3-2 不穏の影
僕と銭亀さんは月影町に向かうため、都内のとある駅に降り立った。
構内でも改札を出ても、僕は俯きながら銭亀さんの隣を歩いていた。僕はまだ学校での出来事を引き摺っていて、なかなか銭亀さんの顔を真っすぐに見られない。彼女もそれを感じているのか、必要以上の言葉を僕に掛けないでいてくれて、それもまた、僕は申し訳なく、情けなく、さらに体を小さくするしかなかった。
梅雨明けも目前だと言われている近頃。今日は曇りの割に気温は高く、ムシムシしていて不快指数が高い。アスファルトとコンクリートでできた街はサウナみたいだ。暑さに辛そうに顔を顰める人達とすれ違いつつ、僕も次々と顔や首に湧いてくる汗をハンドタオルで必死に拭いながら歩いた。
駅前の巨大なスクランブル交差点を渡ったところで、銭亀さんが声をあげた。
「あれ? 芽衣?」
その声にハッとして顔を上げると、銭亀さんの目線の先には、今日も水色と黒のツートンカラーの髪にファンシーな洋服を着た菜摘さんの姿があった。お洒落な男子や女子が出入りしているファッションビルの前に菜摘さんは立ち尽くしていて、何かを見つめているようだった。
「芽衣!」
銭亀さんは大きめな声で呼んだが、菜摘さんは気が付かない。
「芽衣、どうしたの?」
銭亀さんが近づいて肩を叩くと、菜摘さんはやっと気づいてびっくりした顔で振り返った。
「あ、真桜子ちゃん! 誠児っちも~!」
「どうしたの? 何かあった?」
「あの……あのね~、あそこに友達がいるんだけどぉ……」
なぜか菜摘さんはバツの悪そうな顔だった。そして、銭亀さんもなぜか少し顔を顰めながら菜摘さんの友達だという人達を見る。
原宿系なポップで可愛い格好の菜摘さんとは違い、彼女の友達はギャルとかギャル男とか言われそうな、女子は少し大人っぽくて露出度高め、男子も軽薄さが感じられる外見の人達だった。僕達よりも少し年上のようで、六人ほどが集まってビルの前で楽しそうに話をしている。もちろん、ここはまだ月影町ではないので普通の人間達だ。
「芽衣が月影町に来る前のお友達?」
「うん、そぉ」
「話しかけてみたいの?」
「うん!」
大きく頷く菜摘さんに、銭亀さんは心配そうな視線を向ける。
「芽衣……わたしはあんまりお勧めできないな、昔の知り合いに会うのは」
「わかってるよ~、でもぉ……!」
「少なくとも、芽衣が一人であの人達に会うのはあんまりよくない気がする」
確かにあの人達の雰囲気は僕も少し苦手な感じはするけれど、銭亀さんはどうしてそんなに菜摘さんの付き合いに口を出そうとするのだろう。
菜摘さんも銭亀さんの忠告に不満なのか、唇を尖らせ、頬をぷうっと膨らませる。その表情を見た銭亀さんは困ったように笑い、菜摘さんの手をそっと掴んだ。
「別に全面的に禁止ってわけじゃないよ。そんな権利もわたしにはないし。ただ、芽衣が心配なんだよ」
「うちは平気だよ~」
にへらと緩んだいつもの笑顔を浮かべる菜摘さんに、銭亀さんはさらに心配そうな顔になる。
「本当だったら、わたしが付いて行ってあげたいんだけどなあ……」
「真桜子ちゃんも一緒に来てくれるの~? やったぁ! うちの新しい友達だよって、すっごくいい友達なんだよってみんなに紹介するね~!」
「もう、芽衣ってば……ふふ!」
銭亀さんはくすぐったそうなそうな顔で笑ったけれど、すぐに残念そうな表情に変わる。
「でも、わたしはこれから事務所に来客があるから行けないんだよね」
「そっかぁ、残念~!」
女子二人は同じような無念の表情で見つめ合う。
と、そこで、銭亀さんが急に僕の方を向いた。
「あ、じゃあさ、誠児くん、いい?」
「へ?」
「芽衣に付いて行ってくれないかな?」
「え、ぼ、僕が……?」
菜摘さんが小首を傾げながら僕を見る。
「誠児っち、うちと一緒にみんなと遊ぶ~?」
「え、えっと、え……?」
僕は戸惑いながら銭亀さんと菜摘さんを交互に見て、それから菜摘さんのお友達に視線を向ける。正直、ああいうリア充みたいな人達と話すのは苦手だから、遠慮したいという気持ちの方が強い。
でも、銭亀さんから再度「お願い――っていうのも変だけどさ。芽衣と一緒に遊んできてよ。今日の仕事についてはちょっと考えるから」と言われてしまい、僕は少し困惑しながらも頷いた。
「わ、わかった。菜摘さんと一緒に行くよ」
「やった~! じゃあ、行こうよ、誠児っち! 真桜子ちゃん、バイバ~イ、またね~!」
両方の手首にカラフルなシュシュやブレスレットをたくさんつけた菜摘さんは、片方の手で銭亀さんに大きく手を振り、もう一方の手で僕の二の腕をギュッと掴む。「ギャ!」と悲鳴が出そうになるのを必死に堪えた僕は、菜摘さんに引っ張られるがまま、彼女の友達だという人達のところへと連れられていった。
※
「みんなぁ、久しぶり~!」
にへらと緩んだ笑顔の菜摘さんは、いつも事務所で僕達に挨拶するのと同じような調子で彼らに話しかけた。
しかし、お友達だという皆さんは全員「誰?」とでも言いたげな目で菜摘さんと僕を見つめ返す。みんな二十歳くらいなのだろうか、ギャルっぽい女の人三人と、ギャル男っぽい男の人三人のグループだった。
「うちだよ、うちぃ! 忘れちゃったのぉ?」
「は?」
「だから、うちだよぉ。芽衣だってば~」
「え? だから、誰?」
唇を尖らせる菜摘さんとしばらく押し問答が続いたが、やがて金髪の女性がハッとしたように目を見開いた。
「あ、芽衣じゃん!」
「芽衣? え……あ、そっか! あの芽衣かよ! おいおい、いつぶり?」
「芽衣……?」
尚も訝し気な茶髪男性に、金髪女性が非難するような目を向ける。
「っていうか、時々お前んとこに芽衣を泊めてたじゃん!」
「は……? あ、お前……そっか! 芽衣かよ、なんだ、びっくりしたな。すっげー久しぶりじゃね?」
「昔は死ぬほど一緒に遊んでたのにね。なんですぐ思い出せなかったんだろ?」
男性のところに泊めてたとか、不穏な言葉が……。
僕は少し気になったけれど、それを今ここで問う勇気はなかった。
一方、ようやく菜摘さんのことを思い出したらしい六人と菜摘さんは、旧交を温めるようにワイワイと盛り上がり始める。
「あの頃はうちの髪がピンクだったからさ~。ちょっとイメチェンしたからかも~?」
「髪色は変わったけどさ、服とか雰囲気とかは相変わらずだよねぇ」
そう言って、女性陣が失笑のような笑い方をした。男性陣も「芽衣の格好、いつもマジうけるよな」と言って同じように笑う。
僕はその笑い方や言い方に嫌な印象を受けたけど、当の菜摘さんはにこにこと無邪気に笑っていた。
「芽衣、今までどこで何してたの?」
「俺らなしで生きてこれたのかよ?」
「実家もあんま帰れない感じだったでしょ?」
彼ら彼女らの質問に、菜摘さんは人差し指を口元に当てて、少し考えるような素振りをしながら答える。
「えっとねぇ、うちね、新しいお友達ができたから、その子のとこにいた~」
「え、それって、もしかして、そこの男?」
彼らがジロリと僕を見る。僕は咄嗟のことに口をパクパクさせるだけでうまく応えられなかったけれど、代わりに菜摘さんがしゃべってくれた。
「誠児っちも友達だけどぉ、誠児っちとは違う子だよぉ。今はその子のとこでお仕事もらって働いてる~。すっごい可愛い女の子で~、とっても優しいお友達なんだぁ。誠児っちはその子繋がりでお友達になったの~」
「へ~」
質問した割に、興味があるのかないのか、六人の返事はぼんやりしたものだった。
丁度その時、僕のスマートフォンに銭亀さんからメッセージが来た。
『誠児くん、急なお願いしちゃってごめんね。芽衣が心配だから、どうしても一人にはしたくなかったんだ。芽衣が困ったことにならないよう、見ていてくれないかな。これは個人としての頼みだけど、事務所でのバイトの代わりにわたし個人からバイト代も出すよ。あと、誠児くんは弟さんの面倒を見なきゃいけない時間に切り上げるでしょ? その時、芽衣も一緒に帰るように促してくれないかな』
銭亀さんの心配が伝わってくる文面だった。ここまで銭亀さんが気を使うなんて、菜摘さんと彼ら彼女らの間には何かあるのだろうか。確かに少し立場の差みたいなものは感じられるけど。
僕が悶々とする前で、彼らはこれからどうするかを協議していた。
「じゃあ、とりあえず中で買い物してから、どっかでご飯する?」
「でもさぁ、先週TDL行っちゃって、マジ金がねえんだよな」
そう言うと、六人はジッと菜摘さんを見た。菜摘さんは朗らかににっこりと笑うと、首から下げたクマのぬいぐるみ型ポシェットをポンと叩く。
「だったら、今日はうちが出すよ~! 真桜子ちゃんとこで働いて、今はちょっとよゆーがあるからぁ」
途端に六人がニヤリと笑う。
「芽衣、大好き~」
「さすが、芽衣は頼りになんな!」
「芽衣はうちらの中でも稼ぎ頭だったもんね~」
女の子達に抱き着かれて、菜摘さんは「にへへへへ!」ととろけそうな笑顔を浮かべた。
「じゃあ、行こうぜ」
「とりあえず三階?」
「いやいや、一階から全部見てこうぜ!」
六人に肩を抱えられ、ファッションビルの中に連れて行かれる菜摘さんを、僕は慌てて追いかける。
(あれれ……? なんかこれって……)
僕は何とも言えない既視感みたいなものを覚えていた。銭亀さんの心配していたことはこういう部分なのだろうか。
当の菜摘さんは六人に囲まれて、相変わらず無邪気な笑顔を浮かべているけれど……。
僕は他の人達に気付かれないように、銭亀さんに返事を打った。
『別にお給料とかはいいよ、遊びに行くんだし。内容は了解です。菜摘さんのこと、ちゃんと見てるね。』
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