5-5 潜入と調査

 僕はまだ「月影町通行許可証」を返却していないから、月影町には自由に出入りすることが出来る。


 そんな僕がまず向かったのは、中華料理屋・木槿楼の月影町一号店だった。尨毛さんの会社が経営する中華風レストランで、リーズナブルな価格帯で美味しい料理が提供されることから、月影町内に三店舗展開している人気店だ。尨毛さんはこの他にも、ファミリーレストランや大衆居酒屋など多くの飲食店を経営しているが、僕がなぜこの店にやって来たのかというと、「アルバイト募集」の張り紙を出していたからだ。


 なんとか内部に入り込んで、尨毛さんの情報を引っ張り出せないものだろうか。差し当たって僕に出来るのは、そういう潜入調査だろうと思ったのだ。


 バイト募集の張り紙に書かれていた採用担当者の連絡先に電話してみると、その日のうちに面接をしてくれることになった。


 てっきり採用面接は店長さんがするのだろうと思っていたのに、指定時間にお店を行ったら、そこにいたのが尨毛さん本人だったものだから、僕は内心でギョッとした。でも、それを表に出さないように、僕は必死に「にこにこ銭亀ファイナンス」で覚えた営業スマイルを顔に張り付ける。


「小野寺誠児です。よろしくお願いします」

「小野寺くん……ふうん? あなた、人間よねえ?」


 狐と狗の間くらいな獣人型の尨毛さんは、白から銀灰色へとグラデーションを描く毛皮を全身に纏い、艶やかな赤の着物を身に着けていた。値踏みするように僕を睨む銀色の瞳や、口から覗く鋭い犬歯は恐ろしかったが、僕は唾を飲み込んで笑顔を作り続ける。


「はい、そうです。でも、通行許可証は持ってますし、仕事は一生懸命やります」

「へえ……銭亀真桜子の事務所で働いていた時みたいにがんばってくれるってわけ? あの会社、潰れたそうねえ? 何かあったのかしら?」

「え……」


 犬歯を覗かせながらニヤニヤと笑う尨毛さんの姿に、僕は一瞬、腸が煮えくり返りそうになったが、懸命にそれを飲み込んだ。


「えっと、そうですね……。今まで働いてた会社が潰れてお金を稼げなくなっちゃったので、僕、新しいバイト先を探しているんです。張り紙に『短期バイトも応相談』と書いてあったので、できれば夏休み期間中にまとめて働ければと思いまして……」

「ふうん……?」

「なんとかこちらで雇って頂けないでしょうか?」

「まあ……考えてみてもいいけどねえ……?」


 勿体ぶるように言ってから、ニヤリと尨毛さんは笑った。


「実はうちの系列店でね、もっといい条件のアルバイトがあるのよ。最低時給はざっとここの二倍なの。しかも、働きぶり次第で時給はどんどん上がるのよ? どう? 興味ない?」

「え……二倍以上は確実ってことですか……?」


 甘い話にはその分のリスクが伴う。にこにこ銭亀ファイナンスで僕が骨身に染みて実感したことだ。

 だいたい、尨毛さんは半死人だとか人間だとかを嫌っていたはずで、そんな条件のいい仕事にわざわざ僕みたいな人間を雇うわけがない。だから、これには絶対に何か裏がある。


 でも、僕はその裏を探るためにここに来た。だから、答えは一つだ。


「いいんですか? 僕、お金がなくて困っていて。是非お願いします!」

「じゃあ決まりね。職場を紹介するから、ついていらっしゃい」


 僕は中華料理屋・木槿楼を出て、含み笑いをする尨毛さんについていった。



「なんで……こんなことに……」


 僕は目の前に広がる光景に目眩を覚えていた。


 黒を基調にしたモダンなインテリアで統一された店内は薄暗い間接照明に照らされ、多くのボックス席が並んでいる。そのボックス席には、着飾った月影町のマダム達が座り、驚くことに、その傍らでマダム達にお酒を注いでいるのは派手な髪にスーツを纏った「普通の人間」の男の子達だった。


「もしかして、ここは……ホストクラブ、ですか?」

「ええ、そうよ。わたしが経営してる店舗の一つ。月影町の有閑婦人達の社交場ね」


 僕の隣に立つ尨毛さんは誇らしげに微笑む。


「この街では『普通の人間』が珍しいじゃない? 可愛いと思っている住人も多いっていうデータもあったから、『人間のホスト』をコンセプトにお店を作ったの。スカウトとか有名店からの引き抜きとかにはかなり投資したけど、でも、わたしの狙い通りに繁盛してくれたわ」

「でも、その……尨毛さんは人間のことをあんまり……」

「ええ、そうよ。わたしは人間がキライ。でも、お金の種になるものについては冷静に判断するわ」


 圧倒される僕を、長身の尨毛さんは見下ろしながら言う。


「今日からこの店でのあなたの名前は『真琴』よ。がんばって頂戴ね」

「えええー! ぼ、僕もホストをするってことですか!」

「当たり前でしょ。そんな格好しておいて、コックでもすると思ってたわけ?」


 そうなのだ。なぜか店に着いたら「これがここの制服みたいなものだから」とスーツを着せれ、髪は毛先を遊ばされた状態で整髪料によりガッチガチに固められ、「なんだろう、これは?」と思ってはいたのだ。


「あなた、お金を稼ぎたいんでしょう? なら、頑張って頂戴。わたしもこのお店には力を入れていて、最近は週に何度も顔を出しているのよ」

「そうなんですか……」


 ホストの仕事なんて不安だけど、ここなら尨毛さんとの接点を作りやすそうでもある。


「わかりました、頑張ります」

「いい覚悟ね。じゃあ、早速行きましょう」


 僕は尨毛さんに連れられて、とある席のご婦人の元へ向かった。その女性は店内で一番広いシートでたくさんのホスト達に囲まれ、テーブルの上にはグラスとフルーツの盛り合わせが敷き詰められていた。


久地酒くちさけさん、新人の子を紹介してもいいかしら?」

「あら、尨毛さん、ごきげんよう。新人って、その子?」

「ええ。真琴くん。まだ十五歳なのよ」

「あらあ、食べちゃいたいくらい可愛いわねえ」


(シャ、シャレになってない……!)


 にっこりと微笑む久地酒さんの唇は、頬から耳の近くまでが裂けていた。前歯から奥歯までの乱杭歯や歯茎、はみ出した頬肉までが丸見えで、僕は笑顔が引き攣りそうになる。


 でも、そこは「にこにこ銭亀ファイナンス」で鍛えられた僕だ。ニッコリ笑ってお辞儀をすることが出来た。


「初めまして……えっと……真琴です。よろしくお願いします」

「わたし、若い男の子大好きよ。ここにお座りなさい」


 久地酒さんは自分の右隣のシートの隙間を叩いた。でも、それまで彼女の右隣にいた男の人が、不機嫌そうに僕を睨んだ。他の男の人達も不審そうな目で僕を見る。


 僕は気後れして、本当に久地酒さんの隣に座っていいのか迷っていると、彼女の左隣に座っていた金髪の男性が明るい声で笑った。


「アハハ! 久地酒さん、いきなりポッと出の男の子に優しくたらダメだよ。ここにいるみんな、久地酒さんのことが大好きだから、嫉妬しちゃってるよ?」

「あら、そうなの、楓くん?」

「本当だって。みんなだけじゃないよ。僕も嫉妬してる」


 楓さんというらしい金髪男性の言葉に、久地酒さんは嬉しそうに笑った。


「みんな、ごめんなさいね、気付かなくって。尨毛さん、みんなにドンペリふるまってあげて」

「すぐに用意させますわ」


 尨毛さんのサインに従い、すぐにボトルとグラスが黒服を着たカエル風の外見の従業員によって運ばれてくる。僕はそのどさくさにまぎれて、ボックス席の端っこに座った。


「真琴くんも飲んでいいのよ」

「い、いえ、その……僕は未成年なので……」

「あら、残念。飲まないの? でも、そんなところも可愛いわね。じゃあ、真琴くんにはオレンジジュースを出してあげて」

「あ、ありがとうございます」


 搾りたてのフレッシュジュースをちびちびと啜りながら、僕は店内の様子を観察した。どうやらこの久地酒さんという女性は上客であるらしく、尨毛さんは店内のあちこちへ挨拶に回りつつ、かなりの頻度で彼女に気を配っているように見えた。


 そして、久地酒さんとホストの人達の会話から、金髪ホストの楓さんはこの店のナンバーワンの売れっ子であることもわかった。楓さんは美しい容姿だけでなく、話の聞き方や回し方も上手なうえ、肝もかなり据わっているようだ。


「このワイン、美味しいわね」


 ドンペリを飲み終わって、次に赤ワインを飲み始めた久地酒さんだったが、奥歯の隙間から結構な量のワインが零れ落ちていた。それはまるで裂けた口から血が染み出しているような禍々しい光景であり、しかも、その裂けた口を鰐のようにガバリと大きく開け、太くて長いイボだらけの舌でベロリと舐めまわして口の周りからあふれた赤ワインを拭ったのだ。


 さすがのホスト達も、笑顔が引き攣り気味だったが、ただ一人、楓さんだけは涼し気な笑顔を崩さなかった。


「さすが、久地酒さんは素敵な飲みっぷりだなあ。見てたら僕ももっと飲みたくなってきちゃった。ねえ、飲んでもいい?」

「あらあ、そう? 楓くんにもう一杯出してあげて」

「でも、僕、ちょっと酔っぱらってきちゃったかも」

「ちょっと、楓くんったらぁ」


 グラスを傾けた楓さんがニコニコしながら久地酒さんの肩に頭をもたれかけると、久地酒さんは幸せそうに笑った。


 店に出ている間中、楓さんのその爽やかな笑顔は変わらなかった。



 なんとかホストの仕事を終えてロッカールームに帰って来た僕が、精神的な疲れのせいか三十分ほど呆けている間に、他のホストの皆さんは着替えを終えて次々と帰っていった。遅ればせながら、僕もスーツを脱いで荷物をまとめて部屋を出ると、丁度尨毛さんと廊下でかち合った。


「真琴くん、楓くんを見なかったかしら?」

「え……もうロッカールームには誰もいませんでしたよ」

「じゃあ、きっと喫煙所ね。事務所に顔を出すように伝えてきてるれる?」

「わかりました」


 喫煙所は廊下の先にある。喫煙所に設けられた窓から中を覗くと、楓さんはもう一人のホストの人と談笑しているところだった。


「あ~、クソ疲れた」

「でも、楓さん、さすがっすよね。あの口裂けおばさんとも全然普通に話してるじゃないっすか」

「いや、マジきついって。こんだけ金もらえてなきゃ、絶対無理。マジキモイもん」

「ハハハ。ま、そうっすよね」

「でも、やることは変わんねえよ。出せるだけ出させる。搾り取るだけ搾り取る。誠実っぽいフリ、色恋営業、ノルマの脅しとか、女のフェーズに合わせて着実に積み上げてくだけ」

「楓さんって、普通の人間の女相手にホストやってる時、何人、風呂屋に沈めて来たんすか?」

「さー? 女がどうやって金作ってくるのかとか、オレ、興味ないし~」

「マジ鬼畜っすね、楓さん。ハハハ!」


(風呂屋ってなんだろう……?)


 ところどころ意味の分からない部分はあったけど、あまり聞いてはいけない会話であろうことはわかった。楓さんは店で見せていたのとは違う、シニカルな笑みを浮かべていたから。僕は喫煙所から少し離れたところで二人が出てくるのを待つことにした。


 喫煙所を出てきた楓さんは元の爽やかな笑顔になっていた。


「あれ、真琴くん、どうしたの?」

「あ、楓さん。尨毛さんが事務所に顔を出してって言ってましたよ」

「わざわざ僕を探してくれてたの? ありがとう!」


 楓さんは帰宅するもう一人のホストの人と別れて、尨毛さんのいる部屋に向かう。僕はその背中を見送りながら、妙に感心した気持ちになっていた。


(こういうのも、プロってことなんだろうな……)


 ふと、さっきまで楓さん達のいた喫煙所の中を覗いてみると、繊細な飾りが彫られた金属製のライターケースが置かれていた。さっき覗いた時、楓さんが手に持っていたものに似ている。届けた方がいいだろうと思った僕は、それを持って尨毛さんと楓さんがいるはずの部屋に近寄る。扉は薄く開いていた。


(入っちゃってもいいかな?)


 僕はそっと扉の中を覗いた。そして、僕は信じられない光景を見――



 なんとかホストの仕事を終えてロッカールームに帰って来た僕が、精神的な疲れのせいか三十分――いや、気が付けば一時間以上も呆けていたみたいだ。他のホストの皆さんはすでに着替えを終えて帰ってしまったようだった。遅ればせながら、僕もスーツを脱いで荷物をまとめて部屋を出る。


「なんか……変な感じが……?」


 なんとも言えない、奇妙な違和感が僕の全身を覆っていた。でも、その原因が何なのかはまったく見当がつかない。


「すごく気持ち悪い感じがする……」


 廊下の先には喫煙所が設けられている。ガラス窓からは楓さんの姿が見えて、僕がお辞儀をすると、涼し気な笑顔と共に手を振ってくれた。


(でも、きっとあれも作り笑顔なんだろうな。さすがプロって感じ)


 そう思った後で、僕は首を捻る。


(あれ? なんでそんな風に思うんだろう? 今日の楓さん、ずっとニコニコ爽やかに笑ってる姿しか見てないのに)


 腑に落ちないことだらけで、僕は首を傾げながら家路に就いた。

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