48.ブルー・ヘブン Blue heaven juniper
王都イフェイオン・ユニフローラムにある、ひときわ荘厳なカルミア教会の聖堂。オスボレッド大聖堂はその日、未明から降り出した雨に濡れていた。
雨音も立てずにさやさやと降るそれを、フォールスは鉄格子を挟んで見上げる。重く垂れ下がる鈍色の空。
「せめて青空が見たかったですね」
青は、若かりし頃に自分が飛び出したソルジャー家の色だ。晴れ渡る空のように鮮やかな青を纏う騎士団。その先頭には、いつも自分の盾となってくれた兄が立っていた。
ほんの半年ほど前に、フォールスはあの青を再び纏うことになった。もう随分昔のことのようだがそう遠い日でもない。無茶を体現したかのような危なっかしい少女に連れ添って、青の都ロルフ・フィードラーまで兄を救いに行ったのだ。無事に成し遂げたから言えることかも知れないが、あれもまた、良い日々だった。
「シャギーはきっと、カルミア教会の秘密にたどり着くでしょうね」
可愛い姪であり弟子でもある少女の平穏を思えば、何も知らぬほうが幸せと言えるのかもしれない。だがきっと、シャギーはそういう生き方ができない。
それならば自分は、彼女が知りたいと望むすべてを一緒に究明しようと思った。何ものからも目を逸らさないあの少女に、自分にできるすべてを捧げると決めた。もっとも。
自分が手を貸さずとも、いつかあの優秀な弟子は真実に辿り着いただろうと思う。
シャギーが優秀なのは明晰な頭脳を持つとか、飛び抜けた魔術の才能を持つとか、そういうところにはない。シャギーがただひとつ誰にも負けないところ。それは彼女が幾度倒れようとも立ち上がり、先に進む気力を損なわないことだ。
「シャギー……」
その愚直なまでの努力が花開き、どこまでも高く飛ぶところを見守っていたかった。願わくばこの先も。だがそれは叶わぬ夢となってしまった。今日、この空の下で自分は処刑されるのだ。
避けられぬものなのだと受け入れれば、死は案外と怖くはなかった。ただ、師を救い出すために奮闘したであろうシャギーやその兄カランコエには申し訳ないことをしたとそう思う。力を尽くして叶わぬ、その痛みは進んで負わせたいものではない。愛しく思う相手ならばなおさらだ。
王宮の囚人塔に居た間、アクイレギアが教会への引き渡し拒否を嘆願してくれていたことは知っている。兄には苦労と迷惑ばかり掛けている気がする。庶子とはいえ、貴族に生まれながらその責務を果たさず研究に生きる自分と、若くしてソルジャー伯爵家を継いだ兄では背負うものからして違うのに、フォールスが家を出た後も何くれと気にかけてくれるのだ。
そんな、優しくて大らかな気質を二人の子どもたちは確かに継いでいる。シャギーは前世の人格の影響が大きいと言っていたが、あの豪胆さと大らかさは、確実にソルジャー家の気質だ。
ふと、自分にもその血が流れているのだと思い至って、そのことが急に誇らしく思えた。かつて自らその繋がりを断ち切っておきながら、無性に、あの鮮やかな青に染まり最期を迎えたいと、そんな気がした。
◆
命というのは絶えず燃え続ける炎のようだと、シャギーは思う。体は器に過ぎない。与えられたその容れ物の中で、どれほどの熱量で己を燃やすことができるのか。その火が消えたときに、命は尽きるのだと思う。
「シャギー、準備はいいかい?」
アクイレギアに訊ねられて、シャギーはゆっくり顔を上げる。しっかりと目を見つめてひとつ頷いた。父はもう、戦場に立つなとは言わなかった。
青の軍隊が大聖堂へ続く王都の道を歩んで行く。
隊列の先頭には騎乗した先鋭部隊が、そしてその背後に同じく騎乗したシャギーの部隊が配置されている。部隊をひとつ任されると聞いたときは胃の縮む思いをしたが、蓋を開けてみればわずか五人の遊軍部隊だった。人を率いた経験のないシャギーはひとまず胸を撫で下ろした。それでも、守るものが自分の身ひとつであるのとは全く違う緊張を強く感じる。
青い軍旗に青い軍服。青に染め上げられた集団はフォールス・バインドウィードの処刑地となるオスボレッド大聖堂前の広場に到達し、その歩みを止めた。
広場の周囲を取り囲むように各地からの教皇派貴族の騎士団が守護に立ち、正面は純白の団服に身を包んだ一団が固めている。詰襟に施されたシャクナゲの花の刺繍がカルミア教の聖騎士団であることを示している。
双方の軍が睨み合い沈黙が支配する中、青の隊列が整然と割れて騎乗した一人の人物が先頭へと進み出る。団長服を纏ったソルジャー家当主、アクイレギア・ビィリディフローラ・チョコレート・ソルジャーであった。
「王命により、馳せ参じた」
アクイレギアはそう告げて王城から届いた書状を広げて見せると、そのまま地面に投げ捨てた。
「道をあけろ」
不遜に言い放つソルジャー家当主に、聖騎士団がザワリと色めき立つ。
「処刑の立ち会いは当主のみ認められている! 軍の立ち入りは許可されていない!」
隊列の中ほどから聖騎士団長と思われる人物が叫ぶ。アクイレギアはそれを鼻で笑って一蹴した。
「そうか。──だが生憎、許可は必要としていない」
アクイレギアが言い放つと、その背後に高々と青い旗が掲げられ、空を舞うように美しく旋回した。
それが合図だった。
◆
広場の周囲に張り巡らされた街路は馬車の往来を想定して広く造られているが、大規模に軍を展開する戦場とするには狭い。ソルジャー騎士団後方は少数部隊に分かれて脇道へと入り込んだ。
正面の聖騎士団に対して槍のように押し込むソルジャー騎士団の先鋒を、左右から教皇派貴族の軍隊が挟み込もうとするが攻撃を展開するのに十分な広さが取れない。その上、細長く伸びた隊列は脇道に待機するソルジャー騎士団に横合いから突かれる。
いくら数的に勝ろうとも、並べられる兵の数は道幅に限られる。そして同数での押し合いならば戦闘力は圧倒的にソルジャー騎士団が上だ。
(テルモピュライとかトイトブルグとかだっけ? 狭い地形で、数的不利な方が圧倒するやつ……)
シャギーは自軍の進撃を前に、前世で受けた世界史の授業を思い出していた。
半年前のスピノサ攻略には同行させてもらえず、その強さは話に聞くばかりだった。だが実際にその戦いを目の当たりにして、いかに自分が差し出がましい申し出をしていたのかを痛感する。
父の率いるソルジャー騎士団は、強かった。
◆
「王立騎士団はなぜ出ない!?」
ヒッポリテが叫び、傍に立つヴィーナスと司祭は身を縮こまらせた。
礼拝堂で朝の祈りを捧げていたヒッポリテ大司教にもたらされた、聖騎士団伝令からの一報。それは、教会側がソルジャー騎士団に為す術なく押されているという、信じがたい内容だった。
伝令にはまだまだ戦力差があるのだから案ずることは無いと鷹揚に答えて帰した。しかし足音が去るや否や、怒りに任せて祭壇を叩き激昂する。
「お、王宮からは、騎士団内で病が流行っていると……重症者多数で軍が出せる状況にないと、今朝ほど報せが」
顔を青くしながら司祭が報告する。ヒッポリテはギロリとそれを睨みつけ舌打ちした。いつも穏やかに微笑んでいた聖職者の面影は、もはやそこには無い。
「ここまで来てソルジャーとの対立を避けるつもりか!? 小賢しい真似を……!」
慈愛の仮面を取り去って唸り、ヒッポリテは司祭の肩を爪が食い込むほど掴んで命令した。
「磔刑の準備を始めなさい。フォールスの処刑時間を早めます」
そしてヴィーナスの腕を取り、引きずるように礼拝堂出口に向かって行く。
「い、痛い……!」
「聖女様も戦場に出ていただきましょう。不信心な悪魔どもに、精霊の癲狂(てんきょう)による裁きを」
にこやかに笑いながら告げられるヒッポリテの言葉にヴィーナスが愕然とする。
「いっ……! いや! 絶対いや! ねえやだってば! 戦場に出るなんて絶対無理!!」
ヴィーナスはなりふり構わず泣き叫んで崩れ落ち、腕を引かれながらも床に爪を立てて抵抗した。しゃがみ込んで動かなくなる少女をヒッポリテが冷たく見下ろす。その瞬間、開け放たれている礼拝堂の扉から何者かが入ってきた。二人は身を固くして侵入者へと目線を向ける。
カツン、と、ブーツの足音が響く。それは一人の騎士だった。団服の色は赤みがかった濃黄色。
「スパイク……?」
へたり込んだままのヴィーナスが呟く。
「聖女様は我が軍でお守りします」
団服の襟にはウィンター・ヘイゼルを象徴するマンサクの刺繍。若く美しい騎士はヴィーナスへと手を差し伸べた。
「我々とともに戦場へ」
【植物メモ】
和名:コロラドビャクシン ‘ブルーヘブン’
英名:ブルーヘブン・ユニペルス[Blue heaven juniper]
学名:ユニペルス・スコプロラム・ブルーヘヴン[Juniperus scopulorum‘Blue Heaven’]
ヒノキ科/ビャクシン属
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