3-6 本当の友達

「みんなぁ、ただいま~!」


 殊更に明るい声で菜摘さんが言った。場所は月影町の外、年配の人達が「若者の街」と呼ぶ街の、どこにでもあるファストフード店の中だ。


「おかえり、芽衣~!」

「待ってたぜ!」

「で、金は手に入ったの?」


 ハンバーガーやポテトを頬張りながら菜摘さんを出迎えたのは、例のギャル・ギャル男風の人達――「菜摘さんの友達」の皆さんだ。僕は菜摘さんに見つからないように後をつけてこの店に辿り着き、今もこっそりと近めの席について様子を窺っている。


「持ってきたよ~! ちょっと色々タイヘンだったけどぉ……。でも、お金はちゃーんとあるから、見て見て~!」


 菜摘さんは体を傾け、モコモコしたパーカーのファンシーな形状のポケットを彼ら彼女らに向かって差し出してみせた。事務所から持ち出した――横領したと言ってもいいんだろうけど――お札がそこに入っているのだ。

 なぜ手渡さないのかと言えば、おそらくまだ右腕が繋がっていないからだろう。パーカーの上から右腕の切断個所を押さえる左手を離せないでいるみたいだ。


 彼ら彼女らは遠慮なく菜摘さんのパーカーのポケットから金を抜き取りつつ、首を傾げる。


「あれ? 芽衣、服汚れてるけど、何それ?」

「え……その赤いの……もしかして、血?」


 僕は詳しく知っているわけではないけれど、菜摘さんのあの能力で腕を切断すると、普通の人間ほどの出血量ではないとはいえ、それでも服に染みる程度の血は出てしまうらしい。今回も菜摘さんのパステルカラーのパーカーの袖の一部、手で押さえている部分が、鮮血の赤と乾いて赤黒くなっている部分とで斑になっていた。


「まさか強盗とか……してないよね……?」


 彼ら彼女らの一人が、引き攣り気味の笑いを浮かべながら言った。


「ちょっとさ、メンドーなことはヤダよ」

「芽衣、前もそんなことあったよね」

「ああ……けど、あれはさ、芽衣にオヤジ相手に売りってか、美人局つつもたせ的なことさせて、怒ったオヤジが逆ギレしてきたんじゃん」

「ギャハハハハ! かーさんの入院費がナントカカントカって言ってきたから、ボコってやったら黙ったの、マジで笑った!」

「自業自得だよね。結局、警察にも行かなかったっぽいし」


 菜摘さんの顔が赤くなって青白くなる。


「だ、だってぇ、あの時はそうすれば遊んでくれるって皆が……」


 彼ら彼女らが、すっとぼけたように笑う。


「そうだっけ? 忘れちゃった。アハハ!」

「お前がアバズレだから自分からやりに行ったんじゃなかったっけ?」

「ギャハハハ! アバズレって言葉久々に聞いた!」

「てかさ、あれからじゃない? 芽衣のリスカ癖が悪化したのって」

「ああ、そうだよね。わたしらに当て付けみたいに。完全に『構ってちゃん』だった。死ぬつもりもないくせに」

「お前、パーカーとシュシュで隠してるけど、その腕、ためらい傷っつうの? ヒデエ状態だもんな?」


 顔色が悪くなっていく菜摘さんを前に、彼ら彼女らは心底楽しそうに嗤う。僕は教室での僕との既視感と一緒に、心の中にぐるぐると厚い雲が渦巻くような息苦しさを感じた。


「でもさ、一度だけヤバイことなかった?」

「あった! 外歩いてる時、芽衣、いきなり手首を切ったもんね」

「人通りのない道だったからよかったけど。血ぃ流しながらヨロヨロ歩いてるから置いてったんだよな」

「ああ、俺らが走って逃げたやつ! 今思えばヒデーことしたな。ギャハハハハ!」

「その後、芽衣を見かけなくなったからさ、死んだのかと思ったけど、助かってたんだね。よかった、よかった。わたしらのお財布事情的に。アハハ!」


 どこが面白いのかが僕にはまったくわからない思い出話で彼ら彼女らは笑い合う。


「ていうかさ、これだけじゃ足りないんだけど」


 仕切り直すように彼ら彼女らのうちの一人が、菜摘さんのポケットから取り上げたお札の種類と数を見て言った。


 このところ黒蜜さんの仕事ぶりは本調子ではなく、その黒蜜さんがまだ出先から戻ってきていなかったこともあり、今日の売上げはほとんどあの金庫に入っていなかったのだ。


「ま、いいや。芽衣、引き続き、集金よろしくね~」


 彼ら彼女らは手を振りながら席を立った。


「え、ま、待ってよぉ! いくらかでも持ってきたら一緒に遊んでくれるって言ったじゃんかぁ。ねぇ、待ってよぉ!」


 さっさと店を出ていく彼ら彼女らを、菜摘さんが慌てたように追いかけた。僕も食べ物のゴミを片付けて、その後をついて出た。



「待ってよぉ! ねえ、なんでうちを置いてくの! 置いてかないで! うちも……芽衣も連れてってよぉ!」


 菜摘さんが追いかけても叫んでも、彼ら彼女らは少し振り向いてニヤニヤするだけで、さっさと進んでいった。


 中心街からは少し離れたため、すれ違う人の数は多くない。歩行者は泣き顔で叫ぶ菜摘さんをチラリと見はするけれど、他人事だと思うのか、それぞれの用事に忙しいのか、さっさと通り過ぎていくだけだった。


「ねえ、なんで! なんでぇ……!」


 叫んだ菜摘さんはパーカーのジッパーを開いた。当然、左手で。だから、右腕の切断部から左手が離れることになる。


 僕は見た。ファンシーで可愛らしいデザインのパーカーの袖から覗く右腕がグラグラと不安定に揺れるのを。そして、まだくっつき始めだったのであろうそれが、ブチっと嫌な音を立てて千切れ、ボトリと地面に落ちるのを。


「は……?」

「な……え……? う、腕が……?」


 さすがに彼ら彼女らも立ち止まった。呆然としながら、片腕のない菜摘さんを見つめる。


「なんだよ、なんで腕、う、腕が……取れて……!」

「きゃああああ!」


 彼ら彼女らが叫んだ。当然、周囲の視線が集中する。


「え? なに、あの腕……何かの撮影?」

「カメラどこ?」

「バイオ的なやつ?」


 通りすがりの人達が騒ぎ始めるが、映画か何かの撮影を疑っているようだ。菜摘さんが片腕を失っても痛がる素振りすら見せずにいるからだろう。


 菜摘さんはパーカーの内側から折り畳み式のノコギリを取り出す。さすがにまずいだろうと僕は一歩出かけるが、菜摘さんの動きの方が早かった。


「なんで、うちを……芽衣を見てくれないのぉ!」


 悲痛な叫びと共に、開いたノコギリの刃を菜摘さんは首に当てて思い切り引いた。血飛沫が飛び散る。


「きゃあああああああああ!」


 叫んだのは菜摘さんではなく、彼ら彼女らだった。菜摘さんが傷付けたのは菜摘さん自身なのに、なぜか彼ら彼女らが恐怖に凍りついた顔をし、正体を失ったように逃げ出していく。

 でも、それもわかる気がした。菜摘さんの顔は幽霊でも憑いているかのような、背筋を凍らせる表情をしていたから。


「待ってよぉ、うちを、芽衣を置いていかないでぇ!」


 菜摘さんの出血はすぐに少なくなったが、首の傷を開かせたまま、彼ら彼女らを追って走り出す。


「すげー、リアルな血糊!」

「何? 映画? ドッキリ?」


 周囲の人の注目が菜摘さんに集中しているのは幸いなのかもしれない。菜摘さんが自分の首を切った瞬間に、菜摘さんの落とした右腕が指を動かし始めたから。まあ、これも何かの仕掛けと思われるだけかもしれないけれど。


 僕はその腕を拾い上げ、菜摘さん達を追いかけて駆け出した。



 僕は菜摘さんの腕を何本も抱えながら、菜摘さんと彼ら彼女らを必死に追いかけていた。今もまた、いくつかの腕の断面から新たな腕が生まれ、ボトリと地面に落ちる。それは地面を這いながら、彼ら彼女らに向かって進んでいった。


 もう増殖する腕を僕は抱えきれなっていた。夥しい数の右腕が、指だけで這っている割にはものすごい速さで彼ら彼女らに向かっていく。その動きは、この前、クロイさんの工房で見た時の比ではない激しさだった。薄暗く狭い路地に人影がないのだけが幸いだ。


「待って、待ってよぉ!」

「ひいいいいいいいい!」


 右腕達と共に、体中から血を流した菜摘さんが、逃げる彼ら彼女らを追う。


「なんなんだよ、コレ! マジで、なんだよ、コレは!」

「なんで、腕……! 腕が……! いやああああ!」


 息も絶え絶えな彼ら彼女らに、菜摘さんと腕の大群が迫る。菜摘さんはあれから首と右足をさらにノコギリで傷付け、タラタラと緩やかに血を流し続けていた。


「うちを、芽衣を置いてくなんて許さないんだからぁ!」


 ついに彼ら彼女らはビルに取り囲まれた袋小路に追い詰められた。


「もう行き止まりだよ~! うちと遊ぼうよぉ! うちら友達だもんね~!」


 さっきまでとは一転した、快活な声で菜摘さんが言った。彼ら彼女らは恐怖に顔を歪める。


「化け物! 来ないで!」

「お前なんて元々友達じゃねえし!」


 その言葉をぶつけられた途端、菜摘さんの体がぐらりと揺れた。


「なんで……そんなこと言うのぉ!」


 菜摘さんはノコギリでフワフワしたミニスカートから覗く左の太ももを切った。何度も刃を引いて、傷を深くしていく。


 すると、増殖した腕達が急速に動きを活性化させた。彼ら彼女らに掴みかかり、脚を這いあがって、腹部を掴み、腕を押さえつけて、顔に迫る。彼ら彼女らから切り裂くような悲鳴が上がった。


「もうやめて、菜摘さん!」


 僕は抱えていた腕を放り出し、菜摘さんを後ろから羽交い絞めにした。


「誠児っち……?」

「あんな人達を相手にするのはもうやめようよ! 菜摘さんには銭亀さんと黒蜜さんっていう友達がいるじゃんか!」

「だ、だって、だってぇ……。うち、友達に置いてかれるの、どうしてもヤなんだもん……うわああああん!」


 友達に拒否されて泣き叫ぶ菜摘さんと、夥しい腕に掴まれ泣き叫ぶ人達。現場は混乱の極みだった。


 その時、唐突に涼やかな声が響く。


「皆さん、大丈夫ですか?」


 そこにいたのは黒蜜さんだった。


 袋小路と思われたこの場所には、よく見ればビルとビルの隙間に人ひとり通れるほどの狭い路地があり、そこから黒のゴシックロリータのドレスを身に纏った黒蜜さんが現れたのだ。


「瑠奈ちー……?」


 驚いたように呟いた菜摘さんの体から、ガクリと力が抜けた。切った脚に力が入らないのか、さすがに血を出しすぎたのか、倒れ込みそうになる彼女を僕は支え、ゆっくりとアスファルトの地面に座らせる。


 同時に、彼ら彼女らを襲っていた右腕達の勢いもなくなり、ボトボトと地面に落ち始めた。彼ら彼女らがホッとしたように息をつく。


「誰だか知らないけど、助けてくれるの!?」


 彼ら彼女らは救世主を見るように黒蜜さんを見つめた。


 黒蜜さんは彼ら彼女らの問いに応とも否とも答えず、人形のように整った顔にごくごく薄く笑みを浮かべた。彼ら彼女らはそれを頷きと捉えたらしい。手招きする黒蜜さんに導かれるまま、歓喜の声を浮かべながら細い路地に走りこんでいく。その後を、黒蜜さんのドレスの袖から飛び出した黒猫が追いかけていくのが見えた。


 そういえば、銭亀さんが前に言っていた気がする。初めて月影町を訪れる「人」は住民に招かれる必要があると。


 彼ら彼女らと黒猫を見送った黒蜜さんは、地面に座り込む菜摘さんにゆっくりと近付いた。


「芽衣さん」

「瑠奈ちー……」


 菜摘さんは血の気の失せた顔を、気まずそうに黒蜜さんの視線から逸らした。


「あまり心配させないでください、芽衣さん」


 そう言うと、黒蜜さんはしゃがみながら菜摘さんの顔を手のひらで包み、菜摘さんの頬に自分の頬を触れさせた。


「ごめん……」


 叱られた子供みたいな顔になる菜摘さんの顔を見て、黒蜜さんは僕達だけに伝わるくらい少しだけ微笑んだ。それを見て、菜摘さんも安心したようにふんにゃりと笑う。


 それから黒蜜さんは立ち上がって、僕を見た。


「誠児さん、菜摘さんの血が止まって立てるようになったら、事務所に連れてきてください」


 そう言うと、黒蜜さんは怜悧な取立人の顔に戻る。彼女はドレスを翻しながら踵を返し、彼ら彼女らの後を追って細い路地へと消えた。

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