1-3 彼女達の裏稼業

 異様な姿の人々が行き交う表通りから細い道に入りこみ、奥まった場所に立つ四階建ての雑居ビルに僕は連れてこられた。煉瓦色のタイルが貼られた外壁に木枠の窓が嵌った古風な建物には、蔦が絡まっていた。


「ここの三階だよ」


 そう言うと、銭亀さんは繋いでいた僕の手をパッと放し、エントランスに続く階段を駆け上がった。


 僕は彼女のぬくもりが残る片手をじっと見つめてみる。なんというか、動悸が激しくて、お尻のあたりがむずむずするような落ち着かない気分になる。


「どうしたの、誠児くん。おいでよ」

「う、うん……!」


 僕はハッとして、階段から不思議そうな表情で僕を見る銭亀さんを慌てて追いかけた。



「省エネだからね」と言って、銭亀さんはエレベーターではなく薄暗い階段室を使って三階まで上がった。三階フロアでは、廊下に面したいくつかの扉が僕達を出迎えてくれたが、そのうちの一つには立派な表札と看板が掲げられていた。


 表札曰くは「にこにこ銭亀ファイナンス」。看板には制服姿のOL風のイラストが描かれており、彼女から出ているフキダシには「審査不要!」「即日融資!」「新規事業:人材派遣業開始!」「危険作業への人材派遣承ります!」などのセリフがポップなフォントで書かれていた。


「あ、あの……」


 入り口からして漂う悪徳な雰囲気に気圧され、僕は恐る恐る銭亀さんの顔を覗き込む。


「あの、こ、ここって、銭亀さんのご実家か何か……?」

「え? うちはうちだよ」


 赤い瞳の目を細めながら銭亀さんは優しく微笑み、扉を開けた。


「まあ入りなよ。悪いようにはしないからさ。誠児くん、お金のことで悩んでいるんでしょ?」


 美しく整った顔に浮かべられた天女のような――あるいは悪魔のような微笑み。僕は再び動悸が激しくなった心臓を押さえつつ、数秒迷った後、結局その扉をくぐった。


 扉の中は小さな事務所だった。


 扉のすぐ傍には、ローテーブルを挟んで来客用と思われる黒の革張りのソファが向かい合って置かれている。その奥の窓の前にはドラマの社長室で見るような立派な机のセットがあり、さらに間仕切りの向こうにはパソコンや電話の並んだシンプルな事務机がいくつか並んでいた。そして、来客用ソファの上に一人、事務机のところに一人、女の子が座っている。


 来客用黒革ソファの上に座っていた女の子が銭亀さんの方を向き、ふにゃりと表情を崩して笑った。


「あれ、真桜子ちゃん社長~、おかえりぃ!」


 銭亀さんと同じく赤みがかった瞳を持った女の子だった。髪は水色と黒のツートンになっていたが、プリン状に染め残された部分を見るにおそらくは染めたものなのだろう。パステルカラーを多用した、ふわふわとファンシーな雰囲気の洋服を着ていて、年は僕や銭亀さんと同じくらいに見えた。


「その男の子はだぁれー?」


 僕を見て首を傾げた水色髪の女の子に、銭亀さんはふわりと微笑んだ。


「小野寺誠児くん。ブバルディア高等部の一年生なんだよ。つまり、わたしの後輩」

「え?」


 僕がびっくりして見つめ返すと、一度怪訝そうな顔をした銭亀さんが「ああ」と唸る。


「言ってなかったっけ? わたし、ブバルディアの三年生なんだよ。通信教育部だけどね」


 そうか、だからうちの制服を着ているのかと僕は納得する。通信教育部には社会人の生徒も多いというけれど、まさか、銭亀さんは二十歳を超えていることはないだろう。とはいえ、僕より年上には違いないのだから、今さらだけど、きちんとした言葉遣いをしなければ……。


 そんな僕の心を読んだように、銭亀さんは赤い瞳を僕に向けながら言う。


「敬語は無しでいいからね。わたしと誠児くんの仲だからさ」

「え、でも……」

「わたしがいいって言ってるんだから、いいでしょ。違う?」

「う、うん……」


 僕が頷くと満足げに笑い、銭亀さんは視線を水色髪の子に移した。


「というわけで、誠児くんと仲良くしてあげてね、芽衣」

「うん。よろしくね、誠児っち!」


 芽衣と呼ばれた水色髪の女の子は、にへらと脱力した笑みを僕に向けてくれた。僕はきちんと挨拶を返さなければと、彼女の方に体を向ける。


 そこで僕は息が止まりそうになった。


 水色髪の子は超ミニ丈のスカートを履いているのにも関わらず、ソファの上に胡坐をかいており、生っ白い太ももと見えてはいけない衣料が絶妙な角度で見えていたのだ。僕は困って銭亀さんに視線をやった。


 けれども、僕が水色髪の女の子から視線をずらした理由はそれだけではない。明らかにおかしい点がもう一つあったからだ。


「あの……そ、その子、う、腕が……!」


 水色髪の女の子の右腕が、上腕で綺麗に二つに切断されていた。しかも、切られたばかりなのか、シャツの片袖が鮮やかな赤色に汚れている。その上、彼女から切り取られたと思しき右腕(手の付いている側)は、ソファの上に何気なく投げ出されていたのだ。


 なのに、その子自身も銭亀さんも全く慌てた素振りを見せない。


「あー、芽衣、派手にやられたね。今日は肉切り包丁のキリヤさんとこに行ってたんだっけ。大丈夫?」

「うんー! 二、三時間も押せえておけば元通りだからぁ。ちゃんと利息もぶんどってきたしー」


(そ、そんなバカな……)


 顔を引き攣らせる僕のことは目に入らぬ気に、銭亀さんは「それならよかった」と微笑む。一方の水色髪の女の子は、大丈夫な方の手でスカートのポケットから何枚もの紙幣を取り出すと、それを銭亀さんに差し出した。慣れた手つきでその紙幣を数えた銭亀さんは何枚かを水色髪の手に戻し、残りは自分の懐に入れた。それから、水色髪の子に近付き、彼女の頭を抱きかかえると、その水色と黒の混じった髪を優しく撫でる。


「芽衣、お疲れ様。いつもありがとう」

「にひひひ~」


 水色髪の女の子は銭亀さんの胸元にもたれ掛かりながら、気持ちよさそうに目を細めた。


「今日はしばらく休んでいていいからね」

「やったあ!」


 銭亀さんが離れると、水色髪の女の子はソファの上を飛び跳ねながら、真っ赤に染まった方のシャツの袖をめくり上げた。そして、ソファーの上に放り出されていた腕を片手で拾うと、その切断面を上腕の切断面にあてがったのだ。舌なめずりしながら恍惚とした表情で、腕がくっつくのを待ってでもいるように、水色髪の女の子は傷口の境界線を見つめている。


 僕はどう反応していいのか困って銭亀さんの顔を覗くが、彼女は真っ赤な唇を吊り上げて微笑んだだけだった。それから、慣れた様子で奥にある社長机とセットになったふかふかの椅子に深く腰掛けて、脚を組む。制服を着た女子高生がそんなことをしても違和感がありそうなものなのに、銭亀さんの場合は不思議と様になって見えた。


「瑠奈の方はどう?」


 背もたれに体を預けながら、銭亀さんは衝立の向こうに問い掛けた。すると、事務机に座っていたもう一人の女の子が立ち上がって答える。


「予定通り、三件分回収して参りました」

「さすが、瑠奈! 仕事が早いね」

「私の回収分はパソコンに入力しておきました。芽衣さんの分も入力致しますか?」

「いや。芽衣の分はわたしが後で入れておくからいいよ」

「承知しました」


 丁寧な言葉遣いで受け答えする女の子が衝立の向こう側から静かに現れる。


 いわゆるゴシック・ロリータの黒いドレスを着用した女の子で、やはり僕と同じくらいの年齢に見えた。身に付けている衣服はドレスもヘッドドレスも靴下も見事なフリルとリボンで飾り立てられている。特にドレスの幅広の袖は豪華な装飾で、中にあるはずの手が見えない程の大振り袖だった。短い髪はプラチナブロンドに染められていて、人形みたいに怜悧に整った面立ちを美しく縁取っている。


「小野寺さんは借り入れ希望の方なのですか?」


 銭亀さんと水色髪の子のように赤みの強い瞳を僕に向けながら、ゴスロリドレスの女の子は無表情のまま、小さく首を横に傾げた。銭亀さんは赤い唇を歪めて不敵に笑う。


「フフフフフ! 二人とも、獅子ヶ原さんの案件は覚えてる?」

「何だっけぇ?」


 水色髪の子が首を大きく傾げると、ゴスロリの子が口を開いた。


「獅子ヶ原さんのところへ派遣していた債務者が飛んでしまったお話ですね」

「そう。まったく、あの野郎どこまで逃げたんだろう。瑠奈の『鼻』でも居所が追えないなんて……」

「申し訳ありません」


 無表情のまま頭を下げるゴスロリの女の子に、銭亀さんは慌てて首を横に振った。


「あ、いいのいいの。全然瑠奈の責任じゃないんだから! とにかく、そいつがバックれやがったから、新しい働き手を調達しなきゃいけなくなっちゃって、いい人がいないか探してたって話」


 銭亀さんの言葉を聞いて、水色髪の子がソファの上に投げ出した足をバタつかせた。


「あ、あ、あ! それなら、うちもちゃんと覚えてるもんー。でもでもー、うち担当

のどん詰まりな債務者は、この前、全員出稼ぎとかに送ったばっかりだしー、うちのとこから人出せないなぁって思ってぇ……そしたら油断して頭の奥にしまって出てこなかっただけなのー!」


 それって結局覚えてなかったってことでは?


「私の担当にも、いいカモ――いいえ、候補者がいなかったのです」


 ゴスロリの子が僅かに眉間に皺を寄せて、残念そうな顔をする。

 と、銭亀さんは真っ赤な唇を歪めて、悪魔のような顔でニヤリと笑った。


「そこで、この小野寺誠児くんが出てくるわけ」

「へ……?」


 突然、銭亀さんに指を刺された上に、二人の女の子の視線が向けられた僕は狼狽する。


「誠児くんは早急にお金が必要らしいんだよね」


 銭亀さんの言葉に、女子二人が「なるほど」と頷いた。


「というわけで、誠児くん、お互いの利害が一致したね」


 ニコニコと、銭亀さんは赤い目を細めて嬉しそうに微笑んだ。


「あ、あの……」


 僕はおずおずと声を洩らす。今までの状況や会話を聞く限り、ここはいわゆるサラ金か、あるいはもっとタチの悪い金融業者なのだろう。ということは――。


「ぼ、僕が必要なお金をここで借りて、その借金のカタにどこかに売られるってこと……?」


 僕の言葉を聞いた銭亀さんは一瞬キョトンとした表情になり、すぐに吹き出して豪快に笑い始めた。


「アハハハハ! いくらわたしでも、昔からの知り合いにそんなことするほど悪者じゃないよ。誠児くんがうちの金利で借りたら、一生借金返済に明け暮れることになるって」


 そう言って手を銭亀さんはひらひらと振る。


「うちは見てのとおりの金融業でね、借金がどうしても返せなくなった債務者には『優良な働き先』を紹介してあげるために、人材派遣業も始めたの。で、獅子ヶ原さんのお店は派遣先の一つなんだけど……」

「獅子ヶ原さんからの依頼は普通の人間を一名派遣してほしい、というものでした」


 銭亀さんの言葉を受けて説明してくれたゴスロリの子の言葉に、僕は引っ掛かりを覚える。


(普通の人間……とは……一体……)


 言葉の意味の曖昧さに、僕は頭がクラクラした。


「誠児くんはその条件にぴったり! だからね、誠児くんがよければ獅子ヶ原さんのところに行ってほしいんだ。土日の十三時から十七時までの四時間で、なんと時給は一万円! この土日だけでも必要な額の大半を稼ぐことができるよ」


 そう言うと、銭亀さんは一旦言葉を区切り、真っ赤な唇を歪めて悪魔のように美しい微笑みを浮かべた。


「ま、弊社からお金を借りてもらってもいいんだけどね……」

「いいえ!」


 僕は反射的に返答していた。


「せ、精一杯働かせてもらいます!」


 僕の半分裏返った声に、女子三人はニヤリと、やはり悪魔のような顔で笑った。


「じゃ、この人材派遣用の契約書にサインしてね!」



 契約書におっかなびっくりサインを終えた僕に、銭亀さんはご機嫌な笑顔を見せた。


「よろしく頼むよ、誠児くん。期待してるからね。あ、改めて自己紹介すると、わたしはこの『にこにこ銭亀ファイナンス』の社長、銭亀真桜子」

「うちはぁ、菜摘なつみ芽衣めいって名前。趣味はお洋服とか小物とかを作ることー!」


 水色髪の菜摘さんはそう言って、緩んだ笑顔を浮かべた。


「私は黒蜜くろみつ瑠奈るなと申します。芽衣さんと共に債権回収業務を担当しています」


 プラチナ・ブロンドでゴスロリファッションの黒蜜さんはそう言うと、無表情ではあるものの、丁寧にお辞儀をした。


「弊社はこの有能な三人で運営する超優良企業だから、誠児くんも安心してお仕事できるからね」


 得意げに胸を反らす銭亀さんに、僕は一抹の不安を覚える。


「あ、あの……大人の人とかはいない会社なの?」


 僕の言葉に、女子三人は顔を見合わせた。


「大人かぁ……別にいないよねぇ?」

「債務者とか、取引先とかには成人した人もご老人もいるけどね」

「この会社に成人がいなくて困ったことは今までありませんでしたね」


 大人がいなくても、会社などというものを経営していいものなのだろうか。というか、その前に、そもそもこのデタラメさを見せつけるような街は何なのだという話だ。さっき会ったライオンぽい人しかり、未だに、切り取られた腕を切断面にあてがっている菜摘さんしかり。それに比べれば、大人がどうのこうの程度の一般常識に拘ることには意味がないように思えた。


「ねえ。この街は一体なんなの? なんか、なんか、とてつもなく変だよ……!」


 僕が弱く呟くように問いかけると、黒蜜さんは無表情のまますっと赤い目を細め、菜摘さんはだらしのない笑顔をさらに歪めて笑い、銭亀さんは血を吸ったようにぬらぬらと輝く唇の端を吊り上げて微笑んだ。


「ここは月影町。都内にある、普通とは少し違う街ってだけだよ」


 赤い唇から覗く牙のような八重歯が一瞬、禍々しく光ったように見えた。けれども、銭亀さんはすぐに人懐っこい笑顔に戻る。


「じゃあ、時間もないし、さっそく獅子ヶ原さんのとこにご挨拶に行こうか」

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