろんですとも。あなたの借金はクロイさんに肩代わりしてもらうので。ただ……」
朗らかな笑みから一転、銭亀さんはニヤリと、牙のような八重歯を光らせた不気味な笑みを浮かべる。
「津守屋さんには少々お願いしたいことがあるんです。別に難しいことじゃないですよ。とある場所でちょっとしたことを証言してほしいだけなんです。後で概要と想定問答集をメールするので目を通しておいてください」
「はあ……」
「というわけで、津守屋さん、お疲れさまでした!」
「ど、どうも……」
津守屋さんはオドオドした様子で帰っていく。僕が肩を貸して、なんとか診療所まで辿り着いた津守屋さんだったが、縊死会長の不思議な治療術でもう歩けるまでに回復していた。
銭亀さんは津守屋さんの治療費を含めてクロイさんに金額をふっかけたらしく、診療所の支払いは彼女がもっている。ただ、治療品質については最低レベルのオプションを選択させていた。僕はその手術を見学させてもらったのだけれど、執刀の縊死先生はまず、どこかのゴミ捨て場から拾ってきたらしい薄汚れたクマのぬいぐるみを解体して、その綿を津守屋さんのえぐれた傷に充填し、ぬいぐるみの毛皮を移植皮膚代わりに患部に縫い付けた。
それでどうして回復するのか僕には理解できなかったけれど、津守屋さんはすぐに痛みが消え、一人で歩けるようになった。
帰途に就く津守屋さんは服はボロボロで、元の写真からは信じられないくらいに老け、おまけに足の一部がぬいぐるみ化というものすごい格好だ。ただ、自分の姿を鏡で確認する機会はなかったはずだから、家に帰ってひっくり返るのではないかと僕は心配している。
「津守屋っちはあっさり返しちゃうの~? なんか真桜子ちゃん社長らしくないねぇ」
診療所から遠ざかっていく津守屋さんを見つめながら菜摘さんが少し不満げに言うと、銭亀さんがふわりと笑う。
「ふふふ。本当のわたしは優しい女の子だもの」
そう言った銭亀さんを、黒蜜さんが無表情の顔でじっと見つめる。その視線に気が付いた銭亀さんがプッと吹き出した。
「はいはい。そうですよ、瑠奈。おっしゃるとおり、どうせわたしは性格の悪い守銭奴ですよ」
ニヤリと八重歯を見せて嗤う銭亀さんに、やっぱりという顔で菜摘さんと黒蜜さんが頷き合う。
「あの手のアホの子は一度甘く生きる方法を覚えたら抜けられなくなるものなの。だから、放っておいてもどうせまたうちに借りに来るよ」
「ふ~ん? そういうものなんかねぇ?」
「今回はクロイさんが余計なちょっかい掛けてくれたおかげで、一定の利益を得られたし、これを機会に手を引く。それに、実はあの人まだ未成年なんだよ。人間世界の法律的にもちょっとアレだしね。でも、もうすぐ二十歳超すし、そしたら、次はどんな風に金を搾り取ってやろうか、色々プランを考え中。若い人間の男性って、結構使い道あると思うんだよね」
悪魔のように美しく嗤う銭亀さんを、僕は恐々と見つめるしかない。
「それに、津守屋さんにはなんでも言うこときくって言わせたからね。今度の商工会の定例会で、今回のクロイさんの不正行為を証言してもらうつもり。これでクロイさんの上級会員承認はなくなったも同然!」
「え……銭亀さん、クロイさんにはお金を払えば他言しないって言ってなかった?」
僕の言葉に、銭亀さんは真っ赤な唇を歪めてニヤリと美しく笑う。
「そんな口約束、知りませ~ん! サインをもらった文書上では、ルールを破って津守屋にちょっかい出したお詫びに、彼の借金を建て替えて、ついでに慰謝料も払うってことしか書いてないもん。委員会に報告しないなんて書いてないし!」
得意げに鼻を鳴らす銭亀さんに、黒蜜さんが何かを問い詰めるように冷たい視線を向けるものの、銭亀さんは屈しない。
「文書をちゃんとチェックしなかったクロイさんが悪いでしょ? 今度の定例会でぶつけた時、尨毛さんがどんな顔するか楽しみ!」
銭亀さんはその美貌に女神のような微笑みを浮かべた。僕は感心や呆れよりも、大丈夫なのかという心配の方が大きい気持ちで銭亀さんを見つめる。それは菜摘さんや黒蜜さんも同じみたいだ。
でも、銭亀さんは僕達の肩をバシバシと叩きながらウィンクする。
「うふふ! 経営者たるもの、二兎を追ってきっちり二兎とも仕留めないとね!」
本当に大丈夫なのだろうか。僕は不安だった。
※
夕暮れの月影町の大通りを僕は銭亀さんと一緒に歩いていた。菜摘さんと黒蜜さんとは家の方向が違うからさっき手を振って別れていた。
橙色に照らされた街は陰影が深く、街行く不思議な人達もどこか寂し気に見えた。
銭亀さんの艶やかな長い髪や、整った容貌、ブレザーにチェックのスカートの制服姿も、なんだかいつも以上にドラマチックに美しく見える。
「ね、これでわかったでしょ?」
「え?」
どうやら銭亀さんの美貌に見惚れてしまっていたらしい僕は、慌てて彼女の言葉に集中し直した。
「クロイさんが怖い人だってこと。あの人、考え方が子供じみててめちゃくちゃだし、その割に、他人の『時間』をやりとりできるっていう厄介すぎる力を持ってるんだもん。嫌になっちゃう。誠児くんも気を付けるんだよ」
僕は老化してしまった津守屋さんの姿を思い浮かべた。クロイさんも言っていたけれど、あれは多分、津守屋さんの時間を搾り取って電池に充電したのだろう。クロイさんの売る高額な電池はただの電池ではないということだ。
それに、あの人は理由なく僕まで充電器にセットしようとしていた。
「そうだね。僕もひどい目に合いかけたし……」
そう言いながら、僕は隣の銭亀さんをチラリと見る。すると、銭亀さんが不満げな顔をした。
「おや。その目は何かね? クロイさんより怖い人が僕の隣にいるって言いたい目に見えるけど?」
「そ、そんな!」
僕は慌てて手を振って否定する。
「銭亀さんは優しいよ。僕とか、菜摘さんや黒蜜さんにも! それに、パン屋のおばさんにも優しいし……けど、全員に優しいわけじゃないんだなって思って」
僕の言葉に銭亀さんはにっこりと笑う。
「そうだよ。いい人には優しいけど、そうじゃない人はどうでもいいんだもん。津守屋さんもしょーもない人だし」
銭亀さんは大きくため息をつく。
「元々、服だの食事だの遊びだの、そんなのでお友達にお金借りまくって、首が回らなくなってウチに来たんだよ、あの人。なのに、借金を返す気もなく遊びまわって、金利も膨れ上がるままだったから、獅子ヶ原さんとこに放り込んで。少しは反省したかなって思ってたんだけど」
「うん」
「全然懲りてなくて、リボ払いとか月賦払いとかでいろんなところで遊びまくってたみたい。例えば、クロイさんから『相手の時間を止める』みたいな時計を買ったりね。でも、早々に電池を使いきっちゃって、失踪したあの日はフリマに来てたクロイさんから電池を買おうとして逆に捉まったみたいなんだよね」
「ああ。そういえば、月払いで払うって約束だったのに、払ってくれなかったからああしたってクロイさんが言ってたよ」
「そういう意味では、クロイさんの行動も理解できるけどね」
銭亀さんは皮肉げな笑みを受けべから、溜め息をついた。
「だいたい、ああいう遊び人が『相手の時間を止める』アイテムを買うなんてゲスな動機に決まってるじゃん。胸糞悪い。エロ漫画のネタかよって感じ」
「エロ漫画? なにそれ?」
「いや、わからないならいいや。クロイさんも、お金払えないなら本体だけでも返してって取り上げたみたいだし、その件は気にするのはやめよう」
首を捻る僕に銭亀さんは苦笑を返した。
「だからね、そういうしょーもない奴はどうでもいいけど。大事な人は大切にしたいの。芽衣と瑠奈は特別な仲間で、絶対に大切にしたい友達だから、ずっとずっと仲良しでいたいんだ」
「僕は? 僕のことはどうして助けてくれたの?」
よく考えれば、僕の金銭問題も、銭亀さんだったら僕を借金漬けにして扱き使うことだって出来たはずだ。でも、一従業員として雇って、待遇はちょっと考える時もあるけれども、優しく接してくれる。それはどうしてなのだろう。
「だって誠児くんは……そうだねえ、わたしにとってはなんというか……」
珍しく、銭亀さんは答えづらそうに口をモゴモゴさせている。
「かけがえのない特別な男の子って感じだし……」
「へ……?」
僕が目を丸くして銭亀さんを見返すと、彼女は顔をクシャッとさせて笑って僕の背中をバシンと強く叩いた。
「な~んちゃって! それじゃあ、気を付けて帰ってね! 龍児くんにもよろしく~!」
そう言って、銭亀さんは事務所に通じる小道へと駆け出して行った。僕は何も言えずにそれを見送る。
胸がいやにドキドキしていた。頬から耳にかけてに熱を感じる。
銭亀さんの言葉をどう解釈しすればいいんだろう?
「かけがえのない特別な」っていうのは、うぬぼれてもいいってこと?
でも、「なんちゃって」とも言っていたし、ジョークの一種?
僕は歩行者天国の道の真ん中で考え込んだまま、しばらく動くことができなかった。
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