2-6 兎少年との接触

 今日、月影町中央公園では定期のフリーマーケットが開催されている。僕の目には霧が立ち込めて薄暗く見える空は、僕の隣を歩く菜摘さんの目にはフリマ日和の快晴に映るらしく、菜摘さんは気持ちよさそうに伸びをしている。


「あー、象子おばちゃん、今日もお店出してるんだねー」

「あらあら、芽衣ちゃん、いらっしゃい」


 菜摘さんが足を止めたのは、灰色の肌に長い鼻を持つ女性のスペースだった。おいしいと評判のパン屋さんを営んでいる宗像象子さんは、綺麗な花柄のビニールシートの上で、ファンシーなフリル飾りのついたクッションにちょこんと座ったふくよかなご婦人で、黒目がちの目が優しい光をたたえている。象子さんの前に置かれたいくつかのバスケットには、毛糸やフェルトで作られた可愛らしいマスコット人形が並んでいた。


「わー、これ可愛い! こっちも可愛い! 全部ほしくなっちゃうぅ~! もしかしておばちゃんが自分で作ったのー? すごいすごいすごーい!」

「あらやだ、そんなに褒められたら恥ずかしいわ。ただの趣味の手遊びだから……」

「え~、めっちゃくちゃ可愛いよぉ!」


 菜摘さんはマスコットを何個も手に取って吟味し、白ウサギのお姫様のフェルト人形を買うことに決めたらしい。僕も弟のために、ストラップのついた子グマのあみぐるみを購入することにした。


 そんな風にして僕と菜摘さんはフリーマーケットをぶらぶらと探索した。

 会場である月影町中央公園の遊歩道には様々な人が様々な出店をしていて、例えば、トカゲのような人が古着を並べていたり、三つ目の人が骨董品らしい器を並べていたりする。それらのスペースを、やはり人間とは少し違う姿かたちの人達が楽しそうにひやかしながら行き来していた。


 もちろん、僕達がこうしているのは遊びではなく、銭亀社長の指示による動きだった。今日のフリーマーケットに疑惑のクロイさんが参加申請していないことは確認済みだったが、前の時のように無許可で出店していないとも限らない。出店していたとしたら、どんなことをしているのかを確認したい。それが銭亀さんの指示だった。


「クロイさん、いないね~」

「そうだね。残念だけど」


 だいたいのエリアを見終わって二人で諦めモードになったところ、出店エリアの隅の方に人だかりができているのが見えた。しかも、なんだか騒がしい。


「あ~!」


 野次馬の中に頭を突っ込んだ菜摘さんが素っ頓狂な声を上げた。


「ねえねえ、誠児っち、誠児っち、あれ見てあれ!」

「なに? あ!」


 僕もゴクリと唾を飲み込む。人だかりの先には体の半分が人間・半分が兎の少年がいて、フリーマーケットスタッフの腕章をつけた格子模様の肌の人に怒られていたのだった。


「ちょっと、君、ここはフリーマーケットが許可されていないエリアだよ! それに君は出店許可も得ていないよね?」

「え~、僕、そうゆーの、よくわかんなぁい……」

「フリーマーケットの参加要項を読んでないの?」

「わかんないもん、そんなのぉ。え~ん!」


 お目当てのクロイさんだった。

 顔の半分が黒の毛皮で覆われ、両側に長い耳を垂らした紅顔の美少年は、左右で色の異なる赤と青の瞳を潤ませながらスタッフの人を見上げている。スタッフさんは話しの通じない様子の美少年を前に、困ったように口を閉ざした。


(これはもしやチャンスなのでは)


 僕は菜摘さんに「見張りをお願いします」と言ってから、思い切ってクロイさんに話しかけてみることにした。


「あの、どうしたんですか?」

「あれ、おにーさん、どこかで見たことあるぅ。えっとえっと、確かぁ、真桜子ちゃんの会社の人……?」


 クロイさんは小首を傾げながら僕を見上げた。


「そうです。にこにこ銭亀ファイナンスの従業員です。クロイさん、どうしたんですか?」

「わかんなーい。怒られちゃったのぉ……」


 今にも涙がこぼれそうなクロイさんの儚い佇まいは、いかにも憐憫を誘う風情があった。スタッフさんがバツの悪そうな顔で代わりに説明してくれる。


「このビニールひもで区画してあるところまでが公園から許可されているフリマエリアなんです。なのにこの人はその外で勝手に店を開いていて。しかも参加申請も出していないから、他のフリマ参加者さんには申請時に払ってもらっている参加料すらこの人からは頂いていないってことになるんです」

「そうなんですか。困りましたね」


 運営者にとってはクロイさんのような便乗者は「困ったちゃん」だろう。だが、当のクロイさんはぽけーっとした表情でスタッフさんの説明を理解している様子はない。


「クロイさん、勝手にお店出したから怒られちゃったんです。とりあえず片付けましょう」

「え~」


 不満げにぷうと頬を膨らませるクロイさんに僕は耳打ちで、「ここはダメな場所なんです。他のところでできないか交渉してみるので、とりあえず片付けだけしてください」と伝えると、渋々と店を畳み始めた。


 僕は懐にしまっておいた封筒から二区画分の参加費を取り出し、スタッフさんに差し出す。銭亀さんに調査費用として与えられていたものだった。


「参加料と迷惑料です。相談なんですけど、今日フリマを回っていて、ある出店者さんが早退して、一スペース空いたのをさっき見たんですけど、そこをクロイさんに貸してもらえませんか?」

「いやいや、困りますよ。事前申請がフリマ出店の約束なのに」

「だからこその迷惑料込みで二区画分払うんです。クロイさんも悪気があったわけではないんです。だから……」


 僕とスタッフさんがちらりとクロイさんの方を向くと、兎少年は期待を込めたキラキラと輝く瞳で僕達を見つめていた。それはもう、神話に出てくる無垢な妖精のような美少年ぶりだった。僕とスタッフさんは、言葉もなくその姿に魅入るほかない。

 結局、スタッフさんは溜め息をつきながら、僕からお金を受け取った。


「今回だけですからね」

「よかった! 後で参加費二区画分、弊社に領収書作って頂けると助かります」

「わかりました」


 僕はスタッフさんに名刺を渡し、スタッフさんが去っていくのを頭を下げて見送りながら、僕はクロイさんにOKサインを出す。


「やったあ! お店だしていいのぉ?」

「はい。その代わり、場所変えないとだめですけどね」

「すぐ準備するぅ!」


 ニコニコの笑顔でクロイさんは片付けのスピードを上げた。僕はその隣にしゃがんでビニールシートを畳むのを手伝う。


「おにーさん、いい人だね~」

「いい人ついでに、今日のお店、手伝いましょうか?」

「え~いいの~?」

「ええ。暇なので」

「わ~い」


 無邪気に笑うクロイさんの横で、僕は微笑む。思った以上に自分がスムーズに事を運べたことに内心驚きながら。


 さて、クロイさんの商売とはどんなものなのか。フリーマーケットで何をしていて、津守屋さんの失踪に何か関わっているのか、いないのか。それに、こんなに無邪気で可愛らしい雰囲気の人を、銭亀さんはどうしてあんなに警戒しているのか。


 間近に見聞きするチャンスができてしまって、少し恐ろしいけれども、銭亀さんに迷惑をかけてしまった汚名返上という至上命題のため、僕は心の中で気合を入れ直した。

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