3ー3 友達の傾向

 ファッションビルで女性陣が欲しがった服やらアクセサリーやら雑貨やらを、菜摘さんはクマのぬいぐるみ型ポシェットから万札を振る舞って購入した。その後、僕達はご飯の場所へ移動することになったのだけれど、最初は今日の奢り主である菜摘さんが好物のファストフードが候補に上がっていたのに、六人に押され、なぜか焼肉チェーン店に入ることになってしまった。


 日が傾いてきたとはいえ、初夏の夕方はまだ明るくて、それでも店内は人が多くガヤガヤしている。


「なに頼む? とりあえず生でいい?」

「生……って、なんですか……?」


 僕の質問がなぜかツボに入ったらしく、ギャル・ギャル男風の六人はゲラゲラと笑い出す。


「生の意味もわかんねーのかよ」

「だっせー!」


 僕は自分が世間知らずなのかと、恥ずかしさと怖さでいっぱいになりながら俯いた。きっと、僕の顔は赤くなったり青くなったりを繰り返しているだろう。

 そんな僕の背中を菜摘さんがぽんぽんと叩いた。


「誠児っち、生ビールって意味だよ。そんなん、ふつー高校生は知らないもんねぇ。うちと誠児っちはオレンジジュースでいいよ~。いいよね、誠児っち?」


 僕は力なく頷く。

 彼ら彼女らは「オレンジジュースとかガキかよ」とまた笑ったが、やはり僕は何も言い返せなかった。だいたい僕は制服姿なのだから、そんな客が飲酒していたらお店の人だって困ってしまうだろうとも思ったけれど、それを口に出す勇気もない。


 そんな僕に、菜摘さんだけはいつもの緩んだ笑顔を向けながら店員さんが運んできたジュースを手渡してくれた。

 銭亀さんからは、菜摘さんが心配だから見ていてほしいと頼まれたのに、これではどちらが面倒を見られているのかわからない。僕はまた気持ちが沈んだ。


 それから肉がどんどん運ばれてきて、彼ら彼女らはそれをどんどん焼いてどんどん食べた。その中には「特上」と名前のついた肉もあった。

 菜摘さんはあまりお腹が空いてないと言って、クッパを半分食べた後は二、三枚焼いて食べただけだった。僕も届く場所にある皿の肉を何枚か焼いて食べただけ。


 その間、彼ら彼女らは菜摘さんと僕を置いてきぼりに、まるでここに六人しかいないような素振りで楽しいおしゃべりを続けた。初対面で無口な僕のことはともかく、合間合間に言葉を挟もうとする菜摘さんのことも話に入れようとしない。


「つーかさ、この前のアイツ、めちゃくちゃ面白かったよね」

「ああ、あれマジうけたよな」

「なになに~? なんのことぉ? うちも知りたい、教えてよぉ!」

「あ、それよりさ、あの店潰れたの知ってる?」

「知ってる、知ってる! すげーショックなんだけど」

「ぇ、なになに~? うちの知ってるお店ぇ?」

「お前さ、全然ショックそうに見えないし。キャハハハ!」


 スルーされる菜摘さんを見て、目配せし合いながらニヤニヤしている人もいた。


 菜摘さんはそれでも、あるいはそういう空気に気付いていないのか、いつもの緩い笑顔を途切らせることはなかった。僕は菜摘さんに何かを言うべきなのか、言わない方がいいのか判断がつかなくて、胸の中にモヤモヤが積もっていった。



 僕には居心地の悪い食事会もだいぶ時間が経ち、腕時計はもうすぐ午後の七時であることを示していた。


「ねえ、菜摘さん、そろそろいい時間だからさ、もう帰らない? 僕は弟が家で待ってるからそろそろ出ようかと思うんだけど……」


 六人は話に熱中しているので、僕はこっそりと隣の菜摘さんに小声で問いかけた。だが、彼女は不満げに口を尖らせる。


「え~、うちはもっとここにいたいな~! 誠児っち、先に帰ってもいいよぉ?」

「え……いや、でもさ……。菜摘さん、大丈夫? なんかあの人達の雰囲気も……ちょっと微妙だし……」

「微妙って、何がぁ?」


 心からキョトンとした顔の菜摘さんに、僕は困ってしまう。

 菜摘さんは本当に彼ら彼女らの態度の意味がわかっていないのだろうか。そうなら、説明した方がいいのかもしれないけれど、どう言ったらいいものか悩むし、彼ら彼女らがいるこの場で説明するのも抵抗がある。どうすればいいのかと僕が心の中で頭を抱えていると、菜摘さんが急にスマートフォンを取り出した。


「あ、真桜子ちゃんからだ~! あれ~? うちに緊急のお仕事あるから帰ってきてだってぇ。芽衣にしかできない仕事って書いてある~!」


 そう言うと、菜摘さんは最高にふんにゃりと緩んだ笑顔を浮かべた。


 さすがは銭亀さん、菜摘さんを帰らせるようちゃんと手を打ってきたということなのだろう。銭亀さんのことだから、おそらく嘘ではなく、ちゃんとそれなりの仕事を用意しているのだと思う。


 僕は心の中でガッツポーズをした。しかし、今度はなぜか、菜摘さんを蔑ろにしていたはずの六人が不満顔をこちらに向けてくる。


「おいおい、もう帰っちゃうのかよ、芽衣?」

「ごめんね、うち、呼ばれちゃったぁ。お仕事なの~。うちもまだまだみんなと一緒にいたいんだけどぉ」

「これからどんどん盛り上がってく予定だったのにさ」

「芽衣がいないとつまんないよ」

「ごめ~ん」


 六人の言葉に少し嬉しそうな顔をしつつ手を合わせて謝る菜摘さんを、六人がジロリと見る。


「これからガンガン頼んで盛り上がろうと思ってたのによー」

「冷めるよねー」


 菜摘さんは申し訳なさそうに眉を八の字にしながら、クマのぬいぐるみ型ポシェットを漁り、何枚かのお札を取り出して渡した。


「ごめんってば~。ちゃんと約束通りここの支払い分は置いてくからぁ」


 途端に、彼ら彼女らはカラッとした笑顔を浮かべた。


「えー、わりいな、芽衣!」

「マジありがと! 芽衣がいないのは寂しいけどさ、今日は俺らだけで楽しませてもらうわ」

「今日はしょうがないもんね。また時間合ったら遊ぼー!」

「うん~! うち、暇できたら連絡するね~」


 止めようかとも思ったけれど、菜摘さんがとても嬉しそうに笑っていたから、僕は何も言えなくなってしまった。僕は眉間に皺が寄るのを感じながら、彼ら彼女らとハイタッチしていく菜摘さんを見ていた。



 暗くなりだしてはいてもまだまだ遊び歩く人でいっぱいの街は、自ら熱を放っているように暑い。菜摘さんは月影町へ、僕は駅へ向かう帰り道で、思い切って質問してみた。


「ねえ、菜摘さん。あの人達って、どういうお友達なの?」

「どぉいうって~? 別にふつ~のお友達だけどぉ?」


 一度キョトンとしてから、菜摘さんは記憶を探るように斜め上の虚空を赤い瞳で見つめ、言葉を続ける。


「うちさぁ、家族とあんまり仲良しじゃなくてね~、中学とかの時から色々な友達んちに泊まったりしててぇ、友達の友達とか紹介してもらいながらぶらぶらしてたの~」

「ふうん……」

「いちおーさ、高校は入ったけど~、ほとんど行ってなくてぇ。今日のみんなはその頃、たくさん一緒に遊んでた友達~」

「そうなんだ……。でも、ご家族とかからは心配されなかったの?」

「う~ん? 特になんも~?」


 菜摘さんはそう言うと、小首を傾げながら、にへらと緩んだいつもの笑顔を浮かべた。


 僕は心の中がヒリヒリした。菜摘さんのおうちはちょっと難しい感じなのだろうか。まあ、僕のうちだって人のことを言えないし、勝手に他人の家庭についてあれこれ思うのも失礼なのかもしれないけれど。


 僕は少し話題を変えることにした。


「じゃあさ、菜摘さんって、元々月影町に住んでたわけじゃないってことだよね?」

「うん~! うちの実家とか関東だけどぉ、ちょっと田舎の方だも~ん。あんまり真面目に通ってなかったけどぉ、中学ん時、チャリ通学はヘルメット必須だったんだよ~」

「へ~」


 なんだか、ごく普通の学校生活な感じだ。考えてみれば、通信制高校とはいえ銭亀さんも現役女子高生だ。

 でも、にこにこ銭亀ファイナンスの女子三人はみんな不思議な力を持っているようだし……どういうことなのだろうか。


「それってつまりさ、菜摘さんは普通に人間だってこと、だよね……?」

「元々はね~」

「元々は……?」

「えっと、あのね~」


 その時、菜摘さんのスマートフォンが鳴った。


「あ、真桜子ちゃんだ! すぐ来てほしいって! じゃ、うち、行くね~!」

「あ、うん……」


 色とりどりのシュシュとブレスレットでごちゃごちゃした腕をブンブン振りながら走っていく菜摘さんを、僕も小さく手を振りながら見送る。

 僕も駅に向かい、電車に乗り込んで家に向かいながら、スマートフォンで今日の顛末を簡単に綴って銭亀さんに送っておいた。



 夕飯の支度が終わって、龍児くんが待つダイニングテーブルにハンバーグの乗った皿を運んでいると、僕のスマートフォンに電話の着信があった。


「龍児くん、先食べてていいよ」


 箸を掴んだまま固まっていた弟に声を掛けてから、僕は銭亀さんからの電話に出た。


「誠児くん、遅くにごめんね。あのさ、今日、芽衣と二人で店を出た後、あの子、まっすぐこっちに向かったんだよね?」

「そうだけど……。何かあったの?」

「芽衣、月影町に帰ってこなかったんだよ」

「うそ……! 今ももまだ?」

「うん……」


 電話口の銭亀さんの声は少し不明瞭だったけれど、それでも沈んだ声音なのがわかる。


「瑠奈が探しにいってくれてね。そしたら、まだあの人達と一緒にいるみたいなんだよ。こっちに戻らないであっちの二次会に再合流したみたい」

「なんで……」


 独り言みたいに問いかけた僕の言葉に、銭亀さんは少し間を置いてから答えた。


「あの子はちょっと……一度相手を好きになると、懐きすぎちゃうところがあるから……」


 それは震えるような揺れた声だった。僕はなんて返したらいいのか、上手な言葉が思い浮かばず、電話口では沈黙が続く。

 少しして銭亀さんは気を取り直すように、声を張って言った。


「だいたい事情はわかったよ。ありがとう、誠児くん。遅くにごめんね。とりあえず、芽衣のことはこっちで様子見るから。また明日ね」

「うん……またね」


 僕は不安な気持ちのまま電話を切った。


 ふと食卓を見ると、龍児くんは湯気のたつハンバーグをじっと見つめたまま、箸を構えた姿で静止していた。


「何してるの、龍児くん。食べなよ」

「誠児くん、誠児くん、誠児くん、誠児くん」

「ん?」

「ご飯、ご飯、ご飯、ご飯。誠児くん、いただきます、誠児くん、いただきます、誠児くん、いただきます」

「ああ、そうだね。はい、いただきます」


 食前の挨拶をしてから、僕がご飯に箸をつけると、それを見た龍児くんもやっとハンバーグに箸を入れ、もぐもぐと食べ始める。


 もしかして、僕を待っていてくれたのだろうか。それとも、毎回同じルーチンを実行することを重視する彼が「夕飯の食卓に僕がいる」といういつもの状況を望んで待機していただけだろうか。


 わからないけれど、なんとなく今回は前者な気がして、僕はふわふわのブランケットに包まれたみたいな気持ちがした。今日も龍児くんは彼のルーチンどおり、最初におかずを順々に平らげ、スープを飲み干し、最後にお茶碗一杯分の白飯を掻き込む。僕は少し笑いながらその様子を眺める。


 僕もハンバーグを切り分けて口に運んだ。肉汁溢れ出すそれを味わいながら、僕は改めてテーブルの脇に置いた暗い画面のスマートフォンを見る。


 菜摘さんは大丈夫だろうか。今、何をしているんだろう。あの六人と一緒なのだろうけど、どんな気持ちなのだろう。彼らと一緒にいることは、菜摘さんにとっては幸せで楽しいことなのだろうか。


 暗い画面は僕の疑問には答えてくれない。

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