24.風 Wind Flower

「敵襲です! 前方から10……12!」


 2日目。軍道の無い区間を進むため山道へそれると、早速待ち伏せをしていたらしき賊に遭遇した。


「降りずに突っ切るぞ!」


 クローバーの声にシャギーは手綱を強く握って鞍を挟む脚に力を入れた。剣を抜かずに右手を天に突き上げてから、振り下ろす。

 無数の岩石が降り注ぎ、突っ込んできた男たちの足が止まった。そのまま馬を走らせながら剣を抜くと視界の端をクローバーが刎ねた賊の首が飛ぶ。

 思わず息をのむシャギーの目の前に、槍を構えた男が突進してくる。剣よりも間合いの長いそれを弾いていなすと、腕を切りつけながら風を起こして吹き飛ばした。


 周囲に視線を巡らせれば、フォールスもスパイクも、それぞれ自分に向かってきた相手を斬り伏せている。このまま振り切れると判断してシャギーは再び馬を走らせた。


「甘いな」


 あっさりと賊を撃退して通り抜けた後でクローバーに声を掛けられた。


 師の言わんとする事はよく分かっていた。シャギーが、相手の生命を奪わないよう戦っていたのを見ていたのだ。


「あの程度の相手だから良かったが、戦場じゃ相手は死ぬまで向かってくる。ちょっと痛めつけた程度で切り抜けられると思うなよ。」

「──はい」


 シャギーが重々しく頷く。とは言え、クローバーも格下相手に無益な殺生をすすめるわけでは無いらしく、話はそれだけで終わりになった。


 覚悟なら出来ているつもりだった。だが気付いてしまった。何せ前世では平和な国の平和な学生だったのだ。騎士団で荒事は経験していても、いざ「殺す」場面でそれが出来るのか、自信がなかった。


 馬を駆足で使ってしまったので長めの休憩を取る。耳を澄ませば水の音がするので、シャギーは革袋を手に沢を目指した。足場が問題なければ馬を引いてこようと思いながら森を歩く。

 フォールスと修行を積んだソルジャー家の森は広大だったので、よく二人で散策したのだ。森の生態には詳しい。清涼な水の流れる沢には程なく到着した。川岸にしゃがんで水を掬うと、ざぶざぶと顔を洗う。真冬の水は冷たい。


「情けないな」


 思わず、弱音がこぼれた。


 進んで争いたいわけではない。誰だってそうだ。だが自分は決めたはずなのだ。自分や愛する人に刃が向けられたなら引くのではなく抵抗すると。


 パシン、と両手で頬を叩いて立ち上がる。と、少し離れた岩陰から赤い精霊の光がぶわりと膨らむのが見えた。


(魔獣だ!)


 シャギーが身構えた瞬間、周囲のあちこちから同じように精霊達が舞い上がる。気付かぬ内に囲まれたのか、それともずっと潜んでいたのか。数頭の、角のあるドーベルマンのような魔獣が身を低くしてじりじりとにじり寄ってくる。


 おそらく片付けるのはそう難しいことではないだろう。全身の血管に精霊を通わせ、体をコーティングするように強化しながら判断する。シャギーの方に進んで魔獣を害する気はないがそれは相手には通じないだろう。


 突然、一匹がシャギーの方に飛びかかって来た。


 シャギーは剣を抜き放ち、そのままの軌道でモンスターの前足を薙いだ。同時に起きた突風で魔獣の体は背後の木に打ち付けられ、べしゃりと地面に落ちた。


 群れで一斉にかかればまだ勝機はあったのに。


 一匹が目の前でやられても、飛びかからんばかりに身を低くした獣たちに怯む様子は一切ない。それどころか先程木に叩きつけた一匹も、ろくに動かない体を引きずってこちらに牙を剥いている。


(戦場の兵士というものは、この獣に似ているのだろうか)


 ふと、そんなことを思う。説いても聞かず、力を見せても引かず、四肢がちぎれても止まらないのだろうか。


(それならば)


 シャギーは剣を鞘に戻した。胃の腑の奥から冷静が上がってきて脳を冷やす。周囲の空気がキンと張り詰めたような心地がして。


 次の瞬間、森は凍っていた。




「こりゃまた、派手な魔法じゃねェか」


 凍てついた木の背後から、クローバーが顔を出す。


 シャギーの立つ位置を中心に、数十メートルほどの距離がすべて凍りついていた。地面からは一瞬で育った氷柱が付き立ち、針葉樹の葉が氷となって降り注ぐ。

 モンスター達は飛びかかる直前の姿勢のまま地面に縫い付けられ、彫像のように凍りついていた。


「水……すみません、もう少し上流で汲んでください」


 シャギーが気まずく言う。その目線の先では先程まで流れていた沢が凍りついている。


「しばらく測ってませんでしたが、魔力循環量がとんでもないことになってますね」


 クリスタルのように光を反射する木々の向こうからフォールスとスパイクもやって来る。


「しばらくこのまま仮死状態にしておけると思いますが……甘い、ですよね……?」


 シャギーが叱られる前の子どものような目でクローバーを見る。


「いいや?」


 しかしクローバーは咎めなかった。


「覚悟がなくて中途半端やんのが駄目ってだけだ。生かすも殺すも掌握した上で、殺さないってのを選ぶならそれでいい」


 パン、と背中を叩いてクローバーが笑う。なぜかフォールスがそれをキラキラした目で見ていて、シャギーは心配になった。


 先生、ちょっと天然なところあるからな……。


 クローバーに影響されて叔父が粗暴になったらどうしよう。


「クローバー卿、犬好きなのかな」


 モンスターの氷像を眺めながらスパイクがぼそっと言うので、シャギーは吹き出した。


「そういうことじゃ無いと思う」


 そのまま二人して全く可愛くない犬たちを見て、顔を見合わせて、ひひひ、と小さく笑う。しかし柔らかな弧を描いていたスパイクの目が急に鋭くなった。

 一陣の風がシャギーの脇を通り抜け、舞い上がったほつれ毛がもとに戻る。その刹那の間の後に、背後からドサリと何かが倒れる音が響いた。振り向けば、首を落とされた魔物が一匹倒れている。


「おー! よく気付いたな!?」


 クローバーが感嘆の声を上げてスパイクに駆け寄って来る。それをぼんやりと眺めながら、シャギーは今自分が見たものに混乱していた。


 シャギーの背後に新たに湧いた魔獣を、スパイクが気付いて倒した──風魔法で。


 状況を言うなら、そういうことだと思う。


「血の匂いで魔獣が集まって来ているのかもしれません。移動しましょう」


 フォールスに促されて森を出る。結局水は汲めなかったが、魔法で出せばいい。水場を探したのは森を歩きたかっただけだ。少し前方ではスパイクがクローバーと談笑している。その横顔はいつもと変わらない。察しが良いことを褒められているのを聞いて、そうだろうな、と思う。おそらくスパイクにも精霊が見えているのだ。シャギーと同様に。


 シャギーには精霊が光の粒子のように見えている。それには色がついていて、火ならば赤、土ならば黄色、水なら青、風は緑色をしている。スパイクは表向きには風の属性なので、彼が緑の精霊を纏って戦うのを先の襲撃でも見ていた。

 そう、風の精霊は緑色のはずなのだ。しかし先程シャギーの隣をかすめていった圧縮された風。


 それは漆黒をしていた。






 出発した一行は、道が合流する地点まで進んで再び軍道を移動する。


 シャギーはそっと背後に目線を流し、スパイクを盗み見た。その表情は相変わらず貴公子然としたもので、いかにも悩みなどありませんとでもいうように取り繕われている。


『随分、隠し事が多い若君で』


 以前、フォールスがぼやいていた言葉が蘇る。


 本当に隠し事が多すぎるだろう。剥いても剥いても、本心が見えてくるどころか謎が多くなるばかりだ。

 断罪ルートを確実に回避するためにも攻略対象の情報は多いほうが良い。それに、スパイクの四元素について公爵家が隠している理由を探ればフォールスとの研究にも何かしら進展があるかもしれない。


 本人が公爵家を疎ましく思っていることは間違いない。救えるものならと首を突っ込んでしまったが、研究のことや断罪回避など利己的な部分も大いにある。それが後ろめたさとなって無遠慮に踏み込めずに居る部分は否めなかった。


「シャギー、その辺で止まれ。野営できるポイントが近くにある」


 ある程度整備されていた道の終点まで来たところで、クローバーが今日の旅程の終わりを告げる。軍道が張り巡らされているのは王都から100キロほどなので、明日からは街道を軸にして進むことになるだろう。

街道や山道には物取りの類が、森に入れば魔獣が、今日のように襲ってくる。


 考えごとをするのは、父の安全を確保した後だ。


 先程見たことをフォールスと共有しておくべきだろうかとも迷ったが、今は当初の目的以外のことで叔父の思考を煩わせるのも得策ではないと、シャギーは判断する。

 戦闘があり、魔力も多めに使ったからだろうか。


 ひどく疲れていた。





 夜が明ける頃、天幕からわずかに離れて見張りをしていたシャギーは、背後から枯れ葉を踏む静かな足音が近付いてくるのに気付いた。


 振り向くと、薄紫の空を背にくっきりとした稜線を持つシルエットが立っている。彼の髪色はあまり光を弾かない。深い闇色をしているので。


「出発の準備にはちょっと早いですよ」


 シャギーが告げると、スパイクはそうだね。と穏やかに笑って隣に並んだ。


「ひとつ聞いてもいいですか」

「敬語やめたら答えてあげる」

「じゃあいいわ、やめとく」

「よし、答えよう」


「──ウィンターヘイゼルがあなたを戦場に送り出したのは、当主の死を見届けさせるため?」


 息を吸って、ひと息に言い切った。その疑念は、スパイクが付いてくると言い出したときには、頭の片隅をかすめていたような気がする。


 婚姻で富を築いてきた金満公の家系。ソルジャー家の令嬢との婚姻を進める傍らで、領内の戦争を煽って当主を亡き者にすれば、残るのはまだ若く御しやすいカランコエとシャギーだけだ。


 無言で見つめてくる若葉色の眼光に、スパイクが観念したように目をそらし、息を吐いた。






【植物メモ】


和名:牡丹一華[ボタンイチゲ]/花一華[ハナイチゲ]

英名:ウィンド・フラワー[Wind Flower]

学名:アネモネ・コロナリア[Anemone coronaria]

   

●アネモネの名前はギリシャ語で「風」を意味するアネモスが由来。


キンポウゲ科/イチリンソウ属

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