20.輝血 Chinese lantern plant
「いたたたた、いた、痛い!」
ソルジャー伯爵家。長男カランコエの部屋で、公爵家三男のスパイクは部屋の主であるカランコエに殴られた頬の治療を受けていた。
「騎士団式ですから。痛みますが帰る頃には腫れも引いてるんで我慢してください」
治療しているのはカランコエの妹。ソルジャー伯爵家長女のシャギーである。
「薬が染みるのはいいんだけどもうちょっと優しく……」
治療を受けていた公爵令息は脇で見ていたカランコエから冷たい目線を向けられ、ぼやきかけた口を閉ざした。
「──で、どういうつもりなんだ?」
重々しく口を開いたカランコエにシャギーとスパイクが揃って「どっちに聞いたの?」という顔を向けてくる。
「どっちもだ!」
第三者の自分がカリカリしているというのに、当の本人たちが呑気な顔をしていることがカランコエの苛立ちに油を注ぐ。
「どういうつもりか聞きたいのはこっちも同感だね。俺の腹はさっきお二人さんが聞いた通り」
スパイクが本日何度目かのため息を逃した。
「下衆な話だよ。友人である兄に怒られ、お嬢さんからは嫌われて。それでお終いのはずでしょ?」
ソファに首を持たれ掛けさせ自嘲気味に言葉を吐いたスパイクが身を起こしてシャギーを見る。いつもと変わらぬ飄々とした態度だが、その目には相手を探るような警戒が滲んでいる。
カランコエは妹を傷つけた友人に何か言いたげな顔をして、しかし唇を軽く噛んで言葉を飲み込むとシャギーへと視線を移した。
二人から視線を向けられたシャギーはまったく怯むことなく、汚れた手を拭きながら答える。
「私ね、結婚とか全然考えられないんですよ」
「知ってる。これまで通り断ればいいだろ」
カランコエがムスッと呟く。
「これ以上お父様の負担になりたくないんですよね。ただでさえ普通の令嬢らしからぬことばっかりさせてもらってるのに他家(よそ)との関係まで気を遣わせるの申し訳ないなって。今さらですけど」
手を拭った布をポンとテーブルに返して、スパイクを見る。
「あなたも結婚したくないんですよね?」
「──そうだね」
「私達、手を組めると思いませんか?」
「君が母に気に入られたりしてなきゃもっと簡単だっただろうけどね」
「それなんですけど」
そう。先程のスパイクの話でシャギーが違和感を覚えたところだ。
「私の行動って淑女としては最悪だと思うんですが公爵家は気にしないんですか?」
「ちょっと待てシャギー、公爵夫人と会ったのか?」
カランコエに問われてシャギーの肩がぎくりと強ばる。さすがに先日の出来事を隠したまま話を進めるのは無理があった。シャギーは観念して白状する。
「実は、先日街でたまたま引ったくりに遭ったところを助けました」
「なるほど」
妹の非常識にすっかり慣らされてしまった兄はあっさり納得した。その様子を見て隠すこともなかったなと安堵するも、「あんまり危ないことはするなよ」と釘を刺されてしまう。
「で、どうなんだスパイク。公爵家はこういう破天荒娘をお望みなのか?」
カランコエがシャギーを指して話の軌道修正をする。兄妹のやりとりを見ていた公爵令息が君たちほんと変わってるね、と笑った。
それから再び脱力するようにソファに身を沈める。顔を宙に向け、やや投げやりな様子で言葉は続く。
「社交なんて出来なくて良いんだよ、家を継ぐわけでもなし」
「それはありがたい」
「マナーなんて出来なくて良い、どうせ自分達の目に入らないんだから」
「いや、私もそれなりに教育受けてますけど……」
「周囲の評判も必要ない。ウィンターヘイゼルにものを申せる人間なんて居ないんだから」
「じゃあ何が必要なんですか」
「血」
天井へそらされたままの琥珀は、何も映していない。
「あの人達がほしいのはソルジャー伯爵家の血。それだけだよ」
「──そこまでウチの血にこだわる理由も聞かせて貰いたいが……程度は色々あっても貴族の結婚なんてそんなもんだろ」
やり取りを聞いていたカランコエが口を開く。が。
「だからこそ、家がどうであれ結婚した本人が相手を大事にできるかどうかは重要だと思うがな!」
先程の妹への侮辱を思い出したのか、途中で目つきがまた鋭くなった。
「シャギーのことは好きだよ。面白いし」
睨まれることを気にする風もなくスパイクが軽々しく口にする。
「君達のこと気に入ってるからこそ、あんな家と血の縁を結ばずに済ませたいんだ」
どうやら、シャギーが考えていた以上にこの縁談には思惑がありそうだ。兄妹は顔を見合わせた。
◆
「婚約!?」
シャギーが師のフォールスの研究室を訪れたのは三日後のことだった。
「まだ当人同士で話した段階ですけど、そういう方向性で進もうかなと」
いつもおっとりと落ち着いたフォールスらしからぬ声を上げて、予想だにしなかった展開に驚愕する。
「ウィンターヘイゼルだけは避けたいという話では?」
「そうなんですけど、まあ、こっちに利の無い話でもなかったので。それに、」
いずれ婚約は破棄される前提です。そう続けられたシャギーの言葉に、益々わからないといった表情でフォールズは弟子を見つめる。
「お話の通りに、進めるんですね。理由は?」
「強いて言えば虎穴に入らずんば……というやつなんですけど」
「強いて言えば?」
「実は、よくわかりません」
シャギーはそう言って顔を上げると、困ったように眉を下げて笑った。その表情が、これまで見てきた快活な姪のものとは違っていて、そわりと胸が騒いだ。
「先生」
真っ直ぐに向き直る弟子に、師の方も居住まいを正す。
「先生は経験ありますか? 何というか……家族でも友人でもない、他人の境遇なのに放っておきたくないと思う気持ち。自分に関わりのない理不尽なのにねじ伏せたいという……怒りのような」
「ありますよ」
答えはあまりにあっさり返ってきて、シャギーは目を丸くする。
「怒りから覚めても10年近く研究を続けてしまうような、そんな思いをしました」
淡々と続く声に情熱は感じられない。けれどきっと奥底でまだ炎は燃えている。誰にも知られぬ場所で、すべてを溶かす温度で。
「それは、」
弟子は途方に暮れたように目を伏せた。
「それは、恋でしょうか?」
そうでなければいい。けれどもしも、これがそうなら対処を聞きたい。シャギーは自分の感情から目をそらすことを今生では選んでこなかった。
思いつめたような目を向ける弟子の頭に、ぽんと優しい手が乗せられる。
「いいえ。そうとも言えませんよ」
「え?」
「シャギー、人間はね、そういう愛をみんな持ってるんです。それは必ずしも恋じゃない」
「恋じゃない。……特別な相手、じゃない?」
「ええ。それはね、シャギーが力を得たから、その力の余りを自分や身近な人間以外にも向けられるようになったということです」
恋ではない。それは自分以外の誰かに判断できることではないのかもしれない。けれど師の言葉にシャギーが安心を得たことは事実だった。
「そんな風に思える人は、きっとこれからも増えます。それがまた力になって、もっと強くなって。そういう風に、愛は増えますよ」
頭に乗せられていた暖かな手が、最後にゆるりと髪をなでて、離れる。
「よかったあ。そういうのじゃなくて!」
詰めていた息を吐き出して、姪はよく知った顔に戻る。
「シャギー、本当はいくつなんでしたっけ。ちょっと色恋沙汰に疎すぎるんじゃないです? 私が悪い大人だったらどうするんですか」
フォールスが呆れたように笑い、少女をからかう。
「いいんです!」
照れたように声を上げて顔を反らせる、その子どもじみた仕草にフォールスはまた笑い、それから顔を引き締めた。
「それより、ウィンターヘイゼル公爵子息とどんな話をしたのか聞きましょうか」
可愛い弟子の死に関わることなのだ。纏う空気を硬質なものに変えた師に、シャギーもまた真剣な表情で頷いて話を始めた。
【植物メモ】
和名:輝血[カガチ]/鬼灯[ホオズキ]
英名:チャイニーズ・ランタン・プラント[Chinese lantern plant]
学名:ファイサリス・アルカケンジー[Physalis alkekengi]
ナス科/ホオズキ属
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