52.百日紅 Lagerstroemia indica

 聖女と呼ばれた。そう呼んでくれと自分で頼んだわけじゃない。確かに、教会に魔力測定に行ったのは自分だけれど、それはそうゲームに「決められていた」からだ。悪役令嬢を殺そうとしたのも、攻略対象者に近づいたのも、聖女をやっていたのも、全部世界がそう決められていた・・・・・・・・・から。


「決められたとおりに、しただけじゃん」


 聖女は座り込んだまま呟く。


 いつの間にか止んでいた雨。フォールス・バインドウィードを救い出し、光差す中を駆け抜けていく青の騎士団はまるで祝福を受けたヒーローだ。ではここで、惨めに座り込む自分は誰なのだろうと、ヴィーナスは考える。


 〜聖女の力で無双していたらゴリラみたいな悪役令嬢が舞台に上がり込んできて一瞬で宝珠を奪われた〜


 うっかり脳内で言葉にしてみたらとんでもなかった。やられる側からすればあまりのクソ展開に笑えない。逆ではないのか。断罪されるべきは本編開始前にせこせこ攻略を進めていやがったメスゴリラであるべきだ。


「悪役令嬢が攻略対象に手ぇ出してんじゃねーよ……」


 正解を選んで決められた通りに行動したらご褒美にイケメンが与えられる。ここはそういう優しい世界のはずなのに、何もかもがチグハグだった。悪役令嬢のピンチに攻略対象者が颯爽と駆けつけ、自分の隣では攻略対象者によく似たニセモノが負け犬みたいなセリフを吐いている。何の冗談かと思った。


「聖女様」


 攻城塔の上から呆然と去りゆくソルジャー騎士団を眺めていたヴィーナスに、背後から声がかかる。いつの間にか攻城塔に登ってきていた司祭と数人の聖騎士だった。ヒッポリテの体格では足場の不安定なやぐらを登れない。ヴィーナスとて自信はない。騎士に抱えられるようにして登ったのだ、降りるときも同様だろう。軽々と駆け上がってきた金髪ゴリラ令嬢を思い返してまた奥歯を噛む。さえない風体の中年に抱えられた自分の状況を見て、再び羞恥と憎悪が湧き上がった。

 そもそも、どうしてこんなにスペックに差があるのだ。ヒロインである自分に中途半端な光魔法しかなくて、悪役令嬢にあれほど能力が盛られているなんて何かのバグとしか思えない。


 やぐらの下にはヒッポリテが立っていた。司祭とヴィーナス以外の人の目があるせいか、一応笑みを浮かべているようには見える。しかし既に礼拝堂での豹変ぶりを目にしたヴィーナスにとっては今さらのことだ。


「参りましょう聖女様、奴らをおめおめと行かせてはなりません。聖女カルミアの名のもとに、悪は裁かれなくては」


 悪を決めているのはそのカルミアとやらとではなくお前ではないのか。ヴィーナスは内心で毒吐きながら、それでもやはりヒッポリテ大司教に従う。ヒロインに戻るためには断罪ルートのやり直しが必要だからだ。幸いなことに、ヒッポリテとヴィーナスの定める悪は共通している。

 自分が縋るのは目の前の豚ではなくその背後にある権力なのだと言い聞かせながら、差し延べられる手を取った。





「閉門!閉門!」


 街道の砦で青い騎士団服の兵士が叫ぶ。夜を迎えようという森に、猛然ととどろく馬群の足音。森の街道に佇む石の要塞には明々とかがり火が焚かれ、青色の旗が掲げられていた。

 ソルジャー騎士団とその援軍サングイネア騎士団すべての馬がゲートを越えたのを確認すると同時に、砦の門が閉ざされる。


「カランが砦を落としておいてくれて助かった。さすがに今からもう一戦はきつかっただろうな」


 ソルジャー家当主アクイレギアは馬から降りて、出迎えた息子に向かって微笑んだ。


「もうニ、三戦はいけそうに見えますよ」

「見えるだけ。もう全身ガタガタだよ」


 息子カランコエのきつめの冗談に笑って返し、歩きながらグローブとマントを外す。向かう先は隊列の中ほど。兵士たちが道を開けた先に、二人乗りの馬が二頭並んでいる。


「今日の一番の功労者」


 後ろを着いてきたカランコエにそう言って、馬上で眠る金色の髪の少女へと手を差し伸べる。背後から彼女を支えていた騎士が、起こさぬようにそっと父親の腕に娘を預けた。


 腕力の足りないシャギーは戦闘中ずっと身体強化の魔法をかけ続けている。そしてそのことをソルジャー騎士団の人間は皆、知っている。

 戦場から離れたところで「いや全然、まだまだ余裕」と言い張る少女をなだめすかして二人乗りにさせたのだ。実際のところ体力的にはもう限界だったのか、身体強化を解いてしばらく走る内にシャギーは寝落ちた。


「いやー、役得だったわ」


 シャギーを乗せた馬の手綱を預かっていた騎士が首を鳴らして筋を伸ばしつつそう言うと、隣の馬から恨みがましい視線が飛んだ。


「叔父上、無事で良かった」

「ありがとう、カランコエ」


 シャギーから隣の馬へと視線を移したカランコエがフォールスと手を握り合う。それから、背後で叔父を支えている友人を見た。


「スパイク」

「すみません」

「まだ何も言っていないが」

「はい。ごめんなさい」


 深々と頭を下げる黒髪にカランコエはため息をついた。言いたいことは山ほどある。恨み言も。それでもまずは一番に伝えておきたい。


「礼を言う」


 顔を上げたスパイクがぽかんと口を開けたまま美貌の友人の顔を見る。

 どうしてここにスパイクが居るのか、その詳しい経緯についてカランコエはまだ知らない。だがサングイネアの団服を着て、フォールスを支えながらここに立っている。それだけで、何もかもを捨ててシャギーを助けにきたのだということは理解できた。


「それはどうも」


 驚きから立ち直ったスパイクが短く返す。その顔に浮かぶのは、カランコエも初めて見る、ふわりと花が綻ぶような笑みだった。この男が忌まわしきあの公爵家に縛られていた頃には知り得なかった表情。


「ダメだよ……ササミにして……」


 その時、父親に抱えられたままのシャギーが謎の寝言を放った。その場の全員が顔を見合わせる。そして、笑った。

 ソルジャー家に久々に起こる笑いだった。「ゆでたササミ」と続く寝言に、男たちはしばらく笑っていた。





「色々と規格外な弟子だとは思ってましたが、まさか女神に会って来るとは」 


 夕食後、シャギーとスパイクはフォールスの部屋を訪れていた。解放されたばかりのフォールスには休んでいてもらいたいところだが、その当人から話がしたいと呼び出されたのだ。

 砦への到着から程なくしてぱっちりと目覚めたシャギーは、夕食の間も先生、先生と、フォールスにべったりだった。


「先生、お粥冷ましましょうか」


「先生、椅子にクッション挟んでください。クッション無いので丸めた毛布ですけど」


 フォールスの隣から一時も離れずいそいそと世話を焼こうとするシャギーを、スパイクは苦々しい顔でむっつりと眺めていたのだが、師の体調を気遣うことに夢中なシャギーが気付くことはなかった。


「ヒナドリか何かなのか」


 ピヨピヨとフォールスの周りを付いて回るシャギーに、兄のカランコエが呆れたように言う。口では嗜めるそぶりを見せつつ、兄は妹の行動を概ね容認してもいる。幼少期から慕う師の身の上を、シャギーがどれほど案じていたか知っているからだ。その喪失への恐怖も。今すぐ「よく頑張った」と、金色小さな頭を撫で回したい気持ちを抑えつつ、微かに笑んで自分のスープを口にした。


 シャギーとスパイクがフォールスの寝室にやって来たのは、そんな、久々に温かな夕食後の後だった。


「──つまり女神の欠片と獣の因子は、分かたれた二柱の神の意思の断片を持って生まれた者ってことなのかな。それが、聖女ヴィーナス・フライトラップとウィ……スパイク君?で、実はシャギーもそうだったと」


 フォールスはスパイクをウィンターヘイゼル公爵令息と呼びかけて、言い直す。名前で呼んで良いのかと目線で問うフォールスに、スパイクはしっかりと頷いた。


「ああっ! そう言えばスパイクなんであの場所に来れたの!? 体は? 家は? どうなってるの? てか、あのお茶会からしてどういうことかわかんないんだけど! まるで最初からヴィーナスの行動を知ってたみたいな……!」


 スパイクとフォールス二人のやり取りに積もっていた疑問を思い出したのか、シャギーがスパイクを向き直って問い詰める。

 今さら? と、ずっと放置されていたスパイクが眉をしかめると、フォールスがクスクスと笑って口を挟む。


「私がアイリス君に頼んで、スパイク君に未来視を送ってもらっていたんですよ」


「アイリスに?」


「はい。拘束直前、カルミア教の動きに不穏なものを感じたので、不可視インクとともに託しました。私の代わりにシャギーを守ってもらえるように。──まさか、聖女を告発するために自ら毒を口にするとは思いませんでしたが」


 人選を間違えたかな、と、青年の無茶を優しく咎めるフォールスに、スパイクがきまり悪く頬を掻いた。そしてようやく口を開く。


「アイリス・サングイネア嬢から手紙を貰っていたその縁を頼って、サングイネア騎士団としてあの戦場に行くことができたんだ。ソルジャー家に手を出したウィンターヘイゼルに戻ることはもう、ないから」


 間に合ってよかった、と、スパイクが微笑む。心からの安堵を感じているその無防備な表情に、シャギーの心臓がどくりと跳ねた。


「う、うん、ありがとう……」


 頬に血が上るのを隠すように俯きつつシャギーが言い、それが伝播したかのようにスパイクも薄っすら頬を染める。急に湧き上がった甘酸っぱいような空気を、フォールスがパンパンと手を叩いて霧散させる。


「それにしても、まさか光魔法も闇魔法も、四元素の精霊理論の延長だったとは。四魔法の属性持ちが珍しい上に、シャギーやスパイク君ほどの魔力循環量を持つ人間はさらに希少だったからこそ、これまで発覚しなかったのでしょうね」


 フォールスの言葉にシャギーが頷く。


「加えて、女神の欠片を持って生まれた人間は魔力についての研究対象となる前に“聖女”として教会に囲われてしまったのもあるかと」


「確かに。過去には“聖女”とされた人間の他に、癒やしの力を持つ修道士もいたのかもしれません。──しかしそれなら、闇魔法についての研究は教会でも進んでいないことになりますね」 


 フォールスが言って、シャギーとスパイクもハッとしたように顔を見合わせる。


「戦場の様子を聞くに、光魔法に対応し得るのは唯一、闇魔法でしょう。そして光魔法と同様に闇魔法もまた、四元素理論で構築可能なはずです」


「やりましょう先生……!」


 新たな挑戦への香りに、シャギーがソワソワとし始める。無尽蔵の探究心を持つ弟子にフォールスは苦笑し、スパイクは眉を下げた。


「とりあえずは、今日はもう休みましょうか」


 シャギーの情熱が燃え上がってしまう前に、フォールスの言葉で無事にその場は解散となった。


 扉を閉めようとする二人を呼び止め、もう一度深く感謝を伝える魔術師に、シャギーは満面の笑顔を向けて部屋を後にした。



 フォールスの部屋を護衛する騎士に挨拶して、シャギーとスパイクは歩き出す。見張りを残すだけとなった石の砦は寝静まっており、蝋燭の炎に照らされた廊下をゆく二人の足音が微かに響く。


「あのさ」


 意を決したように、スパイクが口を開く。


「フォールスさんのこと、独身の異性だって意識して距離感持ったほうが良いと思う」

「は?」


 思いもよらぬスパイクの言葉に、シャギーは口をぱかんと開けて固まった。10歳の初対面のときにはすでにフォールスは28歳のちゃんとした大人だった。それからは師弟を超えた身内のような立ち位置で、異性として見たことなど一度もなかったのだ。


「いやいや無理でしょ、先生は先生だもん」

「だって二人の距離近すぎて……モヤモヤする」

「勝手にモヤモヤすな」


 ばっさり切って捨てるシャギーに、スパイクはむう、と押し黙る。こうして改めて話して気が付くことだが、ウィンターヘイゼル公爵令息としての仮面を外したスパイクは驚くほど口数の少ないタイプだった。過去、素のスパイクと話した時間は実際のところあまりに短かったのだ。思い返せばそれは、百日にも満たない恋だった。


 今のスパイクが繕っていないことは、フォールスさんという呼び方にも表れている。教会を破門となったことで洗礼名を失った今、かつてスパイクが使っていたバインドウィード卿という呼び名は確かに正しくないのだが。

 フォールス魔道士ではなくフォールスさん、というところに、自分を信頼してくれた人間に心を開こうとする姿勢が見える気がした。


「ていうか、スパイクと私って別れた状態のままだよね?」


 何しれっと恋人ポジに居るんですか。


 シャギーの言葉に、スパイクが愕然と固まる。性格悪いかなと思いつつも、あのサヨナラの森でシャギーは酷く傷ついたのだ。ちょっとした意趣返しは許してほしかった。もちろん、あの別れがスパイクからの愛の証だと十分に理解してはいるけれど。


 硬直したままのスパイクに溜飲を下げ、シャギーは「おやすみ」と踵を返す。


「また明日ね」


 振り向いてそう言えば、ぎこちなく、スパイクが手を上げた。





「シャギーたん!」


 翌朝、出立の準備に忙しない砦にやって来たのは、思いもよらぬ人物だった。


「アイリス!」


 シャギーは手にしていた荷物を放りだして駆け寄る。飛びついてきたアイリスをシャギーはしっかりと抱き止めた。




 



【植物メモ】


和名:ヒャクジツコウ[百日紅]/サルスベリ[猿滑]

英名:クレープミルトル[Crape myrtle]

学名:ラジェルストレミア・インディカ[Lagerstroemia indica]


再会を誓う伝説を持つ花


ミソハギ科/サルスベリ属

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