29.琥珀玉 Lithops bella
「戦争が終わるまで、ここに居ます」
シャギーが父親と無事に再会したその日の夜。アクイレギアの天幕にはソルジャー騎士団の幹部に加えて、シャギーと彼女を送り届けた3人が集まっていた。
「ここまで来ちゃったんだからもう反対しないけど……学園はいいの?」
「戻ってから頑張ります」
「わかった」
アイリスの検索に出たアクイレギアの死期がずれた以上、少なくとも当初に予見されていた2月を終えるまでは安心できない。シャギーはそう考えている。
「それにしても、今日の
アクイレギアに促され、魔法士長があの時起きた現象について話す。
内容についてはアクイレギアが語っていた感覚と同じ、急に水を構成する精霊と力が通わなくなったというものだ。
「クレオメ軍の撤退を見るに仕組まれていたのは間違いない。となると今後もこちらの魔法が封じられることを想定しなければならないな」
「こんな現象、聞いたことがありませんよ……!」
魔法士長が苦々しく顔を歪める。
「シャギーはあの時、身体強化魔法が使えていたんですよね?」
フォールスが顎先で指を遊ばせながら姪に尋ねる。
「さすがに身体強化も無しに馬ごとは無理です。お父様だけならまだしも」
お父様だけなら……?
まだしも……?
その場に居た全員がシャギーの華奢な肩を複雑な心境で眺める。実際には筋力的に難しいのだろうが、この規格外の少女が言うと不可能ではないように感じてしまう。
「ということは魔力そのものが封じられたわけではないと」
コホン、と咳払いしてアクイレギアが続ける。実践経験豊富な現場の兵士にもフォールスのように魔術を研究している者にも初めての現象に全員が押し黙り、天幕の空気が重いものになる。
ふと、スパイクが体を震わせて顔を上げる。そして突如、隣に居たシャギーの肩を抱いた。
「ちょっ、何を……!」
小さく叫び声を上げたのはシャギーではなく父親のアクイレギアであった。
しかし父親が離れなさいと吠える間もなく、天幕の入り口から何かが転がり込んできた。その場が一瞬にして極度の緊張に包まれ一斉に剣が抜かれる。それは、人間だった。
「おい! しっかりしろ‼︎」
そしてソルジャー伯爵家が抱える斥候部隊の一人だった。クレオメからの宣戦布告を受けてスピノサに潜らせていた者だ。
すぐさま部隊長に支えられた体はひどい傷を負っていた。背中におびただしい数の矢傷を受け、全身を血に濡らし、それでも主君のもとへ戻ったのは命に代えても伝えたい情報があったからだろう。
アクイレギアは血で汚れるのも厭わずにその体を抱きしめる。別の部隊長が医者を呼びに走っていたが、おそらくもう保たないであろうことは誰の目にも明らかだった。
シャギーが駆け寄ってそっと治癒を施そうとするが何かに阻害されているように魔力が通じて行かない。
「──?」
それは初めての感覚だった。
一切の魔力を持たない贖人でなければ、誰の体にも精霊の四元素が通っている。しかしシャギーがいくら働きかけても、体内に存在するはずの精霊の息吹が全く感じられないのだ。
「閣下、これを……」
体を支えられたまま、からり、と斥候が口から石のようなものを吐き出す。アクイレギアが咄嗟にそれを受け取めた。
「これは?」
「奴らは“精霊殺し”と……クレオメに、持ち込まれた……おそろしい、獣の……」
そこまで伝えると、目を閉じた。
途端、シャギーの通わせる魔力に精霊が微かに反応した。
ひどく弱々しいがようやく斥候の体内に感じることができた精霊の存在。それを頼りに一心に精霊の活性と循環を高めることに集中する。結果、どうにか一命をとりとめるであろうと駆けつけた医師が判断するところとなった。
シャギーはほう、と息をつき、そして斥候からもたらされたものを握りしめたままだったアクイレギアに訪ねた。
「お父様、そのまま魔力が使えますか?」
「──いや」
娘の質問にハッとなったソルジャー伯爵が片手を開いて魔法を試し、そしてひとつの結論を得る。握りしめていたソレを手放すと、先程は何も起こらなかったアクイレギアの手からわずかながらも透明な水がふつりと滲んで零れ落ちた。
「これは……!」
その様子を見守っていた者たちが息をのむ。
テーブルに置かれたソレは宝石のような見た目をしていた。オリーブほどの大きさの琥珀、この石がもたらす現象を見ていなければそう見えただろう。しかしこれはただの宝石ではない。
“精霊殺し”
これを命懸けで持ち帰った斥候はそう呼んでいた。
おそらくこれは魔力を封じる石。言い方を変えれば精霊から力を奪う──あるいは精霊そのものを消失させてしまう、“精霊殺し”の魔石。
「なろほど、“精霊殺し”か……」
「これがどういう経緯でクレオメにもたらされたのかは分かりませんが……例えば砕いて撒いておけば、その場所では精霊を使役させられない、と」
「戦場で起こった現象もそれなら説明がつく」
アクイレギアとフォールスの会話を聞きながら、シャギーは道中スパイクが話してくれたウィンターヘイゼルが求める特殊な存在のことを思い出していた。
“獣の因子”と呼ばれる、精霊を消滅させる能力を持つ人間。
この“精霊殺し”はまるで、“獣の因子”の力を石に封じたかのような──。
ちらり、いつの間にか再び隣に来ていたスパイクに目をやれば、その視線に気付いたかのようにぎゅっと手が握られた。シャギーは一瞬ぎょっとしたが、こちらを見ないスパイクの横顔が心なしか青ざめているように見えて、振りほどくことが出来なかった。
「スパイク」
「うん」
「アレのこと何か、知ってる?」
「いいや」
小声で交わすやり取りの間も、手はそのまま。
やがて、結ばれた手に気付いたアクイレギアが口もとを覆って泣きそうになるまで少年はシャギーの手を離さなかった。
支えるものをなくせば崩れてしまうとでも言うように。
◆
一度魔法を封じられて、それで崩れるような兵力ならばロルフ・フィードラーは今頃とっくにソルジャー伯爵領では無くなっている。クレオメ王国に向けて、イフェイオン国王から正式にスピノサ攻めの通告が為されたのはシャギーが戦場に到着してから一週間後のことだった。
「シャギーの側は離れないよ。もともとそのために来たんだし」
他領の、しかも王族の血を引く公爵家のスパイクを戦場に出すわけにはいかないと誰もが主張した。しかしスパイクは頑固だった。いつもと変わらぬへらりとした笑顔で押し切られ、シャギーはすごすごと軍議が開かれている砦へとやってきた。
「ご子息はあきらめてくれた?」
困ったような顔で尋ねるアクイレギアに、ため息を吐きながら首を振る。
「父親が不在の間に、二人だけで婚約まで決めるから……」
恨めしそうにアクイレギアがぼやいて見せて。
「まあ仕方ない。シャギーは責任を持って、彼が危険にならないよう待機を」
にっこりと戦線を外れるよう言い渡されて、元々それが狙いだったのではとシャギーは唇を噛んだ。
「心配するな、伯爵は絶対に死なせないさ」
父を守るためにここまで来たのに。がっくりと丸めた背中をクローバーがポンと叩いた。
戦端の幕は敵地スピノサの港で切って落とされた。
ロルフ・フィードラー守護のための戦争ではない。イフェイオン王国側から正式に宣言されたスピノサ侵攻である。
ソルジャー軍は船団を組んで海からスピノサを襲った。クレオメ王国側がどれほどの“精霊殺し”を有しているのかはわからないが海を覆いつくすことなどできはしない。
水魔法で海の水を盛大に吐き出しながら港を一掃していく。そのまま上陸してあっという間にクレオメ軍を蹴散らし、スピノサの領主館を制圧した。
空にかかる分厚い雨雲が城下を覆っている。強力な水魔法を展開するソルジャー軍は水源を空にしたのだ。上空から落ちてくる水は“精霊殺し”では封じることが出来ない。
スピノサ陥落の報を、シャギーはロルフ・フィードラーにあるソルジャー家のカントリーハウスで聞いた。この勝利を確信していた王宮からはすでに戦争の終結に向けた調停役がロルフ・フィードラーへと送られており、ソルジャー家の屋敷に滞在している。
彼らはこれから国境へと向かい、クレオメ王国側から迎えに出たソルジャー家の兵と共にスピノサの城へと入るのだ。
「調停員の護衛として随行します」
手早く鎧を装着しながら、その傍らですでに鎧を着込んで腕組みをするフォールスに告げる。
「シャギーを止めることについてはもう諦めてますからね」
自分も同行するつもりだと暗に告げるフォールスに、私も、私についてくる先生を止めることを諦めてますけどね。とシャギーは内心で返した。
ちなみに二人して鎧を着込んでいるのは顔を隠すためだ。シャギーはもちろん、フォールスとて出来ることならアクイレギアに叱られることは避けたい。何だかんだ残念な師弟であった。
スピノサに居るアクイレギアが水の根を使えないのを良いことに、シャギーは父親の元へ向かうことを決めた。“精霊殺し”の存在を知ってから微妙に不安定に見えるスパイクに黙って行くことについては後ろめたさもあるが、告げれば同行を言い出すに決まっている。
わずかに闇色を薄くした空が夜明けを告げている。出発の時は近い。
──と、屋敷の方へにわかに騒がしい気配が近付いてくる。何事かと鎧の隙間からそちらを伺えば、そこに居たのは武装した一団。そして思いもよらぬ人物であった。
「先代様!」
屋敷の守護をしていた兵たちが王宮から来た調停役を守るように対峙する。
「これはどういうことですか、先代様……!」
屋敷へと押しかけてきた兵を纏めているのは、先代ソルジャー伯爵。
「おじい、さま」
シャギーの祖父であり、アクイレギアとフォールスの父親であった。
【植物メモ】
和名:コハクギョク[琥珀玉]
学名:リトープス・ベラ[Lithops bella]
ハマミズナ科/リトープス属
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます