3-4 友情と代償
菜摘さんはあの日以後、月影町に戻ってこなかった。彼らと出会ったあの日の夜、左腕の猫で菜摘さんの居所を探し当てた黒蜜さんが迎えにいったけれど、菜摘さんはあっけらかんと「うち、まだみんなと遊びたいからぁ。瑠奈ちー、ごめんね~。もーちょっとしたら、ちゃんと帰るから~」と言われ、連れ帰ることができなかったそうだ。今日はその日から三日が経っていた。
「ご足労すみません、誠児さん。わたし一人ではどうも話がうまく進まない気がしたので」
左腕から分離した黒猫を右腕に抱えた黒蜜さんがそう言って頭を下げたので、僕は慌てて首を横に振る。
「いやいや、僕も菜摘さんが心配だから!」
改めて菜摘さんを迎えに行くため、黒蜜さんと僕は月影町を出て、若い人達で溢れる街を歩いていた。暗くなり始めた時間帯だった。
漆黒のゴシックロリータ風ドレスを纏った黒蜜さんは、右手の指先で器用に猫の喉を撫でながら、僕の顔をそっと覗く。
「誠児さん、芽衣さんを見つけても、どうか怒らないでやってくれませんか」
プラチナブロンドに染めた短い髪に縁取られた黒蜜さんの顔は、いつものとおり無表情ではあったけれど、どこか萎れた花のような雰囲気を纏っているように見えた。
「僕は怒ったりしないよ。でも、銭亀さんはわからないけど……」
「ええ……」
黒蜜さんは静かに赤い瞳を伏せた。最近の銭亀さんは月影町内の贔屓客や有力筋への挨拶回りに忙しく、今日も事務所へ戻ってくるとクタクタな様子で机にうずくまっていた。それでも、いつもは菜摘さんが我が物顔で占拠している来客用の黒革のソファーを難しげな顔でじっと見つめていたのだ。
「芽衣さん、大丈夫でしょうか……」
溜め息をこぼす黒蜜さんの顔を僕は覗き込む。
「黒蜜さん、菜摘さんを大切に思ってるんだね」
「だって、真桜子さんと芽衣さんは、わたしの初めての友達ですから」
さらりと言った黒蜜さんだったけれど、少しハッとしたように顔を赤らめて僕から視線を外した。いつもと少し違う黒蜜さんの表情に僕が目を奪われかけた時、彼女の右腕に抱かれた黒猫が「うにゃう!」と鳴いた。
「ここですね」
黒蜜さんが見上げたのはとある雑居ビルだった。一階入り口にはたくさんのお店の案内表示がされていたが、彼女は迷いなく階段を上っていき、二階のダーツバーの扉を押し開く。店内への猫の出入りを見咎められないようにか、扉を開けた瞬間に黒猫をドレスの大振袖内の左腕に戻したようだった。
「芽衣さん!」
「あー、瑠奈ちー!」
菜摘さんの怜悧な声が薄暗い店内に響くと、いつもと同じく、にへらと緩んだ笑顔の菜摘さんが嬉しそうな顔でこちらを向いた。いきなりのゴスロリ少女の登場に他のお客さん達からの注目が集まる中、黒蜜さんはいつもの無表情でツカツカと菜摘さんに歩み寄る。
「芽衣さん、いい加減に帰ってきてください」
「え~、うち、もっとみんなと遊びたいんだもん~」
「だからって、仕事を放り出すなんて……」
「有給溜まってるし、いいじゃ~ん! ねえ、みんなもそー思うよねえ?」
のん気に笑いながら菜摘さんがギャル・ギャル男風の皆さんを振り返ると、口々に「そーそー!」「働いてばっかじゃ人生楽しくないぜ?」「息抜き息抜き!」という声が上がる。テンション高く大笑いしていて、どうやら既に結構酔っぱらっているようだ。その様子に、黒蜜さんが溜め息をこぼした。
「だいたい、お金は大丈夫なんですか、芽衣さん? 結構使ったでしょう?」
「いや~、そろそろやばいかも~?」
首から下げたクマのぬいぐるみ型ポシェットの中身を、菜摘さんは不安げな顔で覗き込む。途端に、ギャル・ギャル男の皆さんが手のひらを返したように、さっきまでの笑顔を消して、つまらなそうな顔で菜摘さんを見る。
「げー、マジかよー」
「なら、もう帰ればー?」
「お金貯まったらまた遊ぼー」
「ってことで、ここのお金はよろしく~!」
店員に会計を依頼すると、彼ら彼女らはそそくさと帰り支度を始める。さすがの菜摘さんも「え……」と戸惑い気味の表情になるが、黒蜜さんは珍しいことに、わかりやすく赤い瞳に怒りの感情を滲ませながら彼ら彼女らに詰め寄った。
「待ってください。皆さん、芽衣さんより年上ですよね。なのに、芽衣さん一人に会計を押し付けるなんておかしくないですか?」
「あ? なんだよ、お前、いきなり?」
「変なゴスロリ着てるくせに、文句言わないでくださ~い」
「部外者は黙っててくれるぅ?」
黒蜜さんを睨み付けたり、嘲るように嗤ったりする彼ら彼女らに、菜摘さんが慌てて取り縋る。
「みんな、やめてよぉ! 瑠奈ちーも、別にうちはいいんだよぉ、お金くらい!」
それでも、彼ら彼女らからの暴言や嘲りは止まらず、僕は間を割るように黒蜜さんの前に立った。
「ま、ま、待ってください、皆さん! 黒蜜さんも! さすがにこちらの皆さんは成人されてる人達だから、未成年の菜摘さんに支払いを押し付けるなんてことしないよ!」
僕は店内の他のお客さん達にも聞こえるように、大きな声で言った。みごとなゴスロリ姿の黒蜜さんの登場に注目が集まっていたこともあり、お客さん達は僕達をチラチラ見たり、ひそひそ話したりし始める。
「未成年に集るなんて、カッコ悪い人達じゃないよ! そんな言いがかりは失礼になっちゃう! 今はたまたま持ち合わせがないから、菜摘さんに立て替えてもらうだけで、お金は後で返す――ですよね?」
さすがに周りの目が気になったのか、彼ら彼女らは引き攣り気味の顔で頷く。
「そうだよ、そのとおりだよ!」
「ねえ、あたしらだって、別に芽衣一人に払わすつもりないし」
「そーそー。割り勘割り勘。後で返す返す」
「俺ら、後でちゃんと返すから! だから、今回だけ、よろしくな、芽衣!」
皆さんはそう言って、そそくさと店を出て行った。他人の目が集まる手前での言葉であり、結局は後で踏み倒す腹づもりなのかもしれないけれど……。
僕が不安に顔を歪めたところで、ダーツバーの店員がレシートを持って来た。それを覗いた菜摘さんも顔を歪める。
「えー……、こんなに高いんだぁ……やばーい、足りない……」
「皆さん、高いお酒ばかり頼んだようですね」
絶句する菜摘さんから、黒蜜さんはレシートを挟んだクリップボードを取り上げ、自分の財布から出した何枚かの万札を挟んで店員に渡した。
「芽衣さん、わたしがお金を出すのがどういう意味か、わかりますね?」
「さ、さあ……?」
明後日の方を向いてやり過ごそうとする菜摘さんに、黒蜜さんは静かに告げる。
「とぼけないでください。わたしがお金を出したことも、あの人達がはっきりと『借りた』と明言したことも、真桜子さんにはきっちり報告します。その後の対処は真桜子さんに任せますが、『にこにこ銭亀ファイナンス』で借りたのと同等の態度を彼らに対してとるでしょう」
「酷いよ、瑠奈ちー! うちの友達にそんな酷いことするつもりなの? うちと瑠奈ちーは友達だと思ってたのにぃ!」
菜摘さんが涙でいっぱいにした瞳で黒蜜さんを睨むと、黒蜜さんは本当に少しだけ顔を強張らせ、唇を噛んだように見えた。でも、何か文句は言うことはなく、僕と菜摘さんに背を向け、踵を返して歩き出す。
「とにかく、一度事務所に行きますよ。有休を取るにしろ、連絡は必要ですから」
「瑠奈ちーの冷血管! わかったよぉ! 事務所に行けばいいんでしょお? うえええええん!」
泣きながら黒蜜さんの後ろについて歩き出した菜摘さんに、僕は躊躇いがちに声を掛ける。
「菜摘さん……。黒蜜さんは菜摘さんのこと、本当の友達だと思ってるから、
こうしたんだと思うよ」
「うぅ……なにそれ、意味わかんないよぉ……」
黒蜜さんも不器用だし、菜摘さんも別な意味で不器用な人だ。なんとか元の仲に戻れたらいいけれど……。
僕はそう思いながら、前を行く黒蜜さんの後ろ姿と、カラフルなシュシュやブレスレットに飾られた腕で目元をぐじぐじと拭う菜摘さんの姿を見つめた。
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