49.雨宿り Cerasus serrulata‘Amayadori’
雨は水の属性魔法を得意とするソルジャー騎士団の味方だ。精霊の光を見ることができるシャギーには、この戦場が水の精霊によって青く染められていくのがよくわかった。
「フロスト!」
シャギーが叫んで左右から挟撃してきた敵兵を一気に氷で拘束する。
精霊エネルギーを操るこの世界の魔法において呪文やアクションは必要ない。だが最短かつ最大の威力を出すには術者の意思と精霊とのリンクが重要になる。シャギーは作用させる力の威力や方向を指定するのに、短く発動魔法を唱えると同時に手で示す方法を取っている。
今回のフォールス奪還戦にソルジャー騎士団の魔術師部隊は参加していない。味方を巻き込まずに大規模魔法を放てるようなタイミングが無いからだ。
処刑場に定められたオスボレッド大聖堂前の広場は数十万人の民衆を収容できるという広大な敷地を持つが、広場に突入するまでの狭い市街戦ではもちろん、侵入後の広場内は遮蔽物の無い平地で両陣営入り乱れての乱戦となることは必至だった。
市街の構造を利用し圧倒的な強さで広場前を突破したソルジャー軍先鋭部隊とシャギー率いるサポート部隊は、広場内に展開していた教会側貴族たちの各軍に四方から攻撃を受ける。シャギー達の背後に続くソルジャー軍と分断されそうになるのを、シャギーの魔法による広範囲攻撃でしのいでいた。味方に当たらぬよう出力と範囲を調整された精緻な魔法操作は、師であるフォールスから学んだものだ。
「お嬢の魔力操作やばいっすね」
シャギーに付き従う青年騎士が舌を巻く。魔法攻撃に特化した魔術師部隊ほどでなくとも騎士団に所属する者たちは皆、補助なり攻撃なりある程度の魔法を戦闘に組み込んで使うことができる。だがシャギーの放つ魔法は規模も練度も一介の兵士にできるそれではない。
迂闊に突撃すれば魔法攻撃が来ると知った敵軍がじりじりと引いて距離を取り始める。その機に乗じてソルジャー騎士団全軍は一気に広場内へ押し入った。
広場を埋め尽くす敵軍の兵。教会派の領主たちも自領を空にするわけにはいかないため出せる戦力には限りがあるだろうが、それでも圧巻の数である。この国で教会がいかに力を持つのか、武力においてもその力を示しているようだ。
各地からの戦力を示す色とりどりの旗がはためく歩兵たちの背後には、戦争時に攻城塔として使われる移動式のやぐらが配置されていた。それ程の大規模な兵器はおそらく王城から持ち出されたものだろう。しかし広場内に王立騎士団の旗は無い。
国王側から教会への助力として騎士団は出さず兵器を提供する。そこにはソルジャー家とも教会とも完全には反目したくないという、国王の煮えきらない思惑が透けているようだった。ソルジャー家当主のアクイレギアからすれば今さらの悪あがきだが。
そして戦士たちのひしめくその後方の彼方に、ひときわ大きく築かれたやぐらとその最上層に立てられた磔刑用の柱が見えた。シャギーはその禍々しい塔を睨みつける。あの場所に、決してフォールスを上らせてはならない。
「振り返らずに行け!」
軍の中央からアクイレギアがシャギーに向かって叫んだ。
もたつけば、やぐらから弓や魔法による攻撃が来る。信仰を理由に罪なき人間を処刑することも厭わない勢力が相手なのだから、自軍の兵を傷つけないための配慮などなく放たれるに違いない。シャギーを含む先鋭であれば狙いをつける間を与えず、この戦場の誰よりも早く、広場の奥にある大聖堂に到達できるはずだ。
その為には追いすがる兵を止める背後の味方を気に留めることなくただ前へ、前へと駆け抜けなくてはならない。先程分断を食い止めたときのように背後に気を配ることに力を使う隙はない。
主君の声に呼応してシャギーを守護するように先鋭が周囲を固める。シャギーは剣を構え直して、まっすぐに前方を見据えた。
「シャギーお嬢様、魔力切れは?」
「無い。水の精霊が満ちているから水魔法は無制限。他の魔法に関しても体内エネルギーを使わなくても行けると思う」
「お嬢……改めてとんでもねえ魔力循環効率だな」
シャギーを囲むソルジャー兵と短く会話を交わす。彼らは歴戦の勇士達だが、シャギーのことを小娘と侮ることなく接してくれる。
練習場の片隅でブッシュ・クローバーから与えられる課題に黙々と取り組んでいた幼少期から、この少女のことを知っている。魔力による身体強化なくては剣を持ち上げるのもやっとの細腕で、ひとつの弱音も漏らさず、魔力切れを起こして倒れるまで剣を振っていた。そして、クレオメの謀略から土壇場で父アクイレギアを救出した胆力。ロルフ・フィードラーまで駆けつける行動力。
ただ敬愛する主君の娘というだけではない。どこまでも泥臭く、決して諦めない精神を持つシャギーは、次代にもつながる希望の一輪だ。必ず、守り通さなくてはならない。
「行きましょうぜ、姫!」
「我らが献身はあなたに!」
高らかに騎士の誓いの声を上げて、青の先鋭は駆け出した。
◆
祭礼用の純白のガウンは、その下に無理矢理に着せられた鎧と相まってひどく重たい。降り続く雨は衣服に染み込み髪を濡らし、不快でたまらない。血のにおいなのか、嗅いだことのない生臭い匂いが泥の匂いに混じって漂ってくる。それに、やぐらから落とされる火球が何かを燃やす据えた匂い。まるで獣のような人の咆哮や絶望の雄叫び。そこは不潔で、恐ろしくて、暗く禍々しいものに満ちていた。
「ヴィーナス嬢、手を」
聖女の衣装を着せられ半ば無理矢理、攻城塔に引き上げられたヴィーナス・フライトラップは、隣に立つ端正な顔の男を見上げた。仕草は丁寧だがその表情は乏しく高慢な気質が見え透いている。血飛沫のひとつも付いていないまっさらな団服と相まって、戦場において異質ともいえるその姿に、ヴィーナスは悪寒を覚えた。
なぜ見間違えたのか。ヴィーナスは差し出された手に自分の手を重ねながら、相手の整った相貌を観察した。
顔立ちはよく似ているが、髪色も瞳の色も攻略対象者のスパイクとは異なる。ヘーゼルカラーの髪に、黄金色の瞳。ヴィーナスの守護を買って出たのは、ウィンターヘイゼル公爵家の長男、フィルバートだった。
「すごい勢いだ、ソルジャー騎士団とはこれほどか。馬術の練度から違う」
他人事のように淡々と告げる口調は押されている側の将としてひどく場違いに思えた。場違いの加減では自分も負けていないだろうが。ヴィーナスは悄然としながら、フィルバートの視線の先を追った。
視線の先にあるのは、襲いかかる敵兵を水の渦で押し返し、人垣を剣で斬り割き、猛然と敵軍の中央を突破してくる青の騎馬隊。
「もうすぐ連中が姿を表す」
近付いてくる脅威に、やぐらの下ではウィンターヘイゼルの騎士団が武器を構える。群がる敵兵に隠れて、青い一団の姿が一瞬見えなくなった。その刹那。
「ひ、」
ヴィーナスが思わず悲鳴を漏らす。
それは唐突に現れた。正確にはそのように見えたというのが正しい。兵士たちの壁をぶち破って雪崩込んできたソルジャー軍の騎兵が、そのままの勢いにウィンターヘイゼルの軍を喰い破っていく。その凄まじい剣技と覇気。為すすべなく押されていく自分を守るはずの兵の姿に、ヴィーナスがパニックを起こしかける。その肩を隣から伸びた手にしかと掴まれた。
「あの女にお示しください、聖女の御業とやらを」
「あ、あ、あ」
「でなければあなたも死ぬぞ、ヴィーナス嬢」
今まさに蹂躙されている軍の将とは思えぬ冷淡さで、フィルバートがヴィーナスにけしかける。目に見えぬ圧を感じる命令に、混乱しきったヴィーナスは一も二もなく従った。頭を抱えて丸めた背中から光の魔力が膨らんで漏れだす。
◆
周囲の精霊が唐突に一点へ集約していく。
そのただならぬ気配にシャギーはハッとして顔を上げた。その目に飛び込んでくる、攻城塔に立つヴィーナスの姿。
聖女の立つやぐらを守るのは黄支子(きくちなし)色に染め抜かれた、ウィンターヘイゼル公爵家の旗。そして聖女を支えるのは、かつて一度邂逅を果たしたフィルバートだった。
ヴィーナスの背から翼のように光の魔力が広がり、戦場に溢れる精霊たちが一斉にヴィーナスに従属していく。薄暗い雨の中、光の羽根に包まれた聖女はまるで天使のようだった。しかしシャギーはその光景がもたらす危険を本能的に察する。
「なに、か、来る」
シャギーが警戒の声を上げる。それは、突如血を吐いて倒れたソルジャーの騎士を目にして掻き消えた。そのまま立て続けに、敵味方なく、シャギーの周囲で兵が倒れていく。その異様な現象に両軍の兵に動揺が走る。
「うわああああっ」
恐怖に叫び声を上げ腰を抜かしたのは、目の前で同僚を失ったウィンターヘイゼル兵であった。ガタガタと青ざめてへたり込んだ隣で、さらに何人かが血を吐いて倒れ込む。シャギーは馬から飛び降り、倒れたソルジャー軍の騎士を抱えた。
「お嬢! だめだ馬に戻れ!」
ソルジャーの兵士が叫ぶ。振り返らずに行けと、父のアクイレギアは言った。誰が倒れても前に進めと。だが。
抱えた兵士に治癒を試みる。破損したであろう器官は確かに修復されていく気配があるのに、一度絶えた息は、拍動は、戻らない。
「なんで……なんでだ……聖女様をお守りすれば俺達は助かるんじゃなかったのかよ……!」
へたり込んだウィンターヘイゼルの兵士が恐怖に震える言葉を聞いて、シャギーの脳裏にひとつの記憶が浮上する。
思い出すのは一人の法務官が突然死したという情報。外傷は一切ないのに心臓が破壊されているという、とても人の所業とは思えぬ異常な死に方だったという。
光魔法については、代々聖女を保護してきたカルミア教によって、多くの事実が秘匿されている。法務官の死に関する話を聞いたとき、それが教会に伝わる秘術によるものではないのかと、その時シャギーは考えたのだ。
倒れていく兵士に敵味方の区別はない。攻城塔のヴィーナスを見れば、聖女の視線はシャギーを追っている。だが恐慌の中にある状態で狙いが定められず、周囲に攻撃を振りまいている。
つまり自分が狙いやすくなれば、この無差別攻撃は終わる。
シャギーは立ち上がり、自分の位置を指し示すように両腕を広げた。
「私から離れて!」
「シャギーお嬢様!」
足元から全身を覆うように四元素魔法の結界を編み上げていく。四元素の結界は光魔法には効かない。シャギーはその事実を知らなかった。だが知っていたところでこの状況で、命を投げ出して耐えきる以外に、シャギーができることは無い。
「ヴィーナス・フライトラップ!」
自分はここだとシャギーが叫ぶ。無防備なその姿に、ヴィーナスの心に落ち着きが戻ってくる。ああ、そうだ、これこそが正しい道。悪役令嬢はヒロインに負けて、退場するのだ。
聖女の顔に恍惚の笑みが浮かび、その背に光の羽根が広がる。
シャギーの周囲にあった結界が崩れ精霊が霧散していく。その瞬間。全身が闇に包まれたような気が、した。
「なん、で……?」
目の前には闇色をした魔法の盾。そしてシャギーを背後から抱きとめた人物。
亡き母ガーラントの生家であるサングイネア子爵家の、赤紫色の団服を纏う騎士。その気配はとても懐かしくて、とても良く知る人物のものだった。だがそんなはずはないのだ。この戦場に、居るはずのない人間。
彼は今、意識不明のはずで。そして彼が本来纏うはずの色は、今敵対しているウィンターヘイゼルの色のはずで。
でも確かに、そこに居た。
この戦場で、この世界でただ一人、闇色の魔法を使うかつての恋人。スパイク・ウィンターヘイゼルが。
【植物メモ】
和名:アマヤドリ[雨宿り]
学名:[Prunus lannesiana cv. amayadori]
バラ科/サクラ属
オオシマザクラ系サトザクラ群
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