2-10 利益と損失

「ワシんとこから逃げるたぁ、いい根性しとんのぉ、おんどりゃあ!」

「ひいいいい!」


 銭亀さんが凄みのあるセリフと声で脅すと、津守屋さんはクロイさんの作業所の床の上で縮みあがった。銭亀さんは血のように赤い唇の端だけ吊り上げて悪魔のごとくに嗤い、妖しく輝く赤い瞳で津守屋さんを睨み付ける。


 つい先ほど、黒蜜さんの黒豹に跨り、銭亀さんと黒蜜さんはがクロイさんの「クロイ・タイム・ショップ」に乗り込んできた。菜摘さんの「右手」達に覆われて助けを乞うクロイさんのことは無視したまま、銭亀さんは津守屋さんをネチネチと責め続ける。


「津守屋さん、あなたのせいで弊社が被った損害がいかほどか、わかってますか?」

「い……や……その……」

「あなたから回収する予定だった金利分――まあ、これはあなたに後で複利込みで請求することになるのでアレですけど、弊社の看板に塗った泥についてはどうお考えですか?」

「え……と……」

「獅子ヶ原さんからは相当絞られましたよ、あなたが逃げ出したことについて。あの方とはいい関係だったのに、あなたのせいで弊社の信用は地に落ちました」

「い、いや……」

「あなたの身勝手のせいで、他の業者さんにもうちの悪評はすぐ広まるでしょうし、それによる未来の逸失利益はどのくらいですかねえ……? 想像するのも億劫ですけど。それに対する損害賠償を求めるのも、弊社の当然の権利だと思うんですよね」


 銭亀さんから夜のように昏く冷たい視線をぶつけられて、津守屋さんがガタガタと震えだした。怪我と老化現象でボロボロの津守屋さんが恐怖に引き攣る様子は、哀れみを誘う。

 僕もはその修羅場の様子に心臓を縮ませつつ、獅子ヶ原さんからは津守屋さんの後任である僕の件でかなり巻き上げているはずだと思った。でも、それをここで口にして助け船を出すほど空気が読めなくはなかった。


「はあ……。こうなったら、あなたを獅子ヶ原さんに『店員』として派遣するのではなくて、『原材料』として提供するしかないですかねえ。津守屋さんも噂くらい知っているでしょ? 獅子ヶ原さんが人間を材料に服作ってるってこと」

「ひ、ひぃ……!」

「逃げても無駄ですよ。ご理解頂けたでしょう。弊社からは絶対に逃げられません」


 悪魔のように美しく笑う銭亀さんを見て、津守屋さんは股の間を濡らし、白眼を剥いて気を失った。だが、その顔を黒蜜さんの黒豹がベロベロと舐め、強制的に覚醒させる。眼前に迫る黒豹の姿に再び気が遠のきそうな津守屋さんだったが、銭亀さんは彼の胸ぐらを掴み赤く光る目で睨み付ける。


「どう落とし前つけますか、津守屋さん」

「う……あ……」

「え? 聞こえませんよ? うん? 金利も元本も弊社の逸失利益も、今すぐまとめて払ってくれるんですよね?」

「僕は……その……そんな、無理……」

「なるほど。そんな大金を今すぐ払うのはさすがに無理。銭亀さんの言うことはなんでも聞きますから、どうかお許しくださいって感じですか?」


 銭亀さんの言葉に、津守屋さんは頬の筋肉をひくつかせつつ、ニヤニヤと笑いながら頷いた。この状況ではもう笑うしかないのだろう。銭亀さんの神経を余計に逆撫でそうな気もするけれど。


 だけれど、銭亀さんはニッコリと朗らかに笑った。


「ふむ。まあいいでしょう」


 意外な反応に、僕も菜摘さんも黒蜜さんも首を傾げる。津守屋さんのことを許す気なのだろうか。

 銭亀さんは僕達のリアクションを意にも介さず、今度はクロイさんに向き直った。


「ところで、クロイさん」

「ひぐ……ひぐぅ……」


 菜摘さんの「右手」達にまとわりつかれたままのクロイさんは、しゃくりあげて泣いていた。顔の両脇に垂れる兎の耳も、恐怖のためかプルプルと小刻みに震えている。


「ああ。失礼しました。すぐその『右手』達から解放しますね」

「お願いぃ! これ、早く取ってよぉ、真桜子ちゃ~ん!」

「はいはい。と言いたいところなんですけどねえ……」


 溜め息をついた銭亀さんは、どうやらわざとゆっくりしゃべっているみたいだった。


「前にも話しましたけど、津守屋さんからの借金取り立てはウチの方に優先権があるんですよ。それを横からかっ攫うだなんて、随分なことをしてくださいましたね」

「僕、そんなのよくわかんないよぉ。うええええん!」

「クロイさんは月影町商工会の約束事を破ったんですよ。経営者としては考えられない大罪を犯したのと一緒です」

「えー……?」


 くすんくすんとすすり泣きながら首を傾げるクロイさんに、銭亀さんは嚙んで含むように言い聞かせる。


「このままだと、親切にしてくれてる尨毛さんに迷惑をかけることになりますよ?」

「え……! 尨毛さんにぃ?」


 クロイさんは涙の溜まった赤と青の瞳を、驚いたように見開いた。


「それはダメだよぉ!」

「そうでしょうねえ。ただ、場合によっては見逃してもいいですよ」

「え、ほんとぉ?」

「クロイさんのせいで我々は津守屋さんの借金を取りっぱぐれたうえ、他にも迷惑を被ったんです。だから、クロイさんに払ってもらいたいんですよ、彼の借金とその金利と迷惑料」

「え~!」


 目を丸くするクロイさんに、銭亀さんは赤い唇から八重歯を見せながらニヤリと嗤い、ブレザーの内ポケットから取り出した電卓を叩いた数字を見せた。


「このくらいなんですけどね」

「それは高いよぉ」


 再び涙目となるクロイさんの様子に、銭亀さんは「ふむ」と唸る。


「クロイさん、津守屋さんからどのくらい搾り取りました?」

「えっと~、肉体年齢をぉ、二十年……二十五年!」

「津守屋さんに売った『時計』の価格は、この電卓の額とほぼ同額でしたよね」

「よく知ってるね~」

「会計資料を見させてもらいましたからね」


 銭亀さんの笑みがより深くなる。


「津守屋さんを使って充電した電池をうまく売れば、十分お釣りが出る額ですよ」

「え~、ほんとぉ?」

「クロイさん、マーケティングが下手なんですもん。ちゃんとリサーチすれば、あなたの商品を高く買ってくれる先があるんですよ。もしお困りなら、販売先を弊社が仲介してもいいですし」

「わあ、真桜子ちゃんとお仕事できるってことぉ? 嬉しい~!」

「光栄です」


 銭亀さんは朗らかに笑いながら、一方で奥歯がギリギリと鳴っているようだった。無理をしている表情。その様子に、クロイさんと仕事なんてしたくもないのかなと、僕は感じた。


「さ、クロイさん、今すぐこの書類にサインを。『月影町商工会の内規を破ってにこにこ銭亀ファイナンスに迷惑をかけたお詫びに、津守屋積利氏の借金と損害賠償額を肩代わりして支払います』という内容です。これを書いて頂ければ万事がうまく収まりますし、芽衣の『右手』も取ってあげます」

「わかった~!」


 半兎の美少年顔に満面の笑みを浮かべたクロイさんは、銭亀さんから差し出されたペンを手に、用意された文書に自分の名前をすぐにサインした。文書の中身を読む様子はなかった。

 ミミズがのたうつような子供の書く字だったが、確かにクロイさんの署名がなされた文書を銭亀さんは朗らかな笑顔で受け取る。


「確かに受け取りました。さあ、芽衣、取って差し上げて」

「うん~!」


 菜摘さんの「右手」達が引き上げていき、クロイさんが「ふえ~」と息を吐きながら安心したように体を弛緩させる。その様子を女神のように美しい美貌に微笑みを浮かべながら見守る銭亀さんだったが、彼女の牙のような八重歯がキラリと不気味に光ったのを僕は見た。


 

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