2-7 兎少年の謎

 フリマの運営さんに無理を言って確保してもらったスペースに、僕とクロイさんとでビニールシートを広げ、その上に商品を並べていく。


「誠児くん、手伝ってくれて、ありがとぉ!」

「いえいえ」


 クロイさんの商品は時計だった。壁掛けの振り子時計から、ベルのついた目覚まし時計、プラスチック外装でデジタル表示の置き時計、手のひらに収まるサイズの金縁懐中時計、ブランドものらしき腕時計、子供向けのキャラもの時計などなど、取り扱いは様々だ。銭亀さんに迷惑かけた分、今回の接触でなにがしかの成果を上げたい僕は、それとなく時計を手に取って確認してみるが、何の変哲もない時計にしか見えなかった。


「時計くんが一つぅ、時計くんが二つぅ、時計くんが三つぅ、……」


 顔と体の半分を黒の毛皮に覆われたクロイさんは、顔の両脇に垂れる兎耳を揺らしながらシートの上に時計を無造作に並べていく。僕はクロイさんのリヤカーから苦労して大きな振り子時計を降ろし終え、額を流れる汗を拭った。と――。


「うわあっ!」


 クロイさんはビニールシートの上でつまずき、いくつかの時計を突き飛ばしてしまう。


「大丈夫ですか!」

「ふえええ……痛いよぉ……」


 クロイさんは赤と青の瞳を涙目にして僕を見上げる。顔と体の半分が黒の毛皮に覆われてはいるものの、華奢な体型の紅顔の美少年であるクロイさん。その今にも泣き出しそうな姿には、自分が悪くなくても罪悪感を持たされてしまう力がある。特に僕にとっては、自分の弟がもう少し小さかった頃の姿がどうしても重なって見えてしまうのだ。


「どこか打ちました? 傷は出来てないですか?」

「うん……たぶん、だいじょーぶ……」


 ハーフパンツとポンチョから覗く手足を確認したクロイさんは、指で目の縁を拭いながら言った。僕はひとまず安心する。


「アザもできてないみたいですね。よかった……。でも、派手にぶちまけちゃいましたね」

「あ~!」


 クロイさんはハッとしたように顔の両側に垂れた黒色の兎耳をピクリとさせ、飛び散った時計達を見渡した。


「わあああ! 時計くん達、ごめんねぇ! 僕がすぐ見てあげるからねぇ」


 クロイさんは慌てた様子でポンチョの内側から精密作業用の片眼ルーペを取り出し、黒い毛皮に覆われた赤い瞳の方に装着する。ポンチョからさらにいくつかの工具を引っ張り出すと、時計の裏蓋を開いて中をアレコレ点検し始める。


「よかったぁ。みんな大丈夫みたい~!」


 心底ホッとしたようにクロイさんは息を吐いた。僕は感心しながらクロイさんの手元を覗き込む。


「自分で見れるなんてすごいですね。クロイさんって時計屋さんだったんですね?」

「違うよ~。時計屋さんじゃないよぉ」

「え?」


 首を傾げる僕に、クロイさんは悪戯っ子のように笑う。


「うふふ! さて、僕は何屋さんでしょーか?」

「えー……? 時計、の……修理屋さん……?」

「ブッブー! 違いまぁす!」


 くすくす笑うクロイさんは結局、答えを教えてくれなかった。


 そのまま二人でフリーマーケットを始めたが、ほとんどの人がスペースの前を素通りで、立ち止まっていくつかの時計を吟味するような人も購入には至らず。


「ヒマだね~」

「そうですね」


 大きな欠伸をするクロイさんを横目に、今日の成果はないかもしれないなと僕が諦め始めたとき、クロイさんを訪ねてきた男性がいた。


「おい、クロイ! 一昨日にオマエから買ったこれ、故障したぞ! 買ったばっかりなのにもう動かねえ。どういうことだよ!」


 顔が普通とは上下逆についている男性――つまり、顎や口が上、髪や目が下についている人が、目を吊り上げて怒っていた。いや、この場合は「吊り下げて」というべきなのだろうか。騙し絵みたいで、頭の処理が追いつかない。


「ほんとぉ?」


 怒鳴り散らす男性にもクロイさんは慌てる様子はなく、男性から少年漫画誌ほどの大きさの壁掛け時計を受け取って調べ始めた。けれども、裏蓋を開けて少し中を見ただけで、すぐにそれを返してしまう。


「ただの電池切れだね~」

「電池なら入れ替えたぞ!」

「だめだめぇ。僕の時計くんには専用の電池が必要なんだもん。説明したでしょ~?」


 クロイさんはリヤカーに積んだままにしてあったキャリーケースを下ろすと、中から単一電池が五個パックになったものを取り出した。電池の一つ一つに、カタカナの「ク」を丸で囲ったロゴが描かれている。


「クロイ印のオリジナル電池ぃ! 五個セットで五百万円! お買い得だよ~!」


(ええええええ!)


 内心で驚嘆の声を上げる僕をよそに、クロイさんは無邪気に笑っている。さすがにその値付けはないだろうと僕は思ったが、顔が上下逆についた男性は苦々しげに顔を歪めたものの、懐から取り出した五つの札束を投げ捨て、クロイさんから電池をひったくるようにして去っていった。


「まいどぉ!」


 クロイさんは子供らしい無垢の笑顔のまま、手を振って男性を見送る。僕は恐々とその横顔を見つめた。そういえば、この前見た会計資料でも、クロイさんの一回の取引額はかなり高額だったことを今更ながらに思い出す。


 月影町と外の普通の街とで、物価にそれほど変わりはないはずだ。さっき象子さんから買ったマスコットや、月影町の表通りの飲食店の看板に書かれた価格帯はそんなにおかしいものではなかった。でも、獅子ヶ原さんを嵌めた時みたいに、何かよからぬことが絡んでくる場合には高額なお金が絡んでくるのだろう。


 であれば、クロイさんは今、いったい何を売ったのか?


 なるほど、時計を売るだけではなく、その電池をオリジナル仕様にすることでクロイさんから電池を買わざるを得なくする。そうすれば、客を囲い込むことができる。でも、それなら、あのお客さんは普通の時計を買い直せばいいだけだ。こんなに電池代でぼったくられるなら尚更。


 クロイさんが売った、あの電池みたいなものはいったい何なのだろう?


 日が傾いてきた。僕とクロイさんや、公園を行きかう人達の影が長く伸びている。月影町の子供達に帰宅時間を知らせるためだろうか、聞いたことのないメロディで鐘の音が鳴った。フリーマーケットの参加者たちも、店をしまい始める。


「僕達も、もうおしまいにするぅ?」

「はい……そうですね」

「あ~あ。今日はぜんぜん売れなかったから、全部作業場に連れて帰らないとダメかぁ……。今日こそいっぱい売れると思ったのに~! 重たいのはヤダなぁ」


 肩を落とすクロイさんに、僕は思い切って提案する。


「あの、よかったら運ぶの手伝いますよ?」

「え~、ホントに優しいんだねぇ、誠児くん。ありがとぉ!」

「いえいえ」


 銭亀さんが注意するだけあって、この人はやはり得体が知れない。もう少し調べる必要があるみたいだ。

 無邪気な笑顔のクロイさんに、僕は出来る限り自然になるように微笑みを返した。

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