30.Begonia Chocolate Soldier
「使者殿を拘束せよ」
シャギーの祖父、先代ソルジャー伯爵は率いてきた者達にそう命じた。
シャギー達が領地のカントリーハウスに来た時、そこに祖父の姿は無かった。彼はロルフ・フィードラーの東に別館を建て祖母と二人暮らしていると、アクイレギアからはそう聞かされていたのだが。
どうやら、ただ静かに暮らしていたわけでは無かったらしい。
「一体何を……!」
隣国クレオメとの停戦交渉に来た王宮からの使者が顔を青くして後ずさる。ソルジャー家の護衛騎士達が王宮からの一団を守るように囲み、シャギーとフォールスもそこに加わる。戦地へ向かうため鎧で武装した護衛兵は素性を隠して紛れるのに都合が良かった。
シャギーはクロスヘルムの隙間から息を殺して祖父の私兵の動きに神経を張り巡らせる。
「何を、とは?」
落ち着いた、シャギーの知る平素の祖父と変わらぬ声。
「わ、私は王宮からの遣いです! 王家に叛意を示すおつもりか!?」
「まさか。建国以来、ソルジャー家はいつだって王家を護ってきたではありませんか」
突然の凶行に使者が動揺して叫ぶも、先代ソルジャー伯爵ベゴニア・チョコレート・ソルジャーは些かの揺らぎも見せず淡々と答える。その表情からは一体何を考えているのかまるで読み取れない。
「ただ、王都へお帰り頂くだけですよ」
淡々とそう言うが、こんなことをしておいてみすみす王都に帰す筈はない。死人に口無し。ソルジャー伯爵領から送り出された使者が、王都への道中で“不幸な事故”に見舞われるであろうことは誰の目にも明らかだった。
「どうしてこんなことを……」
恐怖にすくみながらも使者が問いかけるが、話は終わったとばかりにベゴニアが手を振り上げる。合図を受けた取り巻きが剣を抜いて距離を詰めようと足を踏み出した、その瞬間。
襲い掛かろうとしていた全員が突如、動きを止めた。
攻撃に備え身構えた護衛兵達は襲撃者の足下の地面が氷に覆われているのを唖然として眺めるしかない。ベゴニアの取り巻き達は全員が首元まで厚い氷に覆われていた。味方は一切傷付けずに襲撃者のみを拘束する精緻なフォールスの魔法だ。
「なぜ……?」
しかしシャギーとフォールスは同時に呟いた。
カツン、カツンと、靴音が響く。生ける彫像となった者達の間をぬって、一人の人物が氷の上を歩んでくる。
それは取り巻きと共に凍らされた筈のベゴニアだった。
全員が動揺し、咄嗟に動けなかった中で一人の兵士がベゴニアの前に飛び出す。ニヤリと不敵な笑みを浮かべた老将はスラリと剣を抜いて無造作に振り下ろした。気負いの無いその一太刀は、しかし動作に見合わぬ速さと重さがあった。
どうにかその一撃を凌いだ兵士だったが、続け様に繰り出されるベゴニアの剣は現役を退いたとは思えない。最強ソルジャー軍を率いてきた腕は衰えもなく確かだった。
「あなたの諦めの悪さは昔から少しも変わらないですね。ベゴニア卿」
防戦で一杯だった兵士が不意に言葉を発する。それを聞いたベゴニアが僅かに目を細めて手を止めた。
「誰だ、貴様は」
問われた兵はゆっくりと鉄製の兜を脱いだ。青味がかったシルバーの髪がこぼれ、冬色の瞳がベゴニアを射抜くように見据える。
「久しぶりに、こうお呼びしましょうか?『父上』と」
「貴様か、フォールス」
父親との折り合いが悪かった為にソルジャー家を出たというフォールス。カランコエから二人の関係を聞いていたシャギーは互いに冷えた目を向ける親子の様子に胸が痛くなる。
「例えあなたが動けてもこの状況は変わりません。諦めては?」
フォールスの言葉をベゴニアが口元を歪め嘲笑う。答える気は無いらしい。
なぜ祖父に魔法が効かないのか。その理由はわからないが、シャギーの脳裏に浮かぶのはスピノサとの戦場で見た現象。
ソルジャー家で育ったフォールスには当然、剣術の心得もある。しかし本来の彼は魔術師だ。達人の域にあるベゴニア相手に魔法が使えない状況は分が悪い。
シャギーは静かに剣を抜く。
幼い頃に領地へと去った祖父とはそこまで深い親交があったわけではない。それでもアクイレギアに連れられて領地を訪れれば言葉少ないながらも可愛がって貰った。様々な思いに心を重くしながら、シャギーは前へと足を踏み出す。フォールスに剣先を突き付けていたベゴニアは新たに歩み出てきた兵士に警戒を向けた。
その見定めるような視線を受けながらシャギーは兜を外し、祖父を見る。自分に向けられた目が驚きに見開かれた。
「シャギー……」
「私は、お父様を守るためにここへ来ました」
ベゴニアの瞳が揺れた。
「この戦争を終わらせたいんです。どうか剣を下ろしてください、お祖父様」
「──ならんな」
しかし祖父は折れない。ほんの一瞬、耐えるように眉が顰められたものの、アクイレギアと同じ青い瞳はすぐに冷たい色を取り戻してしまった。
「なぜですか!」
思わず叫び声を上げてしまう。既に当主を譲った身で、なぜここで領地の平安を拒むような真似をするのか。シャギーにとって祖父の思惑は理解し難い。
孫娘の声を振り払うように、ベゴニアが再びフォールスへと斬りかかる。シャギーは考える間もなく、咄嗟に飛び込んでその剣を受けていた。
「シャギー!」
フォールスが悲鳴に近い声を上げ、祖父が自分の剣を受けた孫娘を愕然と見る。こうなってはもう、力で止めるしか無いのだろうか。シャギーは唇を噛んだ。
右手で剣を受けたまま逆の手を翳して風を呼ぶ。精霊は応え、突風はベゴニアへと襲いかかり、その体を弾き飛ばす。その筈だった。
しかし風の渦は相手の身に触れた瞬間、力を失って掻き消えてしまう。先程の凍結が通じなかったのはやはり偶然では無いのだ。
「無駄だ」
易々とシャギーの剣を押し返してベゴニアが胸元へと手を伸ばす。軍服の襟からシャラリとペンダントが溢れた。そこに輝くのは琥珀色の石。やはり、という気持ちと、なぜ、という信じたくない気持ちでそれを見る。
「“精霊殺し”……」
「知っていたか」
シャギーの唇から零れ落ちた呟きに祖父が片眉を跳ね上げた。
「なぜあなたが、
フォールスが押し殺した声で低く訊ねる。その石を持つのは敵国──この地を襲った、クレオメ王国側のはず。それを、この地を守護する側のソルジャー家の人間がなぜ。
「お前達がどこでこれを見たのかは知らんが……そうだな、言うならば導きだ」
「洗礼名を持たない不信心なあなたが何を」
「信仰とは表裏なのだ。表の小娘を拝む気は無くとも、裏を拝めばそれもまた信仰と言えよう」
フォールスの嫌味を意にも介さず、謎掛けのような言葉とともにベゴニアは笑う。
「正しき者が王に選ばれることを願う、それもまた王家への忠誠心と呼べるようにな」
「まだそれを諦めていなかったとは」
ソルジャー伯爵家がまだ年若いアクイレギアに爵位を移した経緯には、現在のイフェイオン国王の即位が関わっている。
現在の国王は先代王の嫡子だが、継承を巡って先代王弟を次代の王に推していたのがベゴニアだった。継承争いに敗れた王弟は王都を追われ、ソルジャー伯爵もまた代替りを命じられた。
「兄上を王都から引き離している間に、王をすげ替えるつもりですか」
相変わらず、フォールスの言葉にベゴニアは答えない。しかしその表情に浮かぶのは確かな肯定。
そして天に向けてベゴニアの腕が持ち上がる。その時。
凍りついたままのベゴニア配下に紛れるようにして、ゆらりと立ち昇った精霊の色彩を見ることが出来たのはシャギーだけだった。
フォールスの術を逃れていた人物がもう一人居たのだ。潜んでいたのはおそらく術師。ベゴニア同様に凍結を免れた後は、精霊殺しを外し主君の合図を待っていた。この場に居るソルジャー家の護衛兵と王都からの一団を討つ術を発動させるために。
「伏せて!」
シャギーは叫びながら術師のもとへ走った。上空に打ち上げられた火球から地上へ火弾が降り注ぐ。同時に、ベゴニアの剣がフォールスへ振り下ろされた。どうにかそれを受けるも、重い一太刀の勢いを殺すことは叶わず、後方へ弾かれて体勢を崩してしまう。
その間に、まさか気付かれると思わなかった術師が急に飛び出してきたシャギーに恐慌し、標的をそちらへと変えて術を爆発させた。散弾のように浴びせられる炎が皮膚を焼くのも構わず、突進して斬りつける。
それを切欠に、それまで金縛りに合ったかのように動けずにいた兵達がようやく我に返って駆け出し、魔術師を捕縛した。
「先生!」
シャギーが叔父を振り向けば祖父と対峙しているのはフォールス一人ではなく。加勢に入ってくれた兵に感謝の祈りを込めて見れば、それは。
「スパイク……!」
黙って置いていくつもりだった、婚約者だった。
「話は後で。君のおじいちゃん、強すぎてっ……!」
真横に振り抜かれた一閃をギリギリ交わしながらスパイクが泣き言をこぼす。フォールスとスパイク、二人の剣を難なく受け流してベゴニアは圧倒していた。
「お祖父様!」
シャギーはそして、ついに家族に剣を向けた。
交錯した剣が火花を散らし、けたたましい金属音が響きわたる。祖父の剣は重い。その軌道は理の外にあるかのように読めない。いまだ精霊殺しを身につけたままの相手では精霊の動きを読むことも出来ない。
しかしその剣は師であるブッシュ・クローバーには及ばない。幾多の戦場を掻い潜ってきた戦士として、ソルジャー家の主戦法である槍であればわからない。だが剣でクローバーを凌ぐ者はイフェイオンには存在しない。
──なら、私が負ける道理もない。
シャギーは恐れを捨てて踏み込んだ。重い斬撃に肩当てが吹き飛ばされ、剣先が頬を掠める。それでも脚は一瞬も止まらない。瞬きを忘れ、痛みを忘れ、襲いくる太刀をひたすら打ち払う。
血ならいくらでも、くれてやっていい。無数に増えていく傷にも怯まずシャギーがただひたりと狙うのは、首。そして何合となく切り結ばれたその末に。
遂にシャギーから放たれた、祖父の動きを凌駕した最も速く鋭い一太刀。それは吸い込まれるようにベゴニアの首もとへと振り下ろされた。
そして、落ちる。
刹那、地表から盛り上がった土が岩となりベゴニアの両手両脚を拘束していた。術を発動させたのはフォールスで、地に縫い止められた祖父の首と胴は繋がったままで。
その足元に転がるのは、琥珀色の石。
シャギーが落としたのは、精霊殺しだった。
「あんな
スパイクがげっそりして、肩で息をするシャギーを支える。
「でも、出来たもん」
その顔を汗と血で濡らしながら、誇らしさを微かに滲ませてシャギーがスパイクを見上げた。少年の眉がぎゅっと寄せられる。
どこか泣きそうな顔をしたスパイクが、あちこち傷んでしまったシャギーの金色の頭を包むように抱え込んだ。
【植物メモ】
和名:木立性ベゴニア 品種:チョコレート ソルジャー
英名/学名:ベゴニア・チョコレート・ソルジャー[Begonia Chocolate Soldier]
シュウカイドウ科/シュウカイドウ属
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