2-8 兎少年の作業場
クロイさんの作業場は月影町の外れにある、年代物の二階建ての建物だった。一階は店舗兼作業場、二階が住居になっているようで、木とトタンでできた建物は汚れや錆が目立っていた。
「僕の『クロイ・タイム・ショップ』だよぉ!」
確かに、建物の正面に掲げられた看板には、消えかけた文字でそう書かれている。
クロイさんは一階の大きな引き戸の前にリアカーを付けると、鍵を回して戸を開けた。クロイさんと一緒に運んできた商品を抱えて建物内に入ると、中は思ったよりも広い印象だった。
手前の店舗スペースでは、埃を被ったガラスのショーケースの中にたくさんの時計が並んでいる。奥の作業スペースには旋盤装置やプレス機などの装置群が置かれている他、たくさんの木材や鋼材や樹脂材、それらの切れ端、工具箱や投げ出されたペンチ・ドライバー・トンカチなどが散乱していた。その向こう側に見える扉の先には別の作業スペースもあるようだった。部屋の端には二階へ上がるための段差の大きな階段も設置されている。
「あぁあ~。僕もうダメぇ。疲れて動けないよぉ」
クロイさんは店の隅に置かれていたスツールに腰掛けると、ガックリと項垂れてしまう。仕方がないので、僕はクロイさんに訊きながらリヤカーで持ち帰ってきた商品を店内に片付けていった。
(なんか……僕……いいように使われてる?)
何かがカラカラとリズミカルに回転しているような、同時にギリギリと軋むような音や、ヴーンという低音が室内に響いていた。でも、周りを見渡してもその音の元はわからない。
「あ、あの……クロイさんも片付けしてくれませんか? あと、さっきから変な音が……」
「あ、そうだ。お菓子! ねえねえ、誠児くん、お菓子食べたいよね? 僕持ってくるね~!」
「え、ちょ、ちょっと、クロイさん!」
「あ~、忙しい忙しい~!」
突然飛び起きたクロイさんは、脱兎の勢いで部屋の隅にある階段を昇っていってしまう。
(動けないんじゃなかったの……! お菓子を取りに行くくらいなら、荷物の片づけをやってほしいんだけど……)
でも、これはチャンスかもしれない。ここには津守屋さんに関する資料があるのかもしれないのだから。見たところ、この部屋にはファイル類はない様子だから、あるとすれぱあの扉の向こうの部屋かもしれない。それにしても、ずっと聞こえてくるカラカラ、ギリギリ、ヴーンと鳴る音が気になるのだけど……。
僕は、申し訳ないと思いつつ、部屋の隅にある立て付けの悪い木製ドアをそっと引いた。幸い鍵はかかっていなかった。さっきから聞こえ続けている音が大きくなると同時に、埃臭さやカビ臭さ、油や薬品の臭いが混ざったものが漂い出て頭がクラッとした。僕は鼻をつまみながら足音を潜めて部屋の中に入る。
「おっと……!」
僕の背中のフードが棚から飛び出していた鋼材に引っ掛かってしまったようだ。鋼材を落とさないように気を付けてフードをはずしながら、僕は薄暗い室内を、歯抜けになったブラインドから漏れる光を頼りに進んでいく。
しかし、工具や機材が散乱した室内には、資料類は見当たらなかった。仕方なく、僕はカラカラ、ギリギリ、ヴーンと鳴る音の方を調べてみようかと、音の出本を探った。
「あれ……かな?」
たくさんのガラクタの中から、おそらく音源であろうものを僕は見つけた。
一つは何かの動力機械とおぼしきもの。それが起動してヴーンという低い唸り声をあげている。動力機械にはケーブルを介してプラスチックの箱が繋がっていて、箱の中を覗くと、さっきクロイさんが売っていた電池がいくつも並んでいた。
さらに動力機械の隣には木箱があり、両者の間に設置された金属製の歯車がギリギリと軋みながら動いていた。
カラカラいうのはその木箱からのようだ。三十センチ四方ほどの大きさの木箱には歯車を通す隙間とマッチ棒の先ほどの穴がいくつか開いていたが、他は密閉されている。しかし、上蓋は取り外しできるようだったので、僕はそっとそれを持ち上げた。
「え……」
僕は見えたものが信じられなくて絶句する。僕は箱の中にいた『人』と目が合ってしまった。
「た、助け、て……!」
箱の中の『人』は、息も絶え絶えに僕に向かってそう言った。
木箱の中には回し車があった。よくハムスターを飼っている人がゲージの中に設置しているものだ。ハムスターが中に入って走るとグルグル回る回転式遊具。
しかし、今、目の前のそれの中にいるのはハムスターではなく、ハムスターサイズの人間の男性だった。僕と目が合ったのはその人で、彼はひぃひぃと半泣きで回し車を走り続けていた。カラカラと鳴る正体はこれだったのだ。そして、回し車の回転により、歯車がギシギシと軋みながら回っている。
と――。
「うひゃっ!」
突然に点いた照明にビックリして僕は悲鳴をあげた。
「あー、鍵かけてたと思ったんだけどなぁ。駄目だよぉ、誠児くん、勝手に見ちゃあ!」
作業場の入り口に駄菓子を抱えたクロイさんが立っていた。クロイさんは顔の両脇に垂れた黒の兎耳を揺らしながらヒョコヒョコと走り寄ってくる。
「あの……ク、クロイさん……コレは……?」
「うふふふ! すっごいでしょー! 僕の発明!」
改めて十分な明るさの中で回し車を見ると、そこにいる小さな人に僕は見覚えがあった。
「津守屋積利さん……?」
それは銭亀さんに見せてもらった写真の人物と似ていた。でも、にこにこ銭亀ファイナンスで借金をした津守屋さんは普通の人間の大学生だったはずだ。どうしてこんなに小さいのか。それに、小さいせいで細部はよくわからないが、異様なほどにやつれているように見えた。
「これは……いったい……」
「僕のオリジナル電池充電装置だよっ! えっへん」
「充電……?」
「回し車でエネルギーを搾り取ってぇ、こっちの動力機械で変換して~、それから、クロイ印のオリジナル電池に充電する仕組みなんだぁ!」
「な、なんでそんなことに……津守屋さんを……? それに、どうしてこんなに小さく……」
小さな津守屋さんはとても苦しそうにしていて、回し車の中を走るというよりはおぼつかない足取りでふらふらと歩いて、ついには倒れ込んでしまう。
「く、苦しい……も、もう、無理……」
「も~。サボっちゃダメだって言ったじゃん!」
クロイさんは頬を膨らませ、近くに落ちていたリモコンを拾ってボタンを押す。すると、木箱の底面の一部が四角くパコンと外れ、中から真っ赤なドレスを着た人形が立ち上がった。その足元には夥しい量のトゲが生えたボール、手にはフラミンゴを模した杖を握っている。
「や、やめて! やめてくれぇぇぇぇ!」
津守屋さんらしき人が絶叫すると、赤いドレスの人形は足元のトゲボールをフラミンゴの杖で次々と打ち飛ばし始める。ボールは回し車の中の津守屋さんにヒットし続けた。津守屋さんは体を縮こめるようにして「ヒイィィィィ!」と悲鳴をあげながらうずくまる。
「クロイさん、なんですか、これ!」
僕が叫ぶ隣で、半身を黒の毛皮に覆われた紅顔の美少年は、無邪気に笑っていた。
「うふふふ! サボり対策なのぉ! すごいでしょ~」
「そんな……!」
「うふふふ! 面白~い! 楽し~い!」
心から楽しそうな様子に僕は寒気を覚える。
「やめてください……。こんな、ひどいこと!」
「え~」
クロイさんは不満げな顔を浮かべるだけで、赤いドレスの人形を止めようとはしなかった。僕は回し車の津守屋さんを庇うように手をかざす。
「痛……!」
トゲの生えたボールが次々と僕の指や手の甲に刺さった。僕でこれだけ痛いのだから、小さい津守屋さんはどれだけの怪我をしているのだろう。見れば、右足からかなりの量の血が出ている。
「も~。邪魔しないでよぉ! 誠児くんでも許さないよ~」
「でも、こんな酷いこと……」
「だってぇ、その人、僕から商品を買って……分割払いっていうのぉ? 毎月払うって約束したのに、払えないって言うから~。だから、代わりに充電してもらってるんだもん。サボったらお仕置きなの~!」
クロイさんはぷんすかと怒った表情を僕に見せる。
「津守屋さんは何を買ったんですか? それに充電って……?」
「この充電装置だとぉ、一回転で一時間の肉体年齢をしぼりとってぇ、それを動力機械で電池に充電して~、他の人に売るのぉ! これが僕の【手癖の悪い黒兎(ポケット・ウォッチ・チャージャー)】なんだ!」
いったい何なんだ。何を言っているんだ、この人は。
「でもぉ、確かにその人はもう限界かも~。そろそろ別の人に取り替えた方がいいのかもなぁ」
そう言うと、クロイさんはポンチョの中からスタンガンのようなものを取り出した。
「これはねぇ、尨毛さんが買ってくれたの~。人をちっちゃくしたりおっきくしたりする機械なんだってぇ。あの充電器にセットするにはハムちゃんサイズにしないといけないもんねぇ」
クロイさんは回し車から津守屋さんを木箱の外に取り出すと、そのスタンガンをあてる。途端に、ハムスター大だった津守屋さんが人間のサイズになった。でも、服はボロボロで体は痩せ細り、大学生のはずなのに皺も白髪も増えて、老けたおじさんのような外見になっていた。疲労のためか、ゼエゼエ息をするだけで動くこともできない様子だ。
僕は目の前のことに圧倒されて、体が硬直してしまう。
「じゃ、この人の代わりに誠児くん、よろしくね~」
にこにこと子供のように笑うクロイさんが、スタンガンを構えて僕に近づいてくる。
「え! ちょっ、ええっ!」
僕は慌てて後ずさって距離を取った。
「ぼ、僕に津守屋さんの代わりにあの中に入れってことですか!」
「うん、そ~!」
「いやいやいや! 津守屋さんは商品代が払えなかったからアレに入れられたんでしょう? 僕は関係ないじゃないですか!」
「えー、だってぇ、電池を買いたいって人がいっぱいいるんだもん! 誠児くん、優しいから手伝ってよぉ」
「いやいや、無理です!」
詳しいことはわからないが、とにかく、あれに入れられるのは危険に違いない。僕は慌ててドアに向かって駆け出した。
しかし、足元の何かにつまずいて転んだ上、その足に縄が絡み付いて動けなくなってしまう。
「うふふふ! トラップだよ~。僕の作業場にはこういうのがいくつもあるの~!」
おもちゃで遊ぶ子供みたいに、クロイさんは楽しそうに笑った。僕の足に巻き付いた縄は引っ張ってもびくともせず、縄目も複雑すぎてほどけない。
「それにさ~、津守屋って人を閉じ込めてたこと、真桜子ちゃんにバレるのはなんだかよくないみたいだし~。誠児くんを閉じ込めたらぁ、一石二猫……だっけぇ? 二熊? ま、いっかぁ」
クロイさんのスタンガンが僕の首元に近付けられた。
「ひいいいいい!」
これってもしかして、絶体絶命というやつだろうか。
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