2-2 異形達の商工会
「あの野郎、本当、どこに逃げやがったんだろう!」
月影町のメインストリートから脇道をいくつか曲がった場所にある公園で、銭亀さんは赤い目を細め、不機嫌そうに顔を歪めていた。
「何度も確認してはいますが、やはりここで津守屋さんの臭いは途切れています」
黒蜜さんはそう言いながら、自分の左腕から離れた黒猫――今回は黒豹の大きさにはなっていない――が公園の遊歩道の臭いを嗅いで回る様子を無表情で見つめていた。その隣では水色と黒のツートンヘアーを振り乱しながら、菜摘さんがキョロキョロと辺りを窺っている。
「ここってさー、時々フリマやってる場所だよねぇ?」
さっき見かけた公園入口の立派な石柱に掘られた文字によると、ここは「月影町中央公園」という場所らしい。緑と水辺があしらわれたなかなかに大きな公園で、石畳の遊歩道では、顔が逆さに付いた女性と蜻蛉のような顔をした男性のカップルがゆっくりと歩いていたり、ワニから進化したような外観の男性がイヤホンで音楽を聴きながらジョギングを楽しんいたりする。向こうのアスレチック遊具が設置されたエリアでは、カラフルな水玉模様の肌をした子供達が歓声をあげていた。どうやらこの公園は月影町住人にとっての憩いの場であるようだ。
「そうだね。毎週水曜日はフリマの日。服とか日用雑貨の売買が多いけど、たまーにとんでもないものが売買されているんだよねえ……」
銭亀さんは考え込むように赤い唇に手を沿え、瞼を閉じる。今日もブレザーにチェックのスカートの制服姿である銭亀さんの、長い黒髪がさらさらと風に舞った。その姿は青春映画の一幕のように完璧で繊細な絵なのだが……。
「とりあえず、この一件はわたしが預かるよ。津守屋の尻尾はわたしが掴む。二人にはその後で動いてもらうかもしれないけどね。まったく、あんなヒョロい大学生に舐められたんじゃあ、『にこにこ銭亀ファイナンス』の看板に傷が付くもの。なんとしたって、どんなルートからだって金を搾り取ってやらないと!」
カッと赤い瞳を見開いて宣言する銭亀さんの姿は苛烈だった。真っ赤な唇の片端を吊り上げ、牙のような八重歯を光らせながら悪魔のように嗤っている。
「よし。それじゃ、通常業務に戻ろうか。芽衣と瑠奈は本日分の回収業務、お願いね」
「らじゃー!」
「承知しました」
「誠児くんは申し訳ないけど、これからわたしが行く会議について来てくれるかな」
「会議?」
「月影町商工会の月一の定例会でね、そこには主だった会社の代表者が出席するんだけど、今日はうちの会社が書記当番なんだよ。あとで議事録まとめるのを手伝ってほしいんだ。書き方とか書式は教えるから。録音もするけど、一応皆さんの発言をメモっておいてね。その方が後で文章にするの楽だと思うし。いいかな?」
「わかった。いいよ」
「ありがと! 今日の時給は二割増しにするね」
銭亀さんが朗らかに微笑み、つられるように僕の顔にも笑顔が浮かぶ。
銭亀さんの事務所で働き始めて二週間。初めての内勤以外の仕事の依頼だけど、会議の記録くらいだったら僕でもできるだろう。それで時給が増えるなら万々歳だ。会議なら怖いこともないだろうし。
「あーあ。商工会の定例はつまらない話ばっかりで億劫なんだよね……。こんなに澄んだ青空の日はこの公園でのんびりランチとかしたいな」
「だねー。お弁当作ってきてさぁ、お菓子も焼いてきてさぁ、あ、象のおばちゃんとこのパン屋さんで美味しい菓子パンを買ってくるのもいいなー!」
「悪くありませんね」
制服姿の銭亀さんと、パステルカラーでファンシーな形状の服を着た菜摘さんと、黒のゴスロリ風なドレスを纏った黒蜜さんは、同時に目線を空に向けた。僕の目には薄曇りのような暗い空に、霞がかかったように見通しのききづらい周囲の景色は、彼女達の赤みがかった瞳には少し別の風景として見えているのかもしれない。
改めて思う。
いったいこの街は、この街の住人は、そして彼女達は、どういう存在なのだろう。
※
商工会の定例会では粛々と議論が交わされていた。
月影町商工会議所の二階にある広い会議室には、ロの形に配置かれた長テーブルの正面側に会長と副会長が着き、その横に今回の書記係である銭亀さんと僕が座る。その他の席には主だった会社や商店の代表者達が座っていた。
言うまでもないことだが、全員、格子柄の肌の人とか、顔の生えている場所がおかしな人とか、蛙のような姿形の人とかであり、普通の人間とは違う形状をしていた。
「では、次の議題にいきましょう。えー、月影町の風紀問題ですな。昨今、商工会の内規を無視して商売をする輩が増えておるとか……」
商工会の会長が手元の書面を見ながら発言した。三つ揃いのベージュのスーツを着た老齢の紳士で、顔や手はゴツゴツとした岩のような肌をしていた。
「縊死会長は月影町唯一の診療所を経営しているお医者さんなんだよ」
「へー」
銭亀さんの耳打ちに頷きつつ、僕はノートに会長の発言をメモする。議場では会長に続き、その隣に座る副会長が口を開いた。
「商工会の内規は、月影町内の商売人が無駄な争いをせずに商売を発展させられるように、さらに、外の世界と軋轢を生じさせないようにという意図で作られたものなのよ。これを蔑ろにするということは、商工会全体に喧嘩を売っているのと同意ってこと、わかっているでしょうねえ?」
副会長は声と着物姿から判断するに女性なのだろう。狐と狗の中間のような獣人型をしていて、艶やかな赤色の着物から覗く毛皮は純白と銀灰色がグラデーションを描いている。
「彼女は尨毛さんっていって、いくつもの飲食店を経営しているやり手なんだけど……」
再び僕に耳打ちした銭亀さんに、その尨毛副会長がチラリと冷たい視線を向けた。
「そういえば、仮居住者が大々的に商売を始めてからね、風紀の乱れが始まったのは」
その言葉を聞いた途端、銭亀さんが頬をピクリと震わせた。
「待ってください。副会長は、わたし達が何か違反行為に関わっているとおっしゃりたいのですか?」
椅子から立ち上がり、銭亀さんは爛々と輝く赤い瞳で尨毛副会長を見据えた。その瞳を真っ向から受け止め、尨毛さんが意地悪げにニヤリと笑う。
「あなたの会社、仮居住者達が集まってどんな企みをしているか、わかったもんじゃないもの」
「勝手な憶測でものを言わないでください!」
「ふん、どうだかねえ。しかも、定例会にまでそんな普通の人間なんかを引き連れて、酔狂にもほどがあるわ」
尨毛副会長の銀色の瞳に射竦められ、僕は芯から震え上がってフリーズする。そんな僕を庇うように銭亀さんは身を乗り出し、語気を荒げた。
「確かに彼は普通の人間ですが、給金に見合った分、きちんと働いてくれています。他人に弊社の人事をどうこう言われる筋合いはありません。それに、わたしはきちんと内規を守って企業活動をしています。ご心配であればいくらでも弊社を調べて頂いて結構です」
「仮居住者の分際で生意気な言いぐさね」
「仮居住者の分際だからこそ、内規に従って正居住者の皆さんの何倍もの会費を支払ってきちんと商工会に所属しています!」
「お金を払えばいいってもんでもないでしょ」
「わたしは商工会の方針にも協力していますよ! この前の獅子ヶ原さんの件だって、前回の定例会で彼の資格制度違反や労働環境不備の疑いについて、服飾業連合会の皆さんが大事にしたくないということで、商工会が本格調査に入る前に脅しを入れることになった。そのために、弊社が矢面に立たされることになったんです。弊社は悪役をかってでた結果、優良な人材派遣先との関係を悪化させてまで、商工会に貢献したんですよ!」
女性二人の対立を、僕は目を白黒させながら黙って見つめる。
(獅子ヶ原さんとのアレも商工会がらみだったのか……。とはいえ、その件では銭亀さんは相当の額を巻き上げていたはずだけど……)
そんなことはここで敢えて口に出す事柄でもないのだろうし、こんな雰囲気の中で口を開く勇気も僕にはない。それにしても、銭亀さんの神経をこんなに逆撫でるなんて、「正居住者」「仮居住者」とはいったいどういう意味なのだろう。
場が不穏な空気に揺れる中、尨毛さんの隣で、縊死会長がコホンと咳払いをした。
「まあまあ尨毛さん、銭亀さんがあの会社を始める前からルール破りはありましたよ。数までは調査していないので増減の推移はわかりませんがね。それに、仮居住から正居住への転籍は個人の自由ですし、最終的にはこの街から立ち去るか、正居住になるかなわけですから」
会長に諭された尨毛さんは毛皮に覆われた顔を少し不満そうに歪めたが、ツンと銭亀さんから視線を逸らして口を閉ざした。
「今後は内規違反者には商工会として厳しく対処する。会員の皆さんも、常にアンテナを高くして、違反者を見つけた場合はすぐに商工会に報告すること。そんなところでよろしいですかな、尨毛さん」
「まあ……そうですわね」
尨毛副会長は渋々というように頷き、他の出席者からも異論が出ることはなかった。
「では、今回の定例会は以上。銭亀さんがまとめた議事録を後で皆さんに共有しますので……」
場を閉めようとした会長の言葉を、副会長の挙手が遮った。
「待ってくださいな、会長。一つ追加で審議して頂きたいことが」
「ふむ? しかし、事前の議題審議に他のテーマは上がっていなかったはずですが?」
「ええ。でも、上級会員の三分の一の署名があれば、議題審議なしで定例会にテーマをあげられましたわね?」
そういうと、尨毛さんは一枚の書類を取り出して縊死会長に渡す。
商工会には上級会員と一般会員の二種類があり、この月一の定例会に出席するのは上級会員なのだと僕はさっき銭亀さんから教えてもらっていた。ちなみに、獅子ヶ原さんは一般会員のため、この場には来ていないとのこと。
「確かに、三分の一の署名がありますなあ……えーと、内容は……」
老眼鏡を掛け直しながら書類を覗く縊死さんの横で、尨毛さんがニヤリと笑みを浮かべた。
「新規上級会員の承認願いですわ」
「ほう。上級会員承認願いは三年前の銭亀さん以来のこと。どちらの会社ですかな?」
「廊下で待たせてますの。お連れしても?」
「どうぞ」
一旦廊下へ出て行った尨毛さんが小さな人の手を引いて再び現れる。体の半分を覆う黒い毛皮に、クリクリと輝く赤と青の大きな瞳、顔の両脇に垂れる長い耳。その見覚えのある姿に僕の隣で銭亀さんが息をつめた。
「クロイさん……!」
目を見開く銭亀さんの姿を目に留め、尨毛さんが満足げに笑う。
「個人業者として時間取扱業を営んでいるクロイさんよ。是非とも上級会員の承認をお願いします。さ、クロちゃん、ご挨拶して頂戴」
尨毛さんと繋いでいた手を放したクロイさんはトコトコと前へ進み出ると、ぺこりと頭を下げた。
「クロイです、よろしくお願いしまーす! よかったら、僕のことはクロちゃんって呼んでくださぁい!」
美少年の顔にあどけない笑顔を浮かべて、クロイさんは舌っ足らずな言葉で挨拶した。思わず頬が緩む光景だが、ふと横に目を遣ると、銭亀さんが苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「上級会員の承認願いを提出するには、現在の上級会員がその会社や個人業者を推薦する必要がありますが、尨毛さんが?」
「ええ。わたしが彼の推薦人を引き受けますわ」
「待ってください。上級会員になるための条件は推薦人だけではないはずですが」
険しい表情を隠そうともしない銭亀さんの言葉に、縊死会長が頷く。
「そうですな。まず、年間の売上高が内規の定める金額以上であること、上級資格調査委員会の審査を通ること、そして、この定例会の場で出席者の半数以上の賛成を得ること、でしたな」
「売上のことなら問題ないわ。クロちゃん、あれを渡してあげて」
尨毛さんの言葉に、クロイさんは「はーい!」と手を挙げると、ポンチョの中から取り出したファイルを縊死会長に手渡した。
「これ見てぇ」
「どれどれ……」
老眼鏡を掛ける縊死会長を、クロイさんが心配そうな表情で覗き込む。
「かいちょーさん、おめめが悪いのぉ? 大丈夫ぅ?」
「ハハハ。大丈夫じゃよ」
傍目には縁側でくつろぐおじいちゃんと孫といった風情だ。二人とも普通の人間とは違うビジュアルだけど。そして、僕の横にいる銭亀さんの不機嫌度が確実に増しているのをビシビシと感じるけど。
「確かに、条件の金額はクリアしてますな」
「まさか!」
「銭亀さんも見ますか?」
縊死会長から書類を受け取った銭亀さんは最初は疑り深い表情でそれを見つめていたが、だんだんと苦汁を嘗めたような顔に変わっていく。それを見て、尨毛さんが勝ち誇ったような顔で高笑いをした。
「フフン、なかなかの売上高でしょう? 詳細な会計資料は別にあるから、その書類が疑わしければ好きなだけ調べるといいわ」
尨毛さんを悔しげに見つめながら、銭亀さんが「あの野郎、いつの間にこんなに稼ぐようになってたんだ。想定外だ」と小さく呟くのを僕は聞いた。
「だいたい、クロちゃんに商工会の一般会員に所属するようにしつこく要請していたのは銭亀さん、貴女でしょう?」
「確かにそうですが……それはクロイさんの商売を監視すべきだと思ったからです。彼の商売を商工会内規のルールで縛れば少しは安全だと思ったからこそ! それなのに、上級会員の特権を彼に与えたらどういうことになるか……」
訴えかけるように定例会参加者の面々に視線を送るが、特に反応は得られなかった。銭亀さんは悔しげに唇を噛んで黙り込む。
「ま、貴女がどう言おうと関係ないわ。さ、会長、話を進めてくださいな」
「ふむ。それではクロイくんを審査するための上級資格調査委員会を発足させましょうかな。内規に従い、上級会員のうち、クロイくんの推薦人である尨毛さんを除く者の中から七名を委員に任命することになります。委員を志望する者は挙手を……」
「はい!」
誰よりも早く銭亀さんが手を挙げた。それに続いて数名が挙手をする。議場では七つの枠に対し、合計八名が手を挙げていた。
「ふむ。では、慣例どおりくじ引きで決めましょうかな」
縊死会長は会議室の脇の棚に置かれていた箱を長机の上に持ってくる。透明の板で作られた水槽のような箱で、中にはキノコの生えた小さな丸太が横たわっていた。
「では、八人の皆さん、『当たり』が出るまでキノコを順に食してください。『当たり』を食べた人は委員落選です」
(キノコ……? 当たり……? なんか、ヤバそうな予感が……)
内心で汗をかく僕をよそに、挙手した人達は席を立って次々と箱のそばへと近寄っていく。銭亀さんもそれに続くが、同時に、なぜか僕の手を掴んだ。
「え、な、な、な、な!」
僕の右手を包む温かくて柔らかい感触に身が竦む。なんでこの人はすぐに人の手を握ろうとするのか……! 慣れるわけのない感触にドキマギ……というよりむしろ、心臓が飛び出しそうになる。
そんな僕の動悸・息切れには気付かない様子の銭亀さんは、屈託ない笑顔を浮かべながら言った。
「自慢じゃないけど、わたし、めちゃくちゃ運がない女なんだよね」
「へ……? そ、そうなの……?」
「そうなの。だからね、誠児くん、お願い!」
「お、お願い……?」
首をかしげる僕に、銭亀さんは最高にキュートな笑顔を突きつけた。
「わたしの代わりにあのキノコくじ引いてくれないかな?」
「ええええええええ!」
僕が絶叫するも、銭亀さんはとびきりの笑顔を崩さない。
「大事な運命のくじ引きだからね! 絶対『当たり』を引かないでね!」
そう言った銭亀さんの牙のように見える八重歯が、一瞬ギラリと凶悪に光ったように僕には見えた。
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