53.葡萄 Vitis vinifera

 お互いの領地へ帰還するソルジャーとサングイネアの騎士団は、この砦で別れることになる。二つの領地は接しているが、それぞれの領地に通じる街道は山脈の西と東に分岐しているため、各々、王都からより近い道を進むことになるのだ。


「アイリス達はもう先に領地へ向かったんだと思ってた」

「養母(おかーさん)達は先に出たんだけどね。実はワガママ言って後から出てきちゃった。魔道具屋の両親に会っておきたかったから」


 ソルジャー家に味方することでサングイネア家もカルミア教や王家とは対立する立場となった。王都に居ては身の危険があるため、子爵家の人々もまた、領地で暮らすことになるのだ。

 アイリスはもともとサングイネアの人間ではない。王国の庇護を受けるため貴族の養子に入ったに過ぎないので、このような動乱の際には家を乗り換えれば済むだけだ。それをしなかったということは、シャギーの居るソルジャー家と敵対する道を避けたかったということ。


「領地に行ったらしばらく実のご両親とは会えないもんね」

「そうそう。それに」


 アイリスはそこで言葉を区切って、シャギーの顔を見た。


「シャギーたんにも会っておきたかったんだよ。間に合ってよかった」


 そう言ってにかっと笑う。追撃を振り切って強行してきたシャギー達はもちろんだが、街道ではなく山道を抜けてきたであろう後発隊も楽な行軍ではなかったはずだ。普段シャギーには無理をするなというくせに、アイリスの今回の行動も大概だ。


「領地に着いて落ち着いたらサングイネア子爵領に行くよ。お隣なんだから」


 シャギーは何となくこそばゆくて、ぐりぐりとアイリスの髪に触れた。されるがままヘラヘラ笑うアイリスは何だかとても幸せそうだ。


「本当に無事で良かった。フォールスさんも」


 やけに改まってアイリスが言う。それが小さな違和感となってシャギーの心の隅に引っかかるが、その正体を掴む前に、変わらぬ顔で笑うアイリスによって霧散する。

 友人が戦場にゆくというのは、やはりそれほどに心に重くのしかかることなのだろうか。領地まで安心はできないが、だからこそ無事な顔が見たかったというアイリスの気持ちが嬉しかった。





「巻き込んでしまって申し訳ない」


 アクイレギアは改めて深々と、現サングイネア子爵であるホルムショルディア・サングイネアに頭を下げた。幼馴染であった亡き妻ガーラント。その兄であるホルムショルディアともまた、幼少からの付き合いがある。


「妹を救ってくれたとき、ソルジャーのためには何でもすると誓ったんだ。その恩を返しただけで礼を言われることじゃないさ」


 闊達に笑うサングイネア子爵とガーラントは似ていない兄妹だったが、陽だまりのような笑顔を見ると何とはなく同じ血脈を感じられる。


「せめて、領地までうちからも護衛を出させてくれ」

「舐めてもらっちゃ困るな、そちらほどじゃないがうちだって武勲の誉れ高い家門なんだぞ」


 アクイレギアの申し出をホルムショルディアが辞退したその時。山道の方角から騎士の一団が現れた。


 すわ敵襲かとソルジャー騎士団が身構えたのは一瞬で、一団を率いる男の顔はこの場にいる全員がよく知った人物のものであった。老いてなお失われぬ鋭い眼光と、猛々しい武人の気配。


「父上……」

「先代……」


 アクイレギアとその隣に立つ副官が揃って顔を引きつらせる。それは先代ソルジャー伯爵、ベゴニア・チョコレート・ソルジャーであった。


 しかもベゴニア老人が率いている面々をよくよく見れば、そちらも見知った顔だった。旅人の装束で身元を隠したソルジャー騎士団の兵士達である。


「道中、問題ありませんでしたか? お祖父様」


 荷積みの指示を出していたカランコエが、アクイレギアの背後からひょっこりと顔を出す。まるでここにベゴニアが来ることを知っていたかのようなその口ぶり。


「カラン、どういうこと……?」


 アクイレギアがぎぎぎ、と音がしそうなぎこちなさで息子を振り返る。


「王国からの離反が決まった段階で、脱獄させました」

「脱獄ぅ!?」

「叔父上救出計画の際に囚人塔の詳細は手に入れていたので、ついでに」

「ついでに!?」


 美貌の息子が、何でもないことのようにサラリと衝撃の爆弾を投下する。アクイレギアは目眩がした。どういうことだ。


「父上の軍が処刑場で万が一不利な状況に陥った場合は即座に出撃するように、脱獄させたうえで待機させていました」

「年寄りを酷使しようとし過ぎだ。とんでもない孫だなお前は」

「牢の中に居るよりは良いでしょう?」 


 ぼやくベゴニアに顔色も変えずカランコエが返す。


「父上たちが無事に撤退した報せを受けたので、王都を脱出するアイリス嬢の護衛をさせていたんです。ここまで」

「お前から祖父を労ろうという気持ちが全く感じられんぞ、カランコエ」


 信じがたい事実をぽんぽんとぶちまけ続ける息子に、アクイレギアはついに崩れ落ちた。膝をついて震えるアクイレギアに、その父であるベゴニアが近付いてポンと肩を叩く。


「カルミア教のクソ虫どもに喧嘩を売ったらしいな」


 シャギーの祖父であるベゴニアは頑として洗礼を受けなかったほど、筋金入りのカルミア教嫌いだ。


「よくやった」


 それは、アクイレギアが初めて父親から贈られた称賛であった。


「サングイネア領までは、この老兵が護衛しよう。どうせ捨てても構わん命だ。好きに使え」


 そして、怒涛の展開に目を白黒させるサングイネア子爵ホルムショルディアに向き直ってそう宣言した。





 一方アイリスと語り合うシャギーは、アクイレギアが受けた衝撃を数分後に食らっていた。


「シャギーたんのおじいちゃんに護衛してもらったのよ」


 にこにこしてそう告げるアイリスに、シャギーは絶句していた。アイリスはなんと、カランコエによる祖父の脱獄計画まで知っていた。占い(というか検索)を利用して、あれこれと情報を集めるのに協力していたらしい。

 

「ソルジャー家のパパが一番心配するべきは、実はお兄ちゃんだと思うわ。シャギーたんはゴリラだけど、兄は隠密だと思う」

「ウホ(それ悪口やで)」


 アイリスがしみじみ言うのに若干引っかかるものは感じつつ、シャギーも全面的に同意した。


 そうして、急に老け込んだようにげっそりしたアクイレギア率いるソルジャー騎士団とサングイネア騎士団+ソルジャー護衛部隊は、街道の砦で別れた。


 小さくなってゆくアイリスの背中を見守るシャギーに、その背中がくるりと振り返る。


「またね!」


 再会を告げる友人の笑顔が、陽の光を受けて輝いた。





「もっと速度は上がらんのか……!」


 馬車の中でヒッポリテ大司教が苛立ちをあらわにする。それを覚めた目で見やりながら、聖女は内心で、お前のような豚を乗せているからだと吐き捨てた。


 領地へ撤退するソルジャー騎士団を追う聖騎士団。その隊列の中央を走る豪奢な馬車。ヴィーナスとヒッポリテを乗せた馬車は、6頭もの屈強な馬に引かれていた。

 財力と権力を惜しみなく使って馬を乗りつぶし、休憩少なく街道を進んでいるが、ソルジャー騎士団との距離はなかなか縮まらない。馬車を引いている上に荷駄係や世話係まで連れているため、必然、行軍が遅れるのだ。加えて、途中にある砦の門はことごとく閉ざされており、ソルジャー兵による罠まで仕掛けられている。

 門を破壊し罠を解除するまで、その都度足止めを食らうのだ。


「アリストロキアで足止めできると思ったが、あの無能めが」


 ヒッポリテの言うアリストロキアとは、アリストロキア教会堂のことだ。かつてアクイレギアの危機に駆けつけるシャギーが、通りすがりに絡まれた場所。代々カルミア教の影響が強い土地に立つ、教会の重要拠点である。司祭は代々、変わらぬ土地との結びつきを示すため、地名でもあるアリストロキアの名を引き継ぐ。


 先代司祭、アリストロキア・アルボレアは非常に与し易い相手であった。信仰心が強く、聖女カルミアを唯一の主と仰ぐ老人にとって大司教であるヒッポリテは聖女の使徒にも等しい存在であるらしく、どんな命令にも否を唱えることはなかった。己の義の名のもとに、殺しすら易く行ったのだ。


 しかし、数年前に司祭はアリストロキア・サルバドレンシスへと代わった。


 教皇直々の任命によってアルボレアに代わってやってきた司祭は表向き恭順であったが、どこか内心の読めぬ、うそ寒い空気を持つ男だった。ヒッポリテはサルバドレンシスを試すような命令を何度か下したが、のらりくらりと躱されたものも多くある。


 そして、ここへ来てソルジャー騎士団の足止めに失敗したという報せである。ヒッポリテは実に忌々しく、青白い司祭の顔を思い返していた。

 車中から窓の外を見やれば、刻々と夕闇が迫っている。今日もまたソルジャー騎士団には追いつけなかったという焦りと苛立ちは募るばかりだ。ヒッポリテが怒りに任せてワインを仰いだ瞬間、馬車がガクンと大きく揺れて、急停車した。


「何事だ!?」


 窓を開けて外に叫ぶ。向かいの聖女は衝撃によって無様に倒れ込んでいるが、構ったことではない。


「脱輪です! 引き上げますので、司祭様と聖女様も一度外へ」


 駆け寄ってきた聖騎士団の兵士がそう告げる。その言葉にヒッポリテは益々眉間のシワを深めた。こめかみに浮かぶ血管がひくひくと引きつる。


「幸い、アリストロキア教会堂はすぐそこです。本日はそちらで宿を」


 大司教たる自分が騎士などという下層階級の言いなりになることは、平素のヒッポリテにとって許しがたいことであった。しかし、ここは王都から離れた田舎の街道である。身の安全のためには従うしか無い。

 




 アリストロキア教会堂でヒッポリテとヴィーナスを迎えたアリストロキア・サルバドレンシスは、相変わらず青白く、陰鬱な気配をまとっていた。べったりと貼り付けたような笑みに不快感が増す。


「ようこそいらっしゃいました、聖女様」


 サルバドレンシスが深く腰を折ってヴィーナスの手を取る。


「足止めはできなかったようだな」


 恭しく頭を下げる司祭に、ヒッポリテは短く言い捨てた。ヒッポリテの鋭い視線を受けてもサルバドレンシスには些かの動揺も見られない。


「幽鬼のごとく恐ろしい連中です。私のような力なき聖職者にはとても」


 そう言って虚構めいた笑みを深める。


 ヒッポリテの胸元は、先ほど馬車でこぼしたワインに赤く濡れていた。それを見たサルバドレンシスが、「お召し替え致しますか」と提案してくる。


「当然だ」


 ヒッポリテは言い捨てて、案内されるまま奥の間へと踏み入った。通された小部屋には頑健な長椅子があり、馬車に揺られ疲れていたヒッポリテはすぐさまそこへ身を預けた。




 そして二度と、立ち上がることはなかった。


 体中の血が沸き立つように熱く、ぼこりぼこりと内側から皮膚を押し上げる。ヒッポリテは血を吐き、長椅子の上に横倒しになった。目が霞んで、身を起こすこともできないほど体が重い。


「ばかな、精霊の、てんきょ……?」


 まさか聖女が自分を殺そうとしている?


 その疑念に答えるように、ゆっくりと歩み寄る者がある。ぎしりぎしりと床を踏む靴音に、破れそうなほど大きな自分の心音が重なる。

 目の前で止まった足をたどってヒッポリテが目線を上げる。そこに居たのはやはり聖女ヴィーナス・フライトラップ。


 そして、顔を蒼白にして震えるヴィーナスの肩を背後から掴む、赤紫の目をした白髪の男。


「ヴィオラセ……!? きさ、ま……!」


 ぐぶぐぶと血の泡を吐きながらヒッポリテが声を上げる。しかしその喉はもう、十分な音を発することはできなかった。





「大司教様はお休みになっておいでです。馬車の中で随分とワインを召されたのでは?」


 食事の席に現れない大司教を迎えに来た聖騎士に、サルバドレンシスがゆったりと扉を開いて室内を示す。

 騎士が見たものは長椅子に横たわる大司教。馬車が揺れた際にワインをこぼした胸元のシミもそのままに、深く眠り込んでいるようだった。


「今宵はみなさまも、ゆっくりとお休みください」


 いつもと変わらぬ笑みを浮かべて、司祭は静かに扉を閉じた。



 



【植物メモ】


和名:ヨーロッパブドウ[葡萄]

英名:コモン・グレープ[Common grape]

学名:ヴィティス・ヴィニフェラ[Vitis vinifera]


ブドウ科/ブドウ属

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